それで、すぐに新たな仕事を探そうと、とりあえずネットやハロワで調べました。でも、せっかく自由になったのだからと、少し遊びたい気分になりましたので、風俗に行きました。というのも、俺は24歳までは童貞で、キスもしたことがなく、勿論、誰とも付き合ったことはなかったのです。しかし、専門学校を卒業する直前に、どうしてもセックスを体験したくなり、川崎のソープ街に行ったのでした。それまでは浪費の対象は主に物欲でした。しかし、物欲に関しては、不要品を買いまくって、ある程度の見切りというか、悟りみたいなものは成し遂げられていたので、この頃は、そんなにモノに浪費しまくるということはありませんでした。しかし、今度は性欲に金を使うことを知ってしまったので、性欲にジャブジャブ浪費するようになってしまいました。
 
 それまでは、性欲に関しては、宗教面の制約というか、キリスト教の教えみたいな部分で、本当はセックスを体験してみたいけど、体験していませんでした。
 その理由の発端は、こうです。俺は高校生の時に、あまりにも孤独で、暇な時は、図書室でキリスト教徒の聖人のアルベルト・シュバイツァーの本とか、聖書とか読んでいました。その後、岐阜に住んでいた時に、キリスト教系のエホバの証人が何回か訪ねてきたのです。その時は、まだ精神的に弱っていなかったので、お断りしました。
 それから時が経ち、福祉の専門学校の学生時に、アパートで暮らしていた時に、エホバの証人が訪ねてきたのです。その時は、とても精神的に衰弱していたので、何か、ワラにもすがりたい思いだったので、ついつい話を聞いてしまいました。それ以来、扉を開けて、勉強会を俺の自宅の玄関先で、毎週一度、一時間くらい開くようになりました。
 そのエホバの証人は、中年男性でした。金銭を要求することは一切なく、無償で、わざわざ遠いところから俺のアパートまでやってきていました。 その男性は夫婦でエホバの証人で、奥さんも一緒に来ることもありました。子供はいないようでした。仕事以外の時間を、ほとんど伝動の訪問活動に費やしていたようです。
 俺は、最初の頃は、初めてのキリスト教の勉強会だったので、物珍しく、けっこう聞き入っていましたが、やがて色んな疑問点が出始めました。う〜ん、この科学の時代に、何を的外れなことを言っているのだろうと。でも、相手は熱心に、俺のために無償で教えに来てくれているのだからと、変な質問は自重していました。そんな感じで、疑問を抱きつつも、数ヶ月間、その訪問は続きました。
 それと同時に、えーと、エホバの証人会館だっけ。そういう名前の、エホバの証人の集会の為の地域の会館によかったらいらっしゃいということで、俺はちょくちょく顔を出すことになりました。その会館は、建設業者が建てたのではなく、全部信者が建てたそうです。すごいな。
 そこでは、まず賛美歌から始まり、長老と呼ばれるリーダーが、その日の式を進行していました。人数は毎回30人から40人くらいいました。幼い子供から老人まで、幅広い年齢層でした。集金箱みたいなのがあり、強制ではないけれど、そういう気持ちになったら、お金を入れてくださいということでした。毎回毎回タダで出席するのは悪いので、行く度に数百円入れていました。なにせ、いつも教材の雑誌とか、聖書などを無料で貰っていたので。俺はそういう部分で、変に義理堅かった。
 でも、疑問に思ったのは、勉強のコーナーなんだけど、その日に使う雑誌にあらかじめ答えが書いてあった。だから、自分で考えて回答を発表するというのではなく、もう既に、解答は用意されていたのだ。回答じゃなくて解答だった。だから、もうアホみたいに思えてしまった。これは、俺の自宅での勉強の時もそうだった。相手が、「それでは齋藤さん、これについてどう思いますか?」と尋ねて、俺がチラっと解答のページを見て、その通りに答えると。う〜ん、大いに疑問でした。でも、みんな、性格は本当に良い人ばかりのような印象でした。暴力的な人は一切いなかった。
 やがて、神奈川県内にある、
エホバの証人の関東地方の大拠点みたいな施設で、今度、大集会があるので、来てみないかと誘われたので、一応、行ってみました。
 そこは、ちゃんとした服装でないと行けないようだったので、俺は一応、スーツで行った。街の駅からは、もうゾロゾロと黒い色の正装をした人達が大勢、その施設に向かって歩いていました。それで、トヨタの大工場みたいにクソ広い敷地に、大印刷工場と、大ホールがあった。その印刷工場では、関東地方の信者が、無報酬で働いているらしい。なんだか一年だか二年だか勤め上げれば、賞賛されるらしい。そこで印刷された聖書や雑誌は、全国だっけか?配送されるらしい。まぁ、印刷工場の方は、中は見なかったけど。
 それで、俺は信者の人に導かれて、大ホールに入りました。もう、何千人もの信者で溢れていました。俺は、俺の担当の信者の人とは離れて、一人で前方の席に座って、式の進行を見ていました。まぁ、内容は、うろ覚えだが、賛美歌を歌って、進行役の人が個別の賞賛すべき信者の人を讃えて、今回、この場で洗礼を受ける信者達を紹介する、という内容だったと思う。それで、やがて式が終わり、今度はみんなで移動して、近くのミニプールみたいなところに移動した。そこには、今回洗礼を受ける老若男女が8人くらいいた。そして、順番にプールに入り、係の人に頭まで沈められて、すぐに引き上げられた。これで洗礼完了らしい。すると、周囲のみんなが拍手して賞賛していた。俺はこれを見て、やっぱりここは合わないと思い、けっこうヤバいんじゃねえかな・・・なんて思いました。まぁ、それ以前から積み重なってきた不安感が、この時、確信に変わったというか。でも、この時の俺は、優柔不断だったから、まだ俺の担当の人に、もう会いたくないと、伝えることは出来なかった。それは、今まで散々、無償で付き合ってもらったのに、そんな冷酷に突き放すことをして、果たして良いのか?と思ったからでした。そんな感じで、家に帰ってからも、オロオロしていました。だって、あとでよく調べたら、エホバは輸血禁止とか、色々理解不能な教えがあったことを知ったから。
 
