それで、俺は海岸清掃の仕事に就きました。それは、A班B班C班と三班あり、A班は三浦の方の海岸清掃担当だから全然会わなかったが、B班とC班は主に鎌倉とか湘南地域とか小田原とか、あと静岡の手前までが担当だったので、度々合同で清掃することがあった。
 各班10人ずつで、二人が監督と副監督で日給13000円、二人が運搬員で日給11000円、残りの六名が作業員で日給10000円だった。これは国が失業者対策で金を出していた。だから、あのクソ民間会社みたいにサービス残業なんてなかったし、給与も高かった。けど、これでも、手取りは毎月大体、17〜18万円だった。嵐が来たら作業は無理なので、お休みで、基本、祝日無関係の月から金までの勤務で、土日休みだった。稼働日数の多い月は、まぁ、最大で手取り20万円だった月もあったが、嵐のせいで稼働日が数日休みになった月は、手取りで15万円程度だった。厚生年金と健康保険は会社で入った。まぁ、それは五ヶ月間だけだった。それ以降の延長分の時は、厚生年金も健康保険も無くなったけど。
 それで、俺は最年少なので、作業員になりました。時間は辻堂駅に朝9時までに集合して、午後四時半に同場所にて解散という形でした。だから、今までしてきた民間の仕事に比べれば、とても条件が良かった。ここの財団職員も、定時に来て定時に上がっていたしな。やっぱり、公務員の身分のお方は、現代では、上流階級だな。昔は公務員のなり手がいなかった時代があったとかいうけど・・・今では、まったくの逆だよな。親が子供に就職させたい職業第一位が公務員らしいし。まぁ、こんな酷い民間企業の有様ならば、公務員に殺到するのも頷ける。
 それで、この事業は、財団から給与が出るのではなくて、国が税金で失業者対策で財団にお金を払い、それで財団が指揮を取って、毎日各現場に各班を向かわせて、清掃させるという形です。それで、色々な現場に行きました。
 俺の班は、俺が最年少で、あとはたしか、四十代と五十代と、あと六十代だったかな。失業者対策なので、どうしても年齢は高くなった。まぁ、年金暮らしでお金に余裕があるような爺さんも採用されていたので、完全な失業者対策という訳でもないようだったが。ま、そんな感じで、今までの職業も人生もバラバラの人達が集まって、清掃の班を形成していました。ちなみに、今回はすべての班とも、男ばかりでした。去年は女もいたようだが。やはりトイレの関係とかで、難しいのだろう。
 それで、作業内容は、各自治体のゴミ分別方法に従って、袋ごとに分別して、海岸に散らばるゴミを撤去していった。まぁ、軽いペットボトルとか缶とか、プラゴミとか、あと木屑、流木など。分別はけっこう面倒くさかったが、茅ヶ崎は全部まとめて不燃として処理出来たから楽だった。
 でも、人間関係の問題はどこの職場でも発生するもので、最初の頃はお互いによく知らなかったから遠慮していたようだったが、段々とお互いを知り出すにつれ、反発し合う者も出てきた。まぁ、俺は最年少だし、誰かの悪口など言ったら、そこで生きていけないので言わなかった。だって、金を稼ぐのが目的だったのだから、仕事中のちょっとした不満なんて、別にどうでもいいよ。そんなことをペラペラ喋って、俺の立場というか、居場所がなくなっちまったら、出勤し辛くなるからな。でも、年金暮らしの爺さんとかは、やはり歳を取ると相手の欠点が許せなくなるのか、どんどん不満点を言うようになった。 それで、二つのグループに別れたような感じになった。一つのグループは、大企業でずっとサラリーマンでやってきて、年金暮らしになった二人のグループで、もう一つのグループは、お水の商売をしてきた人と、色んな職業をしてきた人だった。まぁ、価値観が違うからなんだろうけど、でもそれは、やっぱり、口に出してはならないよな。そこは世の中、色々な職業の人がいるのだから、自分の価値観とは合わないから理解しない、拒絶する、軽蔑するというのは、間違っている。まして、この事業は、色んな職業の人の寄せ集めなんだから。寛容な心でないとやっていけないよ。けど、もうジジイの年齢だから、多分、思考が凝り固まっているのだろう。そんな感じで、反発し合っていて、とうとう、四ヶ月目くらいに爆発して、大声で喧嘩し合う事態になった。まぁ、他の人達は、周囲で静観というか、口は挟まなかったけど。俺も、お外でジっとしてました。あくまで金が目的なんだから、そんな価値観の違いなぞ、どうでもいいわい。
