その後、また無職になりました。これから、一体どうしようと考えていました。ちなみに、自殺防止サイトのSEOは少しリンク対策しましたが、それでもほんのちょっとでした。だって、警備員をすぐ辞めちゃったので、ほんのちょっとしかお金を掛けられなかったからである。
 そんな時、ボーっとテレビを見ていると、世界での穀物競争の番組を放送していました。それを見たり、あと、以前から、ほんのちょっと農業に興味があったので、思い切って、農業を体験してみようと思って、ボラバイトというのに申し込みました。
 ボラバイトというのは、ボランティアとアルバイトの合体したようなものです。まぁ、半分ボランティアみたいなものです。そういうサイトがありまして、要は、住まいは農家側が用意するし、食材も、全部または少しは提供してあげるから、その代わり、最低時給未満の金額で雇用できるというものでした。まあ、時給で換算したら、300円くらいだったかな。それで、全国各地で募集していたのですが、俺はその中から、香川県の農家を選んで、申し込みました。そんで、行くことになりました。
 当日、駅に到着すると、そこでボラバイトをしている三十代の人が軽トラで迎えに来てくれました。そんで、農家の社長の家に行くと、横の作業場で、五人くらいでネギとかの野菜を洗ったり選別したり加工していました。 そこにいきなり俺も加わって、ボラバイトが始まりました。その日は午後に到着したので、ちょっと仕事しただけで、宿泊場所に移動しました。
 宿泊場所は、社長が知り合いから貸してもらっている古民家で、敷地内に牛が数頭いました。そこには既に、ボラバイトが二人いました。部屋は五部屋あり、トイレと風呂場はもちろん共同でした。部屋は、その時はまだ人数に対して空いていたので、俺は一部屋を一人で使えた。それから、週六日労働が始まりました。
 まぁ、仕事内容は、季節により違うだろうけど、俺の時は、レタスの苗を畑に植えたり、種を入れ物に数個ずつ入れたり、ネギを収穫したり、運んだり、レタスを収穫したり、その段ボールを運んだり、レタスの寒さ対策で簡易ビニールハウスみたいなのを畑のレタスに被せたり、あと収穫後の畑の腐ったレタスの掃除とか、そんな感じでした。かなり大変でした。あと、水まきもしたな。ホースがなかなか広い畑に奥まで伸びきらずに苦労した。やっぱり、農業は体力を使いますね。泥だらけになるし。
 そこの農家は社長が農業機械を操作して、その他の家族が加工とか収穫を手伝って、あとはインドネシア人の研修生が最初は二人、後に三人になった。あと、若い女性の社員が一人いた。その他は、時々来るボラバイトで労働力を賄っていた。
 とにかく、疲れるな。それで、 途中から、続々とボラバイトの人が増えていった。最初にいた同い歳の人は直ぐに去って行ってしまったが、その後に元会社員の人とか、大学生とか、世界中を放浪した若い日本人とその友達の白人とか、全国をバイクで旅している中年の人とか、あと北海道から農業を学びに来ている農家の人とか。その農家の人は、北海道では主に穀物を作っているので、香川県には野菜類の勉強の為の来ていたらしい。北海道は冬は雪で農業が出来ないので、時間も暇らしい。ちなみに、全員男性です。社長が借りているボラバイト用の家が、その一軒しかないようなので、女は泊められないからだ。
 それで、色々と農業を体験したけど、その感想は、とにかく作業が重労働だということ。そして、農業は土地や機械や栽培技術等、あまりにもハードルが高いということ。まして、人生がグタグタで全く計画性のない俺が参入できるはずのない業界だな。それと、会社員としてどこかの農業法人に就職する手もあるが、それも、俺は農業を実体験して、やりたいとは思えなかったので、止めました。
 まぁ、そんなんで、俺は結局、二ヶ月間だけ農業を体験して去りました。他のボラバイトも、一人は本格的に自分で農業をやりたいからと長期間そこで修行していた人がいたけど、他のボラバイト達は、あくまで一時的な短期間のバイト感覚だったので、俺が来てから来たボラバイトは北海道の人を除いて、またどこかへと去って行きました。ちなみに、一ヶ月の給料は七万円くらいだったかな。
