●スピリット劇団の演じる道徳劇
 極めて特殊な霊媒現象として、スピリットの劇団が、妻のアンナをまるでマイクロフォンのように使用して、道徳劇をラジオドラマのように演じてみせてくれたことが何度かあった。
 劇団員の数は十二名ー俳優が十一名と演出家一名で、地上ではロシア系スラブ民族に属していたという。演出家の指示のもとに、きわめて容易に、そして迅速に、霊媒をコントロールするので、その交替の変化が側から見極めがつかないほどである。
 言葉は、妻の知らないロシア系スラブ語であるが、その言語を知っている人達の証言によると、妻の口から出る言葉は完璧だったという。衣装は我々サークルの者には見えないが、霊視能力者に見てもらったところ、間違いなくスラブ系の民族衣装を着ていて、実に奇麗だったという。妻の背後霊団の一人が通訳を務めて、劇団員の一人が劇の内容と目的を次のように説明してくれた。

「私達は十二名から成る劇団で、今回の催しは、この霊媒を通して死後の存続とスピリットによるコントロールの真実性、および地上時代と全く同じように演技出来ることを証明することが目的です。
 霊界では地縛霊に見せております。その多くは死んだことに気づいておらず、地球のすぐ近くの界層で半醒半夢の状態でおります。
 公演に先立って音楽家による演奏があります。それを聞いて、一人また一人と目を覚まします。そして起き上がってきますが、自分がどこにいるのか、どういう状態にあるのか、を知らずにいます。が、音楽による刺激で、少しばかり霊的自覚を覚える者もいます。
 劇を演じるのは、それからです。登場人物は皆、象徴的な意味があり、スピリットが向上していくには、利己的で下品な、ケチ臭い属性を克服しなければならないことを教えるようになっております。
 主役の女性は愛を表し、相手役の男性は真理を表します。無法者は利己主義を、年配の女性は軽率さを、役人は正義を、裁判官は叡智を表します。そして法廷における証人は、知識・無節操・悲劇・病気・欲深を象徴しております。
 話のあらすじはーヒロインの『愛』は密かに『真理』の男性に恋心を抱いております。が、彼女の家には『軽卒』という年輩女性がいて、これが無法者の『利己主義』に思いを寄せています。
 さて、『真理』が登場して『愛』にプロポーズします。それを『愛』が受け入れると、すぐに『真理』は退場します。入れ代わって『利己主義』が登場して『愛』を一人占めにしようとします。それが拒絶されたところへ、艶かしく着飾った『軽卒』が現れて『利己主義』を『愛』が奪い取る為に媚態を演じます。そのことに怒った『利己主義』が『軽卒』を脅すように叱り、ライバルの『真理』を殺してやると誓いながら退場します。
 驚いた『愛』はそのことを知らせようと恋人の『真理』へ宛てた走り書きを召使いに託します。が、時既に遅く、『真理』は途中で待ち伏せしていた『利己主義』に襲われ、剣での果たし合いの末に致命傷を負い、苦しみながら息を引き取ります。これは、人間の高潔な本性が、利己主義によって蝕まれていくことを象徴しています。
 召使いは、大急ぎで帰って来て、そのことを女主人の『愛』に伝えます。驚いた『愛』は、その現場へと急ぎ、『真理』の死を見届けると、その場に跪き、祈りを唱えつつ短剣で自らを刺して死にます。
 かくして『真理』が死んだことで『愛』も死んでしまったことに激高した『利己主義』は、この世に神なんかいないと断言して、復讐を誓います。そこへ役人の『正義』が到着し、殺人者の『利己主義』に手錠をかけて拘留します。その後『愛』と『真理』の葬儀が行われます。
 『利己主義』は『正義』によって裁判官である『叡智』の前に引き出されます。そして最後に、知識と無節操と悲劇と病気と欲深の全証人が、『利己主義』さえいなかったら『愛』も『真理』も死ななかったはずであると証言します。
 『叡智』は『利己主義』を追放処分にします」

 同じ劇が1923年の5月に催された時は、アメリカを講演旅行中のコナン・ドイル夫妻も出席しておられた。そして(二度目の米国冒険旅行)という著書の中で、こう述べておられる。
「まさに驚異としか言いようのない上演で、我々はただ驚嘆するばかりだった。私は、当代きっての名優を数多く知っているが、果たしてその名優達が、ステージもコスチュームもなしに、あれほど説得力のある上演が出来るだろうかと想像すると、どうも疑問に思える。
 上演してくれたスピリット達の説明によると、彼らは霊界での劇団で、低界層の未熟なスピリットにモラルを教える為に上演しており、この度はウィックランド夫人の素晴らしい霊媒能力を利用して、我々の為に演じてみせてくれたのだった。
 実に印象的な体験だった」