初期の頃私はよく霊界での講演会へ連れて行かれた。しかし他の体験と違ってなぜか講義の内容は肉体に戻った時に回想出来なかった。指導霊の説明によると、思想の内容が高度で、従って波長の次元が高いので、物的精神では理解も、或は受け止めることも出来ないということだった。私にはそれがよく分かる。というのは、例えば予言がなぜ可能か、どういう過程で行われるかについて、地上の言語で適格に説明出来た霊は一人もいないのである。
 講演会で聞いたことは霊的精神によって記憶されている。そのことは、次の講演会に出席した時に、会場へ入った途端に前回までの講義内容が一度に思い出されてくることで分かる。その事で興味深いのは、思い出す順序はきちんと最初から思い出されるのに、全体を思い出すのが一瞬の間だということである。これが霊的精神のスピードで、これでは物的精神には薄ぼんやりとしか思い出せないのも無理はないことになる。初めての講演会の時に面白いことがあった。会場は小じんまりとしたホールで、青色のブラシ天(ビロードの一種)の椅子が円形に並べてあった。私は新入生なので遠慮して一番外側の席を選んだ。ところが椅子に腰を降ろすや否や身体がふわっと浮いて、一番前の席に座らされた。
 その後に出席した講演会は地上の教室に似た椅子の配置をしていた。ある時隣の席に新しい生徒が座っているので何気なく目をやっていると、驚いたことにそれは私自身だった。私はしばしその素敵な姿に見とれていたが、ふと我に返った時にその二つの身体が合体した。
 二、三週間後にも同じ体験をした。が、その時は背後霊団も予め準備していたらしく、二つの身体が分離した状態を保たせて、私の『もう一つの自分』をじっくり観察させてくれた。とても若々しく、二十代の青年のようで、髪もふさふさとしていた。肉体の頭はずいぶん薄いのだが・・・。
 これは実に奇妙な現象であるが、同時に実に大切な意味をもっている。私と同じように離脱体験のある人の中にも別の自分に会った体験を述べている人がいるが、要するに霊的身体も一個ではなく複雑に出来ていることを意味している。
 さて、そこの会館にはいくつかの講演会場があり、ある時その一つを通りかかった時に、開いていたドアから講師の顔が見えた。その講師は1914年に私が所属していた陸軍の将校だった。その容貌から既にかなり向上しておられることが窺われ、私は嬉しかった。講師も私の思念を受け止められたらしく、私の方を向いてにっこりとされた。