あ〜あ、書きたくねぇ・・・。クダラねぇ・・・。死にてぇ・・・。けど、霊的知識を得て自殺は駄目だと知ったので、なんとか生きてます。

 つーか、本当にもう、書いてて恥ずかしくなるので、ちゃんとした文体では書かないから。殴り書きだから。悪しからず。ご了承くだせえ。






 管理人の人生



 『人間失格』風に言うと、恥の多い人生を送ってきました。

 私は、まず長野県の母の実家の近くの病院で生まれて、一ヶ月くらい過ごした後、父の実家がある神奈川県の某街に来ました。

 幼い頃のことはよく覚えていません。なにせ、今日の朝食も思い出すのに19秒くらいかかるほどボケてる記憶力なもので。保育園には行っていました。祖父母と両親と俺と、あと妹二人で暮らしていました。

 そんで、地元の小学校に入学しました。ゲーセンに行ってロボコップのゲームしたり、ビックリマンのシール集めたり、ガンダムのゴム製のガチャポン集めたり、ドラゴンボールのカードダスを集めたりしていました。一応、その頃は友達がいましたので、一緒に化石収集に行ったり、近くの沼がある自然の広場に行ってザリガニを釣ったりしていました。あと、ファミコンで忍者龍剣伝とかやっていました。ただ、いじめっ子から学校の横の坂を逃げていた記憶も断片的にあります。まあ、なんだかんだ言って、その頃は、別に大きな波風もなく、時間が過ぎていっていました。 
  それで、小学四年生の時に、両親が、実家から少し離れた街に一戸建てを買ったので、祖父母と別れて、そこに引っ越しました。それで、俺も引っ越し先の地元の小学校に転校しました。

 なんか、まぁ、思えば、やっぱりここらへんから崩壊の兆しがあったのだろうか。んで、転校して、なんとか馴染もうとしたのかな。でも、積極的な性格ではないので、ウジウジしていました。ただ、集中して虐められるということはなかったけど。なんとか、馴染もうと、ヘラヘラしながら馴染もうとしていました。それで、偉ぶった同級生のランドセルを持ったりしていた記憶がある。それで、好きでもない同級生から告白されて、なんか周りがヒューヒューと煽てたような記憶がある。俺は全然どうでもよかったのに。まぁ、そいつとは付き合ってもいないし、何もなかったけど。上手く逃げていたな。

 なんとか、かんとか・・・とにかく、小学校は卒業しました。 そんで、次に、地元の公立の中学に入学しました。ここから、本格的に人生の歯車が狂い出します。
 小学校の時は野球をやっていたんだ。でも、ピッチャーやっても四球と死球ばっかりで解任されて、今度はファーストやっても、捕球できずに後ろに逸らしてばかりで、てんで駄目だった。だから、野球には見切りをつけて、大勢入部していたサッカー部に入部しました。
 でも、休日も練習して一生懸命に頑張ったのに、なかなか上手くなりませんでした。特に、他人と激しく当たって、競り合うのは苦手でした。んで、俺よりも頑張っていない、片手間で練習しているような奴がレギュラーとったりして、やはり才能の違いを見せつけられました。 
 それで、3年の時に2軍の試合に出るくらいでした。ま、それは全員上級生は出られるんだけどね。俺は運動神経はなかった。

 学校生活は、なんかなぁ。別に面白くないよ。俺は、集中して虐められるタイプではなかったが、しかしからかわれたり、なんか微妙なポジションでした。ま、面白いこともちょくちょく言ったりして、なんとか周囲に溶け込もうとしていました。 
 中学1年の時に、クラスメートから電話で告白されたことがありました。その時は、他に好きな子がいるからと、断ったのです。それならそれで、その好きな子にアプローチしたかというと、結局何もせずに終わりました。だったら、経験の為にも、その告白してきてくれた子と付き合っていれば、今頃、もっと積極的な人生になっていたかもしれません。とにかく、俺の敗因は、とにかく悲観的で消極的ということでしょうか。
 んで、中学2年の時に、既に体毛が濃かった。そのことをとても気にしていたのですが、その体毛が濃いことを同級生の奴にものすごい悪意をもって指摘されたのが、とてもショックでした。だから、その日のうちに、全身の体毛を剃ってしまいました。だけど、すぐに剛毛が生えてきて、次は毛抜きで抜いたりして、もう、そこから地獄でした。体育の時間なんて、脚とか腕を露出したくなかったし、まして水泳の時間は、生き地獄でした。近くの街の小さなプールで授業したのですが、俺の脚の毛が変なので、周囲の視線が死ぬ程恥ずかしく、死にたい気持ちでした。