  まぁ、そんな感じでした。けど、これはあくまで一時的な仕事なので、仕事が決まった人は、ちょくちょく抜けていった。俺の班には黒人のアフリカ人もいたが、仕事が決まったらしく、抜けて行った。あと、副監督も仕事が決まったので抜けて行った。俺はというと、ろくに仕事を探さずに、現状に甘んじてしまっていた。
 そんな感じで、六月初頭から十一月半ばまでが最初の契約期間だったので、それが終了した。追加で、今度は環境省だかのグリーンニューディール事業だかがあり、それは週四日だが、日給は同額で、期間は三ヶ月という募集があったので、それに応募した。それに関しては、新規に広く募集するのではなく、直前のその仕事をして、もう慣れている皆さんに継続してもらうと有り難いということだった。
 それで、俺はそれに採用された。でも、その時、副監督が誰もいなかった。以前の事業の時に抜けた福監督は、作業員から四十代の人が昇格した。で、追加の事業の時には、以前の事業の時に監督をしていた人が抜けていたし、副監督になった人が監督になったので、副監督のポストが空いていたのだ。だから、年長者から順に誘っていったのだが、六十代の人達は、この歳で責任を負うのは嫌だし、朝早く財団に出勤するのも嫌だということで、みんな断った。ただの作業員ならば、辻堂駅で待っていればいいのだが、監督と福監督と運搬員は朝早く財団本部に出勤して色々準備して、ミーティングをする必要があった。また、途中から参入して来た補充人員の人では、やはり途中からなので駄目ということで、結局、俺がすることになった。 
 人生で初めて、ちょっとだけ人の上に立つ経験が出来た。とはいっても、まぁ、誰もなり手がなかったから、最後の選択肢として選ばれただけだったけど。でも、やはり一番下っ端の作業員時代とは違い、福監督は日給が13000円になったので、ちょっとはひがまれていたとは思う。 でも、俺が主に車を運転して、みんなを作業場所に運んでいました。久しぶりの運転でしたが、なんとか無事に終えました。あ、というのも、以前所有していたデミオは、維持費が払えなくなり、25歳の時の10月頃に、廃車にしました。というのも、傷がありすぎて、売れなかったからです。7年間乗り、総走行距離は77000km程度でした。
 最終日には、みんなで居酒屋で打ち上げをした。でも、大企業でサラリーマンをしていた人だけは呼ばれなかった。その人と親しくしていた同じく大企業で働いていた人が途中からいなくなってしまったので、その人は孤立していた。だから、俺は配慮して、色々とその人と話したりしていたのだ。それで、その人は前述の通り、お水で働いていた人の悪口を散々言っていた。俺もそれに感化されて、段々とそのお水の人が悪い人のように感じていったのだ。しかし、やっぱり物事というのは公平に見るべきものだな。最後の日には、その大企業で働いていた人だけ、みんなから声が掛からなかった。なんか、上から目線でみんなを見下すような言動だったと、みんなが嫌っていたので、一人だけ呼ばれなかったのだ。まぁ、俺も、誰にも言うなよと誘われた時点で言われていたので、その人には言わなかった。最終日に、自分以外の全員で打ち上げをするのを知ったその人は憤慨した。で、俺が説明したのだが、ジジイは頑固だから、聞く耳を持たなかった。それで、それっきりだな。プンプン怒って、改札口を通っていきました。その人は、前の事業の時の監督と大衝突して怒鳴り合いになった人なので、監督が辞める時に、財団の人に、「あの人だけには監督はやらしちゃいけません」と念を押していたようだ。だから、年上だけど、新たな事業の監督業を選定する時にも、リストから外されていたので誘われなかったそうな。
