光輝に満ちた上層界へ行く程、霊的真理の単純素朴さを思い知らされる。『光輝に満ちた』と表現したのは、その境涯全体に行きわたる明るさがまるで熱帯地方の真昼のように煌々と輝き、それでいて少しも不快感を与えないからである。その境涯へ来て受ける影響はいつも同じである。すなわち真理への悟りが一段と深まるような意識にさせられるのである。
 環境そのものから発せられる波長が霊体に心地よい感じを与えてくれるし、そこの住民が自然に発散している友愛の念がさらに幸福感を与えてくれる。その友愛精神にはわざとらしさがなく、オーラの範囲の広さのせいで、少し近づいてもひしひしと感じられる。ただ、辺りの光輝のせいでオーラそのものは目に映じない。私がそれを確認出来たのは低級界へ下りて来られた時に、周りの環境との対照で際立って見えたからである。
 その絶え間なく発散される友愛精神は他の存在への無条件の非利己性と思いやりと解釈出来る。
 こう言うと単純に響くかもしれないが、その意味するところは絶大である。そこには階級、徒党、派閥といったものが全く存在しない。また、あら探し的態度、一方を弁護し他方を排斥しようとする態度が微塵もない。地上的交雑物のこじりついた宗派、門閥、ドグマといった、地上人類の分裂と流血の原因となってきたものが存在しない。
 実に単純な話なのである。地上の数少ない霊的指導者が古くから説いてきた訓えそのままがそこで現実となっているまでで、表現を変えれば『お互いに愛し合う』ということである。これが地上で実現出来たら地上世界が一変するであろうことは容易に想像できる。『天にあるごとく地にあらしめ給え』ー幾百億と知れぬ人々がその真の意味を理解しないまま、そう祈ってきた。が、繰り返すが、確かに地上の人間の一人一人がこの上層界の住民と同じように他の存在へ向けて友愛の精神で臨めば、地上人類の意識の次元が高揚されることであろう。
 それは決して奇跡とはいえない。何事にも原因があっての結果である。宇宙の大精神すなわち神は極微の原子にいたるまで支配している。かの著名な天文学者ジェームズ・ジーンズは『神秘の宇宙』の中で、『宇宙が一個の巨大な機械ではなく、一つの偉大な思想体系のように思えてきた』と述べているが、至言である。
 かつて無線電信が実験段階にあった頃『波長を合わせることが必要』ということが発見された。が、そうしたことに驚いた科学者が他界して霊の世界へ来てみると、そこにも次元の異なる波長をもった霊質の『物』が存在することを知ってさらに驚いている。霊的身体もそれに波長を合わせることによってその界層との接触を得ているのである。
 従って波長の合った環境にいる限りその生活は地上と同じく実感があり、そこの存在物は『固い』のである。もっとも、こちらではそれ以外の興味ある発達が色々とある。例えば私の場合は意識が全開し、その界の波長と一致すると、視力が望遠鏡的に鋭くなり、鮮明度と色彩が地上では信じられない程鮮やかとなる。
 例えば、ある時一見して地上の壁と変わらないレンガ塀を見ていると、レンガとそれを接合しているモルタルの粒子の一つ一つが鮮明に見えてきた。それが実に美しいのである。写真のプロが見たら焦点も深度と色彩も完璧と言うであろう。
 そうした幸福な上層界を霊視した人間が古来それを様々な用語で表現してきている。インドではニルバーナ、西洋ではパラダイス、北欧神話ではバルハラ、ギリシャ神話ではエリュシオン、インディアンの信仰ではハピー・ハンティング・グランド、等々。下層界についても同じく様々な呼び方をしているが、今の私には、歴代の予言者達が実質的に同じ事を言ったのは少しも不思議ではないように思える。