 はー、マジ、体毛が薄かったら、人生全然違ってたわ、本当に。まさかこれほど、体毛ごときが人生の歯車を大きく狂わすとは・・・。

 剃ったら剃ったで、また黒々とした断面で力強く伸びてくるし、抜いたら抜いたで、埋没毛となって皮膚の下に何百本も潜って生えるし。それを気にし出してね。マジで剛毛の人が毛を抜いたら、その後から黒い斑点みたいな埋没毛がポツポツと大量に生えてきて、気持ち悪くなるよ。まして学生なので、絶対に体育の時間とか、運動会とか、色々と素肌をさらす機会がありまくりでしょ。社会人なら、職業によっては隠し通すことも可能だけどさ。本当に、自殺したいくらい悩みました。毎日、帰っては自分の肌を見て鬱になり、何十分、何時間も毛抜きで一本一本抜いて、そんな感じで、地獄の時間でした。
 そんで、どんどん、ますます、ウジウジした性格になり、内向的になっていきました。

 それで、もう受験なんて考えられなくなり、また、将来の思いとか、見通しとか、計画とか、そんなのに気を向かせる気力は皆無になりました。
 そんな生き地獄の中でも、どんどん時は経過していったので、とうとう受験となりました。俺は、隣街にある、学力レベルでいったら中の下か、あるいは下の上程度の、公立の普通科の高校に進学しました。
 そこでは、もはや、友達なんか一人もいなかったな。中学の時は、ヘラヘラしながらも、なんとか周囲に溶け込もうとしていたが、もう高校では、鬱みたいになって、もう単独行動ばかりでした。あ〜ぁ、やだなあ。楽しい青春とか、なんなんですかね。そんなの知りませんよ。地獄なら知ってますけど。
 それで、部活は、一応、ワンダーフォーゲル部に入部しました。それは、中学の時の友達が、一応、その部に入部したので、誘われたから入ったのですが、別に特段、興味があった訳ではないです。そんで、槍ヶ岳とか行きました。けど、槍ヶ岳って一体何県なのか、忘れました。本当にもう、記憶力は三流なのに、忘却力は一流なので困ります。そんで、槍ヶ岳とかの遠征は、夏に一回だけ、四泊くらいでした。俺は暇だから、断れなかったし、一応、三回とも出ましたが、同時入部の人達はどんどん退部とか出席しなくなって、最後には3年生は俺一人だけ参加して、もうバカみたいでした。その時も、下山したところの温泉で、下級生に体毛を見られやしないかとビクビクしていました。 その他の活動としては、月の一回だけ、日帰りで、近くの丹沢とかに行ったりしていましたが、無活動の月もけっこうあったように思います。とにかく、部員はほとんどいませんでした。全学年会わせて5人くらいかな。だから、部活といっても、ほとんど活動していませんでした。トレーニングも、なかったし。自主的にちょっと学校の周りを走ってみたりしたけどね。まぁ、相変わらず、部活のない日は、何時間もかけて体毛を抜いたり、週刊誌に載っていた体毛をまとめて抜くワックスでビリリと抜いたり、イタリア人の博士の開発した体毛が薄くなる液体を一万円くらい出して買ったりしましたが、まったく効果はありませんでした。抜いても剃っても生えてくる体毛地獄に、どうしようもありませんでした。
  マジで、平日の帰宅後とか、休日とか、体毛のことばかりに気を取られて、せっせと抜いたり嘆いたり鬱になったりしていました。他のことは気が向かないで、そればかり気にしていました。