 んで、居酒屋では、散々、その人の悪口だらけだった。それを聞くと、俺が知らないことがたくさん出てきた。お水の人が自腹で全員に缶コーヒーを買ってきて配っても、その人だけお礼を言わず、嫌みみたいなことを言ったというし、別の人が肉まんを全員に配ったときも、その人だけ相手にお礼の一言も言わなかったそうな。その他にも、色々とその人の悪口の話題は尽きなかった。なんか、三時間の宴席のうち、七割はその人の悪口の話題だったな。う〜ん、まあ、俺と話したときも、時々、しゃくに障るというか、貧民を見下すような発言もあったな。まぁ、実際にエリートコースを辿って来た人は、なかなか下々の民の気持ちは分からないということか。
 まぁ、だから、一方の発言だけで、その物事や人物を完全に判断してはならないということだ。やはり、両方の言い分を聞いてからでないと、公平には判断することは出来ないということを、身をもって体験した。まさか、あの人も、宴席で、あれだけみんなにボロクソに自分の悪口が言われていようとは思うまいて。そのくせ、俺が最後の日にその人に事情を説明したら、「いいや、言うなと言われていても、俺だったら言うね。宴会するのならば、予定を空けておいたのに!!!」と憤慨していた。しかし、どうせ出席しても、一人だけ気まずい雰囲気になるに決まっているし、散々、あれだけ悪口を言っていた人と最後に同席したいという気持ちが分からん。それならば、もっと早くから和解するような行動をしていればよかったのに。最後に水に流すという言葉があるが、それはある程度までの許容範囲内での話であり、ダムが決壊するほどの亀裂のある関係ならば、最後の一日程度では、もう関係修復は無理だよ。
 んで、その宴席で俺がみんなに言われたことは、もっと他人とコミュニケーションを取りなさいと。まぁ、でも、最初からいる人達から見れば、俺も途中からやや積極的にみんなと話すようにはなっていたので、最初から比べれば、君は進歩したよと言ってくれた。そして、最後の三ヶ月間、福監督をしたことも、今後の君の人生の糧になるだろうと言ってくれた。まぁ、それは、俺にとっても、よい経験だった。まぁ、本当に夏場は地獄の猛暑で、冬は寒かった。岩場とか滑って危ないし、流木は重たいし。最後の三ヶ月は、俺がチェーンソーを使って、流木を切断していた。まぁ、キツかったと言えば、キツかったです。しかし、やはり俺が今までしてきた民間企業に比べれば、ちゃんと時間内で終わるし、給与も時給で換算すれば高かったし、楽だったな。そんな感じで、その仕事は終了しました。
 あと、この仕事で学んだことは、俺よりもずっと年上の人達が、ある程度力を抜く時は抜いて仕事をしていたということだ。やはり、学校巡回の警備員の時の、あのクソ真面目な対応は、少々真面目すぎたかな。ちょっとばかり、力を抜くことも必要だな。いつも全力で精神を張り詰めて仕事をしても、そりゃ、精神がいつか破綻して、自殺したくなるかもしれないからな。インド人とかジンバブエ人みたいに、もうちょっと気楽に仕事をすることを会得すれば、日本人の自殺率も下がるでしょう。とはいっても、それは職場によるけどな。