 そんな時、ふと、近くにキリスト教の教会があるのを思い出して、勇気を出して、そこに行ってみました。それは、エホバは嫌だけど、他のキリスト教ならいいんじゃないかと思ったからでした。そこはカトリックの教会でした。尋ねると、誰もいませんでしたので、集会所を覗いていたら、暫くして、白人の老人の神父さんが来ました。それから洋食屋に連れて行ってもらって、話を聞いてもらいました。それで勇気が出て、思い切ってエホバの男性に、直接はとても話せないので、メールで「すみません、もう会えません」と連絡しました。その後、「もう一度会いませんか?」というメールが来ましたが、無視しました。そうして、今度は、カトリックを学んでみようと思い、ちょくちょく日曜のミサに出席し出しました。
 月日が経ち、初心者向けの一年間の講座が開かれるというので、それに応募しました。その講座には、最初は8人くらいいました。俺が最年少で、老人の人や中年の人、あと若い人もいました。やがて始まって、すぐに一人か二人が抜けましたが、それ以降は、都合で出席不可能な人もいましたが、なんとか進んでいました。毎週、平日に一回、夜に開かれていました。
 この講座は、エホバの勉強会みたいに、あらかじめ一つしかない解答を答える形式ではなく、ちゃんと自分で考えて進んでいく形式のものでした。最初は優しいことから、やがて聖書を使って 、イエスの教えを学んでいきました。
 ・・・・う〜ん、でも、やはり、何というか・・・言っていることはとてもいいんだけど、やはり、この21世紀の科学万能の時代に、二千年前の価値観というか・・・やはりちょっと、しっくりと理解できない部分があった。けど、俺はそんなことを質問したら、周囲の皆さんの信仰心に悪影響を与えてしまうだろうし、 いや、これは信じなければならないんだと・・・・。なんか、『信仰心で信じる』ということと、『理性で納得する』ということが心中で水と油みたいに反発しあっていて、いまいち、100%納得は出来なかった。しかし、そんな心中ながら、勉強会はどんどん進んでいった。それで、福祉の専門学校を卒業する間近あたりだったかな。とうとう、洗礼を受けることになりました。みんな、ガブリエルとか、マリアとか、思い思いの気に入った名前を選びました。そして俺は、ラザロというマイナーだけど、イエスに愛された男の名前を選択しました。
 ・・・・でも、心中では、こんな名前ごときで、一体何がどう変わるというのだ?と思っていました。これは仏教の戒名もそうだ。死人に対して、あんな長々とした戒名つけたところで、一体、何がどう変わるんだ?戒名ありの人と無しの人で、死後、その魂にどういう違いがあるのか、不明であるし、値段によって戒名が変わるというのも、超不思議である。正直、アホらしいと思います。
 一応、俺は洗礼を受けて、齋藤・ラザロ・健一になったわけだけど・・・別に何も変化はなかったぞ。そんな気持ちだから、その後、次第に足が遠のいて、月に二回・・月に一回・・・二ヶ月に一回と、段々と教会には通わなくなっていった。
 そんな時、本屋で『シルバーバーチの霊訓』なるものを見つけて、そこには俺が納得できる形での霊示が書いてあったので、俺はこれを信じることにした。勿論、これはあくまで俺の意見であるから、みんなは各個人の信じるものを信じれば良い。でも、俺はこれが理性で納得できたので、このシルバーバーチの霊訓を含むスピリチュアリズムに則った形で、このサイトで、自殺防止を訴えているというわけだ。まぁ、俺の宗教の変遷というか、信仰心の変化は、こんな感じです。