 休日は近くの、といっても自転車で片道二時間くらい遠くにある、ちょっとひらけた街まで行って、食料品などを買い物した。金刀比羅宮にも行きました。それは、車を所有していたボラバイトの人が、そっち方面に用事があるからと、乗っけて行ってくれたのだ。その時は、ニュージーランド人の白人の若者も一緒だった。一緒に金刀比羅宮の前の通りとか、金刀比羅宮に行った。でも、基本的に英語だから、よく分からんかった。そいつは帰りは電車賃がもったいないからと、ヒッチハイクで帰ると言って、一人で元来た方向にとことこ歩いて行った。やっぱり外国人はコミュニケーション力と積極性が違うな。でも、結局、うまく帰って来れなくて、途中のスーパーにいるからと、画像付きのメールを同居のボラバイトの大学生の携帯に送って来た。それで、車を所有するボラバイトの人が迎えに行きました。しかし、そいつは愛嬌があるので、みんな怒っていなかったけど。その白人は、世界中を旅した友達と一緒に来たのだが、やがて友達が体調を崩してしまい去ってしまった。しばらくは留まっていたが、後に、新潟の実家で、その人が亡くなったということを聞いて、葬式に出るからと、去っていきました。その友達がニュジーランドに来たときに、知り合ったらしい。どうやら、末期癌だったようだ。まだ27歳だったかな。癌が発覚するまでは、この世は金がすべてみたいな生き方をしていたらしいが、癌であることを知ってからは、なんだか悟ったような生き方をして、無欲で世界中を放浪していたようだ。俺はその人と何度か喋ったし、作業中、具合が悪いような雰囲気だったのを思い出した。そういう事情があったのかと、納得した。
 社長は、やり手らしく、出来る人であった。厳しかったな。また、他の年上のボラバイトの人などは、叱られることもあったが、なんとか上手く付き合えていた。全体的に、良い人達ばかりであった。けど、やっぱり、農業はあまり好きにはなれなかった。 
 マジで香川県は神奈川の沿岸部と違って、土地が広いな。面積自体は狭いのだが。やはり日本は狭いといっても、それは都市部の話だな。田舎はまた、別だ。あと、銭湯に行ったりした。あと、うどん屋が神奈川県のコンビニ並にそこら中にあった。セブンうどんとか、うどんソンとか、ファミリーうどんみたいな感じだな。 俺はそんなにうどんは好きじゃないので、二軒しか入らなかったが。あと、マルナカというスーパーがやたら多かった。あと、書店が宮脇書店ばかりだった。田舎は競合店が少ないのかな。まぁ、長崎屋とかイオンとか、そこそこ開けた街にはあったが、俺が泊まっていた家の近くは、夜はほぼ真っ暗で、もろ田舎だった。まぁ、田舎には田舎の良さがあるけどね。でも、田舎だと、やはり自動車がないととても不便だ。自転車で移動していては、とても移動時間がかかるし、まして雨の時はとても不便である。
 社長は、俺の働きぶりをみて、正社員にならないかと誘ってきたが、俺にその気はなかったので断った。しかも香川県は、やはり遠すぎる。岐阜県でさえ神奈川から遠いのに、香川県なんてさらに遠いよな。到着するまで超長時間かかりました。やはり地元の神奈川が一番良いかな。それに、週六日で働いても、手取り13万円程度だって言うし、厚生年金とかもないし。その時、正社員だった若い女性社員も、十二月で去って行ったな。やはり、巨大な農業法人でない限り、それなりの給与を、家族以外の人を雇って支払って行くのは、日本の農業では難しいのかもしれない。若いインドネシア人も、研修という名目ではあるが、まぁ、安い賃金だろうしな。でも、気軽に農業を体験可能なボラバイトというシステムは、なかなか良いな。ただし、ネットで他のボラバイトの話を読むと、酷い目に遭った話も載っているので、あなたがもしボラバイトをする場合は、慎重に判断してください。
 年末には、社長がみんなに鍋を奢ってくれました。その後、ボラバイトの人達は大量に、皆の都合で一気にそれぞれ去って行きました。俺も、翌年の一月一日に去りました。帰りの駅までは、自動車を持っているボラバイトの人が送ってくれたのだが、その時、俺は世話になったお礼として、各種のビールを八本くらいプレゼントした。それで、香川県を去りました。