上層界の思念の速さ、生活のテンポの速さは地上的な時間の感覚では理解出来ないことがある。が、まったく時間を超越しているわけではなく、あくまで相対的な違いであり、地上の時間的経過と並べてみるとその差が分かる。1957年の夏に私は一晩のうちに霊界で実に一週間の休暇を楽しんだことがある。
 その時は離脱後に気がついてみると妻と共に、まるでおとぎ話の世界のような水と緑の土地にいた。青々とした芝生の岸辺にいて、目の前を静かなせせらぎが流れ、辺りの樹木の影が水面に映っている。全体が光輝によって美しい陰影が出来、それが全体の美しさを増している。
 詩人なり作家なりがこの田園的風景の美しさを叙述すれば何章もの書物となることであろうが、それでもなお十分には言い尽くせないものがあるであろう。なぜなら、その界の霊妙な波長を受ける霊的身体ならではの感覚は、地上のいかなる詩人、いかなる名文家にも分からないからである。
 さて、その場を離れる直前に私は『一週間』という感じを受けた。別に霊界には昼と夜の区別はないので日数を数えたわけではないが、何となくそれくらいの時間が経過したような印象を受けたのである。やがて妻と私は空中を移動したが、少し上昇したところでよく見ると、そこはスエズ運河のシナイ側のシャルファという地域の上空だった。そうと分かったのは、第一次大戦中にそこで海水浴を楽しんだことがあったからである。私は妻に戦場でなく楽しい思い出の場を見せることが出来て嬉しかった。
 それからさらに上昇し、一面の砂漠を下に見ながら私は妻に『アレキサンドリアの近くにも素敵な浜辺が幾つかあるんだ』と言い、すぐにその一つに言ってみた。そして砂浜に立って海を見つめているうちに霊界での休暇が終わった。そして間もなく私は肉体に戻された。
 ずっと上層界へ行けば時間的感覚は無くなるが、右に紹介した地上圏に近い幽界においては、行動の過程に伴って地上に似た一種の時間の経過があるようである。