それで、実家に帰ってきました。そこで、両親に当然怒られました。その後、両親の勧めで、失業保険を貰うことにしました。両親は、正社員の仕事を辞めてきたのだと思っていたようですが、実際には派遣で食いつないでいました。それで、ハロワに行くと、なんとか失業給付の受給条件は満たしていたようなので、失業給付を貰いました。
 それで、毎月雀の涙のような金額を3ヶ月間貰いましたが、結局、その間、何もしませんでした。仕事を探しているふりを、パフォーマンスをしていただけだったかな。受給した給付も、ソープランドとかで散財してしまいました。無職の間は、何していたのだろう・・・。
 で、3ヶ月が経過して、給付は終了しました。う〜んと、その間、一体何をしていたのだろうか?う〜ん、たしか九月から派遣の仕事を九ヶ月したから翌年の六月までで、それから二ヶ月くらいアパートに無職でいて、それから実家に帰って三ヶ月間受給して、あ、そうだ!
 それで、11月から、派遣の仕事をまたし出しました。今度は前の派遣会社とは別会社でした。それは、あるお菓子工場でした。 なぜかというと、その時にクレカの借金残高が20万円くらいあったので、その借金返済のためです。だから、期間限定で二ヶ月、お菓子工場で働くことにしました。もうね、自分の人生を書いていて、あまりにもグタグタで悲しくなりますよ。やはりやり直せるのならば、タイムマシーンで過去に戻りたいね、グスン。失業手当を貰っていたのならば、その金で返済すればよかったのに、それをせずに、ソープとかで散財してしまいました。恋人と性行為をするのならば、自宅ならばタダだし、ラブホテルであっても数千円程度で済みますが、風俗で解消しようとすると、やはりとても大きな金額が必要でした。『人間失格』ですね。ちなみに、実家にいる間は、衣食住全部タダだったし、今もそうです。まぁ、もうすぐ福島に行くんだけどね。
 そして、某メーカーのチョコレートラインに最初に配属されました。小さなチョコがどんどん流れてくるーーーな感じです。不良品の検査みたいな仕事だったかな。しかし、次に配置された職場は、某有名チョコ菓子のラインだったのですが、そこではかなり怒られました。板チョコみたいな菓子の下に敷いてある紙を機械に補充する仕事を主にしていたのですが、その紙が度々詰まりました。紙を絶妙に折り曲げないと、ちゃんと紙が射出されないので、折り方が不出来だと、詰まるのです。その微妙な加減を担当させられたのでした。その度に、チョコが無駄になるとかで、怒られたのです。まぁ、なんとか二ヶ月間耐えて、クレカの借金は返済しました。けど、貯金も数万円しかありませんでした。この間も、祖父母からはお小遣いは貰っていたのに。
 そして、辞めたのが翌年の一月十日くらいだったと思います。また無職になりました。その後、俺は、なぜか自殺に強い興味を持ちました。というのも、やはりこんなグタグタな人生に嫌気がさして、度々自殺したくなっていたからです。でも、スピリチュアリズムの法則を知って、自殺をなんとか思い留まっていたのです。でも、世の中の大半の人達はそんな法則知らないから、どんどん自殺していってしまう。これをなんとか助けたいという気持ちから、自殺防止サイトを制作することにしました。それは、『自殺霊の自殺サイト自殺犯罪ドットコム自殺方法はポイ』というサイトでした。
 なんでこんな長いサイト名なのかというと、SEOの為です。SEOとは、グーグルとかで検索した時に、少しでも検索結果の上位に表示されるように工夫することです。せっかく作ってもサイトが検索結果の240番目とかだったら、誰も見てくれませんから。だから、タイトルにキーワードをたくさん入れるのも、SEOの手法の一つだったから、こんなに長いタイトルになったのです。
 私はホームページビルダーでサイトを制作したのですが、とても難しかった。IQの高い人なら、あの程度のソフトはスラスラと一日でマスターしてしまうのでしょうが、俺は多分、IQはかなり低いだろうし、記憶力も低いので、覚えるのにとても苦労しました。
 う〜ん、よく覚えていないけど、それから半年間くらい、サイト制作に没頭したと思う。まあ、毎日じゃないけれど。とにかく、今から思えば、このサイトみたいにブログで作れば、一からサイトを構築する必要もなかったし、もっと簡単に作れたのにと思うけど、当時の俺は、とにかく一生懸命にサイトを作り、隅々までSEOの手法に則ってサイトを構築していった。
 当然、その半年間は、両親にとても怒られた。早く働けと言われたが、俺は何かに取り憑かれたように、必死にサイトを作っていた。とはいえ、ボーっとしている期間もけっこうあったけど。本当に、俺は複数のことを同時進行することが出来ない。だから、仕事をしながら、休日にサイトを制作するということが出来なかったし、それは単なる怠け癖の言い訳かもしれない。
 それで、なんとか素人くさいながらも、サイトが完成した。けど、それだけではまだ、SEOは完璧ではない。外部サイトからのリンクをどんどん集めないと、人気のあるサイトとは検索エンジンシステムには反映されないので、結局下位に沈んだままなのだ。それで、よくある手法として、外部サイトからのリンクを買える会社が多数あったので、それを買うことにしました。けど、それには何万円も費用がかかるので、また働くことにしました。
 なんでこんなに、特に得にもならない自殺防止サイトの構築に一生懸命になっていたのだろうか。まぁ、それは、今のこの新たな自殺防止サイトにも言えることだが、何かしら、人様の役に立ちたいという思いからだろう。そうすれば、自分は誰かの役に立っていて、存在意義が見い出せるからと。それにしても、俺は福祉の仕事には無興味だったのに、自殺問題に対してはこれほどの熱意を発揮するとは、俺は今回の人生で、自殺者希望者を救うことが大きな使命なのかもしれないな。介護に関しては使命でも何でもないから、無関心だったと。
 でも、今はもう、このサイトはずっと後に述べる理由でなくなっていますが、当時は、とても変なサイトだった。なにせ、俺は散々変なことを今までしてきたような人物だから、このサイトでも、自殺防止をうたっているのに、ミッキーとかピカチュウとかのコスプレの着ぐるみをドンキホーテで買ってきて、その姿の写真を貼ったり・・・。もう、今の俺でも、理解不能だよ。まぁ、俺はもともと、そういう変な部分があるからな。他の自殺防止サイトみたいに、生真面目には作れなかったのだ。それは、面白ければ、自殺防止に一役買うのではないかとの思いもあったからでした。