●スピリットの語る『死後』の世界
 死後、順調に目覚めて向上し、人類の啓発の為に役立ちたいという願望のもとに、我々のサークル活動に協力しているスピリットが数多く出現して、生命の実相と死後の世界について語ってくれている。
 かつては、メソジスト派の牧師で、その後我々のサークルの一員として、娘さんと共に出席しておられたイェイツ氏が、死後僅か五日後に出現し、さらに数ヶ月後にもう一度出現して語ってくれた。以下は、その時の記録である。



 1920年10月27日
 スピリット=ウィリアム・イェイツ


「また参りました。もっとも、この場にはしばしば来ております。誰だかお分かりでしょうか。ドクター・イェイツです。
 今夜は、こうして皆さんと対座してお話が出来ることを、大変嬉しく思います。それに何よりも、このサークルがずっと活動を続けておられることが有り難いです。招霊会が開かれる時は必ず来ております。今夜も、勉強の為に、大勢のスピリットを連れて来ております。その賑やかな情況をお見せしたいくらいです。
 地上の人間にとって、生命とは何かということは大変な問題です。そのことを勉強し、物質に宿っての存在について学んでくださると有り難いのですが・・・。肉体を離れてこちらへ来るスピリットの多くが、無知の暗黒の中へと入ってしまうのは残念なことです。信仰心しか持たないから、そういうことになるのです。神を賛美し、歌い、そして祈ることばかりしております。近づこうにも近づけません。
 地球を取り巻くように存在する物的波動のエーテルの界層は、『地縛霊』と呼ばれるスピリットの住む暗黒の世界です。利己主義と無知が生み出す暗黒です。そこから脱け出すには霊的理解力(悟り)が芽生えて、霊的視力が使えるようにならなければならないのですが、その為にはまず、生命の実相について知り、自分の幸せだけを求める信仰を捨てなくてはなりません。
 その種のスピリットは、地上時代に人の為に汗や涙を流すことがなかった者達です。『人の為』ということがどういうことであるかを知らないまま、自分の為にだけ生きてきました。自分以外の人のことを考えるまで霊性が発達していないのです。
 その暗黒界の様相は、実際に見て頂く他はありません。私は二人の親戚の者に案内してもらったのですが、自殺者ばかりが集まっている境涯、狂信者が通う教会ばかりが立ち並ぶ境涯、スラム街、拝金主義者ばかりの街などなど、それはそれは凄絶を極めております。しかし、その事実自体も問題ですが、もっと問題なのは、そうした境涯のスピリットの出す波動が、地上の類似した人間の波動と合致して、生活を破綻に追いやっている現実です。
 このように、地球のすぐ回りに無知の世界が存在し、死後そこで目を覚ます者が多いのです。どんなに善人であっても、どんなに真面目な人生を送っていても、ただこれだけでは十分ではありません。死後の世界についての知識がないと、目覚めた後しばらくは暗闇の中にいます。その後、いつ霊的覚醒が訪れるかは、その人が地上で悟った霊性の程度(霊格)いかんによります。
 不思議なのは、地上生活において他人の為に役立つことをしたその行為によって、死後に落ち着く家と環境が築かれているということです。当然、清らかな人生を送った人には、清らかな環境が待ち受けておりますが、先ほども申したとおり、霊的摂理についての知識が欠けていると、すぐにそこへ行き着くことが出来ずに、いわば、道に迷ってしまうことがあるのです。
 面白いことに、自分のことしか考えない人生を送った人の霊界の家は、自分一人がやっと入れるような、小さな、ケチ臭い形をしております。連れ添う人も見当たらず、自分一人の侘しい環境の中に自分を見出すことになるわけです。
 そうした侘しさに耐え切れなくなって、神に救いを求めるようになった時こそ、向上のチャンスの到来です。高級霊の手配によって、まず地上時代の利己的な生き方が生み出した結果を見せつけられ、良心の呵責を覚え始めます。自分が害を及ぼした相手がまだ地上にいる場合は、その人の背後霊の一人として、その償いが済むまで援助してやらねばなりません。既に他界している場合は、そのスピリットを探し求めて、何らかの形で償いをしなくてはなりません。そうした段階を経てようやく、もう一段上の界層へと向上していくことになります。
 信仰というものは、何の役にも立ちません。大切なのは行為です。地上にいる間に霊的存在として為すべきことを実行し、そして神が創造なされたこの森羅万象の不思議さに目覚めなくてはいけません。存在の全てが神なのです。あなた方人間も、神の創造物の一つであり、花もそうであり、動物もそうです。そうした神の顕現を崇めずして何を崇めるのでしょう。我々は、神という存在のまっただ中にいるのです。
 宗教的ドグマと信仰をそのまま携えて霊界入りしたスピリットは、相も変わらず神を讃える歌を歌うばかりの生活に明け暮れており、『自分とは何なのか』『いずこより来ていずこへ行くのか』『真実の生命は一体どこにあるのか』といった疑問を抱くことがありません。霊的に居眠りの状態にあるのです。その大半が未だに地上にいるつもりで、歌い、そして祈るばかりです。かつての家族や友人が見当たらなくなったことに、何の不審も抱きません。
 そうしたことを、私はこちらへ来て二、三ヶ月して知りました。私にも住居があります。親戚も友人もいますが、地上時代とはまるで違います。私よりずっと早く他界したのに、未だに死んだことに気づかず、暗闇の中での生活を続けている者が大勢います。そういう人をなんとかして救ってあげないといけないのです
 今夜は、こうして皆さんと一緒に時を過ごすことが出来て、嬉しく思います。この仕事は、是非とも続けてください。皆さんの目には見えないかも知れませんが、毎回この部屋には、精神的に自由を奪われたスピリットや無知なスピリットが大勢連れてこられて勉強しています。
 地上人類は、これからしばらく困難な時代へと入るでしょう。これまでの罪悪と利己主義がその困難を生み出すのです。現代人はお金と我欲の為にのみ生きております。いつかはその生活概念を変えなければならなくなるでしょう。平和は、その後になります。今はまだ、お互いが闘争状態にあります。
 人間が最も控えねばならないのは、取り越し苦労です。不安を抱くと、オーラが不安の波動に包まれます。内部に神性が宿ることを自覚して、自信を持つことです。人格を備えた神ではなく、全大宇宙の根元である生命体としての神の力、創造力、愛の力が宿るということを自覚して、不安を追い払うのです。
 例えば、スピリットに憑依されるのではないかという不安が生じた場合は、『自分は自分の身体の主なのだー他の何者にも入らせないぞ』と自分に言い聞かせて、それを何度も繰り返すのです。そのうち霊的な力が湧き出て、それが身を守るようになります。それと同時に、邪心や悪感情を心に宿さないようにすることも大切です。(ウィックランド博士に向かって)先生、妻と相談の上、私の葬儀をパーティーにしてくださったことにお礼申し上げます。あれを葬儀だと思った人は、まずいないと思います。まさしくパーティーでした。私はずっとあの場にいました。皆さんに黒い喪服でなく、明るい白の衣服を着てくるようにお願いしてくださったことにも感謝いたします。
 これからの葬儀は、すべてあのようであってほしいと思います。喪の悲しみの念は、スピリットに余計な悲しみと苦しみと陰鬱さを呼び寄せます。その陰鬱さから、何年も脱け出せないでいるスピリットが大勢いるのです。
 では、この辺りで失礼します」