 んで、 それで稼いだ金なのだが、いつの間にか無くなってしまったよ。というのも、俺はこの仕事に就くちょっと前に、もうグラフィックデザイナーになる気力はなくなっていた。それで、もう人生の目標というか、また、何をすればよいのかてんで分からない状態に陥った。で、もう性欲と物欲が爆発してしまった。人間、自暴自棄になる時ってあるよね。だから、サクラのいない出会い系サイトで、お金を払ってセックスしたり、ソープに行ったり、あと物欲に関しては、今まで買ったことのなかったブランド物の財布を買ったりした。ルイヴィトンの財布を買ったり、アルフレッドダンヒルの財布を買ったり。なんで財布が二つあるんだとお思いでしょうが、普段用と、スーツ用で買い分けたんだ。あと、新宿のメンズ伊勢丹に行き、高い革靴を買った。あと予備で、横浜高島屋でも革靴を買った。あと、革靴のお手入れグッズとかも。あと、アルマーニの数万円のベルト買った。あと、洋服類も新しく買った。コートも買った。鞄も買った。金運アップのパワーストーンとか、恋愛関係がアップするブレスレットも買った。あと、洋服の青山に行き、高級ブランドのヒルトンタイムのスーツを二着買ったりした。あと、ヒルトンタイムの礼服も買った。そんな感じで、いつの間にか、ちょっとの消費やでかい消費が積み重なって、本当なら140万円くらいの貯金があったはずなのに、終了時にはほとんど無かった。
 それで、気がついた。もうね、俺は、『自殺霊の自殺サイト自殺犯罪ドットコム自殺方法はポイ』があった時には、なんか見知らぬ人と繋がっていて、見知らぬ人達を助けていた感覚があったのだが、それが無くなり、もう、ただの人になってしまった気がしたんだ。何の役にも立たない、ただの人。それは、無意識のうちに、とても大きな喪失感となっていたようだ。だから、無目的に、物欲に走ったり、毎週のようにソープに行ったりしてしまったのだ。だって、目標があれば、こんな荒い行動はせずに、ある程度は自制 することが可能だろうから。
 で、結局、高級品を買ってみた訳だが、今となっては、それはあんまりなぁ・・・まぁ、そりゃ、千円の長財布と比べたら、そりゃ、六万円もした財布の方がよいに決まっているけど・・・果たして、六万円の現金を財布に換える必要があったのだろうか・・。こんな、人生しっかりしていない者が、そんな高級財布買ったからって、一体、何になろうか・・・?で、けっこう後悔しています。ああ、現金のまま残しておけばよかったと。ま、こんな感じです。でも、実際に、ブランド品をかなり買ってみて、ある程度の悟りは出来た。岐阜にいた頃に買った物欲は、それはブランド品を買いあさる浪費ではなくて、ただの物質を買いあさる浪費だったからな。だから、この時の浪費とは、質が違った。そんで、ブランド品を買っても、たいしてどうにもならないということが判明したので、今後は、お金に余裕ができても、ほどほどにしておくよ。まぁ、あまりにも安物ばかりだと、見栄えもよくないし、安物買いの銭失いになりかねないので、そこそこの値段のそこそこの品質のモノを買えばよいと、今では思っています。

 それで、またしても無職になってしまった・・・。本当は、失業者対策の事業だった訳だから、海岸清掃の仕事をしている最中に、どこかに就職するのがそもそもの目的だったのだが・・・それをしなかった。で、辞める一ヶ月前くらいから、俺は本格的に脚本を書き出した。というのも、この仕事を始めてから数ヶ月目に、今度は脚本家になりたいと思って、脚本のことを教えてくれるシナリオスクールの通信講座に応募したのだ。費用は四万円くらいだったかな。で、通信で勉強していくはずが、俺は最初の一回で、課題通りのものを郵送せずに、またアホな突拍子も無い脚本をいきなり添付して送付してしまった。それで、色々と冷たくあしらわれて、それ以来、自分一人でモヤモヤと、やろうかと思っていたのだが、どうもやる気が起きない・・・。で、ついに、仕事を辞める一ヶ月前に、とうとう一つ、脚本を書いてみる気になったんだ。それは、『地獄の警察官』というタイトルでした。内容は、要約すると、警官を殺して制服を奪った犯罪者が、警察官のふりをしてどんどん人殺しをしていき、最後には地獄に堕ちるというストーリーです。それで、それをずっと書いて、仕事を辞めてから数日ほど経過して、やっと完成しました。