以下の文章は、[霊との対話]という、霊的知識の書物から抜粋した文章です。また、自殺に関するその他の霊的知識は、[自殺してはならない霊的な理由]に書かれています。

 J・D氏は高い教育を受けていたが、骨の髄まで唯物主義が染み込んでおり、神も魂も全く信じていなかった。
 死後二年経ってから、義理の息子の依頼で、パリ霊実在主義協会において招霊された。

-招霊します・・・・。
 「ああ、苦しい!俺は神から見放された」
-あなたはその後を心配されているご家族からの依頼で、こうして招霊させて頂きましたが、こうして招霊することは、あなたに苦痛を与えることになったのでしょうか?
 「そうだ。辛い」
-あなたは、自ら死を選ばれたのですか?
 「その通りだ」

 この霊の書く文字は、恐ろしく乱れており(霊媒に憑依させて書かせているので)、大きく、不規則で、痙攣しており、ほとんど読み取りがたいものであった。最初は、怒りのあまり、鉛筆を折り、紙を破ったほどであった。

-落ち着いてください。我々は全員であなたのために祈りましょう。
 「なんだと?俺に神を信じさせるつもりなのか?」
-どうして自殺などしたのですか?
 「希望のない人生がほとほと嫌になったからだ」

 人生に希望が無くなった時、我々人間は自殺したくなる。あらゆる手段を講じて不幸から逃れようとするのである。
 だが、霊実在論を知れば、未来が開け、希望が戻ってくる。自殺はもはや選択肢の中には入らなくなる。そもそも、自殺によっては苦しみから逃れることは出来ず、かえって百倍も厳しい苦しみの中に落ち込むだけだということが分かるからである。そういうわけで、霊実在論によって自殺の危機から救われた人々の数は大変多い。
 科学或いは理性の名によって、「死ねばすべて終わりである」という“信仰”を蔓延させた者達の罪は大きいと言えよう。この絶望的な信仰によって、とれほど多くの悪と犯罪が引き起こされたことであろうか。この信仰を広めた者達は、自分自身の過ちに責任があるだけではなくて、その過った信仰が蔓延することによって生じたあらゆる悪に対しても責任が生じるのである。

-あなたは人生のもろもろの不幸から逃れようと思って自殺したわけですが、それで何か得るところはありましたか?生前よりも幸福になりましたか?
 「死んだ後に、どうして虚無が存在しないのだ?」
-どうぞ、可能なかぎり、あなたの今の状態を教えて下さい。
 「かつて否定していたことを全て信じなければならないために、酷く苦しんでいる。俺の魂は、まるで燃え盛る火の中に投げ込まれたみたいだ。本当に恐ろしい苦しみだ」
-どうして、生前、唯物主義者だったのですか?
 「それよりも以前の人生で、俺は意地の悪い人間だったのだ。そのために、今回の人生で、俺は一生の間、疑いに苛まれることになったのだ。そのために自殺した訳だが」

 このくだりを読むと、考えがたいへんよく整理できる。「霊界から生まれ変わって来たのだから、直感的に霊界があることが分かりそうなものなのに、それでも、なおかつ唯物主義者になるのは、なぜなのだろうか?」という疑問があるわけなのだが、その理由がここではっきりする。
 つまり、こういうことだ。
 前世からの傲慢さを引きずっている者、自らの過ちをしっかり悔い改めていない者には、まさしく、この直観が禁じられているということなのだ。彼等は、肉体生活の間、絶えず目の前に示されている、神の存在と死後の生命の存続を、直観によってではなく、彼等自身の理性によって把握しなければならないのである。
 しかし、思い上がりが激しいために、自分を超える存在を認めることが出来ず、再び傲慢の罪を犯すことになる。そして、酷く苦しむわけだが、その苦しみは、彼等が傲慢さを捨て去って、摂理の前にひざまずくまで続くのである。

-水中に沈んで、いよいよ死にそうになった時、一体自分はどうなると思いましたか?その瞬間に、どんなことを考えましたか?
 「何も考えなかった。何しろ、死後は虚無だと思っていたからな。あとになって、まだまだこれから苦しむのだということを知った」
-今では、「神も魂も、あの世もある」ということが分かったのではありませんか?
 「ああ!あまりにも苦しくて、そういったことはよく分からない!」
-お兄さんにはもう会いましたか?
 「いや、会っていない」
-どうしてでしょう?
 「どうして苦しみを足し合わせる必要があるのだ?兄も俺も今は不幸なのだぞ。再会するのは、幸福になってからでよい・・・・・。ああ、何ということだ!」
-あなたのそばにお兄さんを呼んでさしあげましょうか?
 「とんでもない!」
-どうして呼んでほしくないのですか?
 「兄も幸福ではないからだ」
-お兄さんを見るのが怖いのですね。辛くなることはないと思いますよ。
 「いや、結構だ。もっと後にしてくれ」
-ご両親に何か言いたいことはありますか?
 「『俺のために祈ってくれ』と伝えてほしい」
-あなたが生前属していた団体には、生前のあなたと同じような考えをしている人々が多いようですが、彼等に何か伝えたいことはありますか?
 「ああ、なんと不幸な人達だろう!彼等があの世を信じられるようになるといいのだが。それが、俺が望む最大のことだ。今俺がどうなっているかを彼等が知ることが出来れば、きっと考えも変わるだろうと思う」