 学校生活は、友達が一人もいなかった。部活の中学の頃の友達も、クラスは違ったし、そもそも部活自体ほとんど休部状態だったし、その元友達も退部とか参加拒否とかでどんどん疎遠になりました。
 だから、一人、昼休みは図書館で孤独、休み時間は机に寝てばかり、あるいは一人で意味もなく廊下うろうろ、あるいはベランダから外をポカーンと意味もなく眺めていました。
 高校生活は、嫌でした。中学も嫌でしたが、高校も嫌でした。相変わらず体育の時間はあるので、肌をさらさねばならなかったし、もうこの年齢なら付き合っている者は周りに大勢いて、青春を謳歌しているのに、俺は相変わらず一人でウジウジしていました。ウジみたいにいくらウジウジしても、変態してハエになって飛び去ることは出来ませんでした。ずっとウジ虫のままでした。だから、修学旅行の時なんて地獄で、友達でもなんでもない人達のグループに無理矢理班分けで入れられて、とても気まずい思いをしました。 そいつらは楽しそうにワイワイ騒いでいるのに、俺は一人そいつらの後をついていくなんてね。
 あとは、漢字検定くらいかな。頑張ったのは。というのも、一人っきりだったので、机で漢字の勉強していただけでした。
 それで、進路ですが、一年生の時の進路相談では、警察官になりたいとか、自衛官になりたいとか、色々と担任に話してはいたのですが、なにぶん、そんな体毛のことで手一杯だったので、前向きに真剣に考える余裕はありませんでした。もう、精神状態は、ギリギリで生存していたのですから。下らない理由で、よくもそんなに悩めるなぁとお思いでしょうが、事実なのだから仕方がない。その時の俺は、そういう精神状態だったのだから。 
 それで、とうとう3年生になりました。俺は相変わらず体毛のことばかりで、もう鬱で、人生を前向きに考えることなど不可能でした。その頃には、警察官になるのも諦めました。自衛官も諦めました。体毛でこれほど悩んでいるのに、集団生活など出来るはずがないと思ったからです。そんな、公務員試験を受けるような前向きな精神状態ではなかったのです。とにかく、現実から逃げたかったのです。

 それで、ワンダーフォーゲル部だったこともあり、山をたくさん見てきたので、どこか他県の山間部でひっそりと林業でもして暗そうかなあ・・・じゃなかった・・・暮らそうかなぁ・・・と思って、林業の専門学校に進もうと思ってしまいました。林業作業員なら、夏でも長袖長ズボンの作業着だから、体毛を見られずに済む、という考えが主な理由でしたけど。本当に、体毛の濃いことが、人生を間違った方向に導いてしまいました。膨大な時間を、体毛の処理に費やしてしまったし。もう、俺の人生、体毛が薄ければ、全く違ったものとなっていたでしょう。事実、小学生の頃は、なんだかんだ言って、わりと明るく、上手くやれていたのだから。それが体毛が濃くなって、体毛を剃ったり抜いたりするようになってからというもの、もう、地獄になりました。毎日、暗黒でした。

 それで、最初に長野県の林業の学校の受験を受けたのですが、落ちましたので、岐阜県の美濃市の林業短期大学校というところを受験したら、受かりました。そこに行くことにしました。別に、ウキウキしながら前向きな気持ちで行ったんじゃない。どんよりとした鬱状態で行ったのさ。

 アパートの家賃、生活費、学費は全額、親が出してくれました。俺の両親は、そこそこよいところに勤めていたのでした。でも、そのせいで、俺はとても甘やかされてしまったので、現実を力強く行きて行く力が身に付かなかった。小学生のテストで80点以上とったら一万円くれたりしていたし。某芸能人の息子みたいに、安易に大金を貰えたせいで、世の中を甘く見る癖がついていたのかもしれません。そのくせ、俺の親は、世の中について、道徳について、その他、何にも教えてくれませんでした。ただ、文字通り、育てただけでした。