それで、また俺は、今度は大手の映画会社四社に、コピーしたその脚本を郵送しました。けど、また無視されました。まぁ、たしか東宝だけは、ご丁寧に、返送してきて、『当社ではこういうコンクールを募集しているので、こちらに応募ください』という紙も添えていた。でも、俺の脚本は超残酷で、突拍子もないので、絶対にそんなコンクールに応募しても落とされるだろうと思ったので、映画会社に直接送ったのだった。でも、脚本自体が後からマジマジと見たら稚拙だと判明したので、万が一にも採用されるはずもなかったのだが・・・。その他にも、十代と百十代が結婚するストーリーの『百歳差婚』とか、アドルフ・ヒトラーが現代の日本に復活して総理大臣になって暴政を振るう『日本国首相アドルフ・ヒトラー』とか、あと超暴力刑事が主人公の『凶悪刑事 闇裏暗蔵』とか、もうね、とんでもないストーリーの話ばかり思いつくんだ。そんなの、今から思えば、採用されるはず、無いのにね。あ〜、アホみたい。本当に俺の前世は、下らない、夢見がちなアホだったんだなぁ。それが、現世でも矯正されていない。

 そんなんで、どうにかまた、職に就かねばならない。それで、もう、実家から出たいと思ったので、仕事を辞めた翌日あたりに、ハロワに行った。それは、その数日前に、家のPCで検索して見つけたのだが、福島県の津波被害による瓦礫の撤去の仕事だった。俺は、仕事を辞める三ヶ月前くらいから、けっこう真剣に原発に行こうかと思っていたのだが、さすがに原発本体には、行く気には、最終的にはならなかった。だって、一日たったの実働四時間で高い給与が貰えるってことは、けっこう危ないんじゃないかしら・・・と判断したからだ。で、今度の仕事は、原発からはけっこう離れた区域での仕事なので、それなら心配ないんじゃないかなと思い、応募したって訳。でも、三月になってすぐに応募したのに、なんだかんだで、まだ出発できていない。三月下旬頃かな〜と思っていたら、四月になってからとなるし、その後、四月十日だと言うし、その後、齋藤さんは二十日頃ですと言われたが、未だに連絡はない。まぁ、仲介役の企業からはちょくちょくメールが来ていたのだが。本当は昨日までに雇用先の企業から連絡がある予定だったのだが、まだ来ない。さっき、仲介役の企業にメールで問い合わせたが、まだ返信は無い状態だ。まぁ、でも、きっと、どうにかなるさ。そこは一部屋に四人の共同生活だけど、自殺するよりかははるかによい。日給も13000円だっけかな・・・12000円だっけかな・・・忘れたけど、メモした紙には書いてある。週に六日労働で、厚生年金と健康保険は無しです。雇用と労災だけです。まあ、どうにかなるでしょう。とにかく、自殺しないで生き続けていれば、なんとかはなるだろう。

 まぁ、こんなんが、今の俺の現状、今の俺の、これまでの人生です。ちなみに、今日は2012年4月18日です。恋人は今まで一人もいたことはありません。あ、ただ、脱毛に関しては、この仕事の最中に、湘南美容外科クリニックで全身脱毛三回コースを申し込んで、下半身一回分以外はもう消化した。だから、今は、けっこう奇麗にはなっている。あの、中学や高校の頃に毛抜きで抜きまくっていた頃の、あの汚いモジャモジャの肌ではない。もう、けっこうレーザー脱毛による効果は出ており、かなり当時と比べて奇麗になっています。しかし、まだツルツルではないけどね。俺は今後ともレーザー脱毛を資金が出来次第行い、ツルツルを目指す予定。ツルツルになれば、体毛のコンプレックスもなくなり、恋人も出来るかもしれないからな。 

 俺の人生は、歳はどんどん取ってしまい、見た目にもフケてしまいました。しかし、確実に中学の頃の、あの地獄の心境からはマシになっています。徐々に、俺の人生は良い方向に向かっていると思います。まぁ、最初から順風満帆の人の人生と比べたら、はるかにグタグタだけどね。それでも、なんとか生きています。だから、あなたも生きられると思うよ。