 あと、神社もよく行きます。エホバの頃とか教会に通っていた頃は、一神教なので、神社には近づかなかったが、キリスト教から離れた後は、けっこう頻繁に、地元の神社とか、箱根神社とかに参拝しに行っています。だから、今の俺は、スピリチュアリズムも信じているし、神社も参拝している。別に、どちらもお互いに反発するような関係ではないし。スピリチュアリズムを信じていれば、神社にも、それなりのご神霊がいるだろうと、俺は思えるからだ。そして、箱根神社は、神奈川では、一番強いご神霊がいると、ある本に書かれていたので、それを信じて、今は頻繁に、箱根神社を参拝しています。松下幸之助も、西武グループの創業者の堤なんとかさんも、箱根神社を信仰していたらしいから。俺も、その強力な霊力に、あやかりたいのだ。

 まぁ、こんなふうだから、セックスに関しては、金さえ払えば体験可能なことは知っていたが、それをしなかった。だって、教会のみんなが純真で、俺もミサに出席しているのに、一方でソープランドになど、その頃の俺は行けませんでした。また、借金問題もあり、金銭的にも行く余裕がありませんでした。だけど、キリスト教の縛りから解放されたので、思い切って行ってみました。それで、ハマってしまったというわけです。物欲の次は、性欲の渦に巻き込まれてしまいました。 

 まぁ、スピリチュアリズムの教えもあったけど、その時は別に誰かに教わるっていう形式じゃなくて、俺が自主的に本を買って読むという形だったので、気持ち的には緩かった。まぁ、中庸が肝心ってことでいいんじゃないかな。

 なお、専門学校に行っている時も、若い女性は大勢いましたが、体毛を気にするあまり、恋人を作ろうとはしませんでした。 やはりも俺の濃い体毛は、まだ俺の人生を雁字搦めに縛り続けた。まるで呪いみたいだな。