 んで、岐阜県のその学校に行ったら、一学年18人くらいしかいなくて、おまけに、俺の年でその学校は取り壊されることになっていました。なんか、隣りの敷地に、新たに森林文化アカデミーという学校が出来て、そこにはなんだか優秀な生徒がたくさん応募してきたみたいだが、俺んところのは、ロクでもありませんでした。まあ、ロクでもないので、岐阜県庁は無駄だと判断して、廃校にすることを決定したのだろう。岐阜県管轄の学校みたいだったから。事実、卒業してパチンコ屋に就職したり、まったく別の方面に就職したりする奴もけっこういて、岐阜県が補助金だす必要ないじゃんと判断するのも必然でした。つーか、別に林業を本気でやりたいのなら、別に専門学校に進まなくても、直に森林組合に就職して頑張ったほうが、絶対よいと思うけどな。
 ようするに、この学校は、就職するまで遊びたい人達が、2年間だけ遊ぶために入ってくるようなところでした。ま、類は友を呼ぶなのか。俺も含めて、ロクな奴はいなかった。
 授業中に堂々とイビキかきながら寝てたり、後ろで携帯ゲーム機遊んだり、漫画読んだり、つーかそもそも、ギリギリの出席日数で済むように、他の奴らサボってばかりだったし。授業あるのに、堂々とサボって車で遊びに行ってたし。 外部から来た先生も、「本当は私はここで授業したくはないんですがね」なんて言っていたし。
 俺は一応、真面目だから、授業は聴いていたが、しかしそもそものここに進学した理由が、林業の熱意に基づいたものではなかったので、真面目に見えつつも、俺だって他の奴らと同じで、実際は不真面目でした。色々なことを教わりましたが、今では針葉樹と広葉樹の違いくらいしか分からん。他の知識、全部忘れました。もともと記憶力は至極悪いし、その上なんの興味もない分野だったので、なおさら記憶に残らなかった。
 俺自身は、なんとかへりくだりながら、みんなに溶け込もうと努力はしました。んで、なんとかそこそこ上手にわたってはいました。 同級生は全員男でした。県外から来たのは数人で、俺は神奈川県から来たので、『カナガワ』と呼ばれていましたが、健一と呼ばれることもありました。同じ齋藤という名字の人がいたので、名字で呼ばれることはあまりなかったな。
  そんで、バイトは、電気屋のチラシをポストに入れる単発のバイトを二日と、2学年の時に数ヶ月、ガソリンスタンドでバイトしました。時給700円でした。冬だったので寒かったです。
 そんで、修学旅行はカナダに行きました。別に、特に、そんなによいとは思いませんでした。ここでも一人っきりで行動する性質が表れて、みんなは左に行くのに、俺は一人で右に行こうとして、おいおい、どこに行くつもりだと、注意されました。また、自由行動の時に、夜の街を一人でブラブラ歩いていたら、黒人が寄ってきて、俺は腹が減っているとかで、ピザを奢りました。その後、俺がもっと上手いものを買ってきてやるから5000円よこせとか言うので、あげたら、それっきり帰ってきませんでした。外国は怖いですね。つーか、その頃の俺は、服装のセンスゼロで、作業服で街をブラブラ歩いたり、今から思えば、超恥ずかしいですね。
 
 んで、卒業間近になったので、どこかに就職する必要がありました。で、俺は地元の神奈川で色々と探したけどなくて、広島の森林組合の募集を見たので、そこに行ったら、超大勢応募してきていて、落ちました。その頃は林業はなかなか注目されていて、田舎で暮らそうブームみたいなものがあったと思います。ま、落ちたのは、それだけが理由でなくて、俺に真のやる気がなかったのがバレたからでしょう。
 そんで、最終的に、ある木材関連の中小企業に就職しました。そこには、もう一人、同級生が就職しました。いや、特にそこに絶対に就職したかったわけではない。とにかく、2年間学んでしまったのだから、とにかくどこかに就職しなければならないという思いから、そこに決めたのでした。そこの採用担当者は、「こんなに優秀な人をどうもありがとうございます」とか学校の就職担当者に言っていたけど、あんなのはただ、期末テストの数日前から勉強すればある程度の点数は取れるし、そんな勉強法だから、またすぐに忘却してしまうのでした。だから、結局、林業の専門学校に行った意味なし。だって、そこは給料はよくなかったし、中卒の人でも入れるし、外国人でも入れるし、神奈川の方がよっぽど好条件の仕事あるでしょ。俺、本当にバカだなあ。なんでわざわざ、岐阜県なんて行って、低条件の選択をしたのだろう。ま、体毛が原因だけどな。体毛が、俺の人生を大きく変えてしまったな。はぁ、体毛が薄ければなぁ。体毛なんて気にすることなく、恋人も出来ていただろうし、林業の専門学校なんて行くこともなかったろうになぁ。