霊的身体を使うようになってすぐに気づくことは、その望遠鏡的視力の威力である。これは肉眼の焦点と同じで、もっとよく見たいと思うと同時に自動的に働く。例えば、二百メートル先にいる人物に焦点を合わせると、その容貌から眼の色までが鮮明に見え、しかも全体像も周りの景色も拡大されていないのである。望遠鏡の場合だと全体が景色と一緒に拡大されて見える。あたかも自分のオーラの一部分が触手のように働いて必要な部分だけを見ているみたいである。
 さて、以上のことを書いたその晩に私はベッドの中で離脱して、背後霊によってその視力をさらに詳しく体験するチャンスを与えられた。連れて行かれたのは広い渓谷を見下ろす山腹で、波長はとても心地よく高揚性に富んでいたので、かなり高い界層であることを暗示していた。真夏の真昼時のような感じで、やがて視界に慣れてくると、数マイル先の緑の山頂に二人の人物が腰を下ろしているのが見えた。その二人に関心を向けると同時に私の望遠鏡的視力が増してきて、二人が並んで腰掛けている姿が浮き上がって見えてきた。
 よく見るとそれはインド人の男女で、華麗な服装に身を包んでいる。男性は王子だと直感した。ターバンを巻き、七分丈の白のコートを羽織り、宝石を散りばめてある。その横に典型的なインド美人が白のコートを羽織って腰掛けている。顔の周りには透き通るようなシルクの飾りひだが見える。間違いなく王女で、額の中央に今日のインド女性にも見られる例の黒い印が見える。
 その渓谷を通って一本の道があり、それが二人のいる山腹へと繋がっている。今その道を通って一人の来客があり、二人の前にうやうやしくお辞儀をし、しばらく言葉を交わした。その光景の麗しさとうららかさは私に強烈な印象を与えた。ほんの短い離脱体験だったが、肉体に戻ってから私はそれを光栄に思い、同時に教訓として受け止めたのだった。
 このように遠隔の地にあるものを位置を移動させることなく細かく見せ、かつ、今回のように霊格の高さまで認識させる能力はテレパシーに似ており、極めて容易でしかも霊界においては自然に思えるのである。霊的身体はまるで静電気のコンデンサーで、霊力が充電されているようである。その霊力は精神の働き一つで自由に操ることができ、そうした望遠鏡的視力の場合には流動性の触手が自然に出て、意志の働いている方向ならどこへでも自動的に伸びていくようである。