●妻の背後霊が語る『生命の実相』
 かなり以前の話になるが、妻の親友にラックマンドという女性がいて、その人の子供が、生後二年半で発作を起こして精薄児になってしまった。
 霊感の鋭かったラックマンド夫人は、それがスピリットの憑依によるものと直感し、妻と共に憑依現象の研究を始めた。
 さて、ラックマンド夫人が他界する一年ほど前に、妻との間で一つの約束が出来ていた。それは、どちらが先に死んでも、死後の存続を実証してみせる、ということだった。その約束どおり、夫人は、二週間後の夜に物質化して、妻の枕元に立った。が、その容姿があまりにも地上時代そのままなので、妻は、一瞬それがスピリットであるとは気づかなかったという。が、夫人がかがみ込んで妻の頬に手を触れた時に、我に返った妻は、
「まあ、ラックマンドさん!」
 と叫んで起き上がった。すると夫人が、
「アンナ、スピリットが地上に戻ってくるのは本当よ。あたしは、これからあなたの霊能を発達させてあげる。招霊会の仕事は続けてね」
 と言った。
 その後、夫人は、交霊会に再び物質化して出現し、前回と同じように『スピリットが戻ってくるのは本当よ。招霊会は続けてね。あたしが、あなたの霊能を発達させてあげる』と述べた。
 以来、ラックマンド夫人は、妻の背後霊団に加わって、主に身体の保護を担当し、同時に度々出現して語っている。次がその一つである。


 1920年9月29日
 スピリット=ラックマンド夫人


「地上の人間は、なぜこうも神または生命について正しく理解しないのでしょうか。やたらに神という言葉を口にしないで、或は自分で為すべきことを神にお願いしないで、神とは『理解』という名の光であることを知るべきです。そう理解すれば、利己主義も取り越し苦労も争いごともなくなるはずです。
 例えば、拝金主義がなくなるでしょう。金さえあれば幸せになるかに考えるようですが、そもそも幸せとは何かをご存知ありません。買いたいものが買え、食べたいものが食べられ、飲みたいものが飲める程度のことが幸せと考えて、その為には先立つものは金と考えるようですが、そうなることは身体の健康にとって害にしかならないことを知りません。
 人類が進歩すれば、大自然に顕現している驚異的な神の御業を理解することこそ、幸せへの道であることを悟るようになるでしょう。花の一つ一つが、神の顕現なのです。花の香りも神の顕現なのです。神がその存在を知らしめる為に発散なさっているのです。手で触れなくても、その美しい花から輝き出る(と私は言いたい)香りを通して、神の存在を知ることが出来るのです。たとえ目には見えなくとも、分かります。大気中に広がっているからです。
 花の一つ一つが、神の御業です。同じものが人間にこしらえられますか。絵の具で同じ色が描けますか。あの香りが出せますか。それにまた、なぜ品種ごとに個性のある花を咲かせて、なぜゴチャゴチャにならないのでしょうか。赤い花が、なぜ緑色になったりしないのでしょうか。
 花や植物の世界から動物の世界へと見てきますと、男と女の人間界には見られないもの、すなわち絶対的忠誠心ともいうべきものがあることが分かります。人類は万物の霊長であるべきところを、懐疑心と教義によって、雁字搦めにされております。自分を聖なるものと信じている人が多いようですが、勝手にそう思っているだけです。
 日常生活において、それに相応しい努力はしておりません。
 日曜日に教会へ行き、神へ祈り、『あなたに忠実に生きております』と申し上げながら、教会へ通わない人のことを悪し様に言います。本当は、その人達の方が自分に正直に生きている場合があるのです。その意味では、神におべっかばかり言っているクリスチャンよりも、よほど真摯に生きております。
 人間に憑依する地縛霊は、いわば人工の『悪魔』です。利己心がそういうものを生み出しているのです。生命の実相を知らないまま肉体から離れた後、地上時代に信仰していたことと何もかも違うことを知って戸惑い、挫折し、憎しみを抱き、彷徨い歩いているうちに、同じ波長の人間に憑依してしまうのです。
 その種のスピリットには気をつけないといけません。精神病の研究に熱心に取り組んでいるようですが、肝心の霊的原因を知らずにいます。霊的実相を知らないまま彷徨っている地縛霊の憑依が全ての原因なのです。そのことを知らずに、精神病者はすぐに隔離されますが、モルヒネを打たれて閉じ込められるだけのことで、他の人間に害を及ぼさないことにはなっても、本人には何の意味もありません。
 ラックマンドでした。失礼します」