 J・D氏の兄。J・D氏と同じ考え方をしていたが、自殺したわけではなかった。不幸ではあったが、弟よりも落ち着いていた。文字もはっきりしており、読み易かった。

-招霊します・・・。
 「我々の苦しんでいる姿が、あなた方にとって教訓になりますように。そして、あなた方が、あの世の存在を確信しますように。あの世では、我々は、過ち、そして不信仰の償いをします」
-先ほど我々が招霊していたあなたの弟さんと会いましたか?
 「いいえ。弟は、私を避けているようですので」

 「霊界には、物質的な障害物も、隠れる場所もないのに、どうして霊は他の霊から姿を隠せるのだろうか」と不思議に思うかもしれない。
 霊界では、すべてが相対的であり、そこに住む者の、エーテル体の性質によって現実が決まってくるのである。高級霊のみが、無限の知覚能力を持っている。低級霊の知覚能力は限定されており、彼等にとっては、エーテル体で出来た障害物は、実際の障害物のような作用をするのである。霊達は、意思によって、自らのエーテル体に働きかけることが出来、その結果、他の霊からの身を隠すことも可能なのである。
 しかし、親が子供を見守るように、全ての霊を見守っておられる神は、それぞれの霊の心境に応じて、その能力を自由に使わせたり、限定したりされる。そして、状況に応じて、それがその霊への罰にも、報いにもなるのである。

-あなたは弟さんよりも落ち着いているようですね。あなたがどのように苦しんでおられるのか、詳しく教えて頂けますか?
 「地上においても、あなた方が自分の過ちを認めざるをえなくなった時、思い上がりや慢心のゆえに苦しむことはありませんか?『あなたは間違っている』とはっきり指摘してくる人の前で、身を低くしなければならない時、反発を感じるのではないですか?
 一生の間、『死後には何も存在しない』と思い続けてきた人間、しかも、『誰が何と言おうと絶対に自分が正しい』と思っていた人間が、『死後にも命がある』と知った時、どのように驚愕し、また苦しむと思いますか?
 突然、輝かしい真理の前に投げ出され、自分が無であると感じるのです。恥ずかしくて消え入りたくなります。しかも、その恥ずかしさに、かくも善で、かくも寛大な神の存在を、かくも長い間忘れ果てていたことに対する後悔が付け加わるのです。これは実に耐え難い苦しみです。安らぎどころではありません。平安どころではありません。そして、恩寵、すなわち神の愛がその身に及ぶまでは、決して心安らぐことがないのです。
 霊体全体が傲慢の衣にぴったり包まれているので、それを完全に脱ぐまでには、恐ろしい程の時間がかかります。あなた方のお祈りがなければ、到底この傲慢の衣を脱ぐことは出来ません」
-我々があなたの弟さんと話している間に、ここにいらっしゃる、ある方が、弟さんのために祈ってくださいました。その祈りには効果はあったのでしょうか?
 「仮に、弟が、今のお祈りを拒んだとしても、その効果が失われる訳ではありません。そのお祈りの効果は生き続けます。そして、弟が、受け入れる用意が出来た時に、それは神聖なる万能薬として必ず弟を癒すことになるでしょう」

 ここには、また別種の懲罰が見られた。すべての無神論者が同じような懲罰を受けるわけではない。この霊にとっては、生前、自分が否定してきた真理を認めることが必要だったのである。未だに神を否定し続けている他の霊に比べれば、この霊の心境はかなり進んでいると言えよう。自分が間違っていたと認めることが出来るのだから、大分謙虚になってきていると考えられる。
 おそらく、次の転生では、多分生まれつき信仰を持った人間となることであろう。

 この二人の霊人の招霊を我々に依頼した人に、招霊の結果得られたメッセージを送ったところ、次のような返事を頂いた。

 私の義父と叔父の招霊によって、私達にどれほど素晴らしい贈り物がもたらされたか、とてもあなた方には想像出来ないでしょう。私達はあの二人が義父と叔父であることを完全に認めることが出来ました。
 義父の文字は、生前のそれと驚くほど似ておりました。特に、私達と過ごした最後の数ヶ月の間、義父の字は、ぐちゃぐちゃでほとんど読み取れないくらいだったのです。今回のメッセージの中にも、生前とよく似た特徴的な縦の線、署名、ある種の文字などがありました。また、語り口、表現の仕方、文体などは、さらに似ており、我々はみんなで驚嘆したものです。完全に生前と同じだったからです。
 違っていたのは、生前、義父があれほど否定していた神、魂、永遠について、異なる考え方をし始めていた点だけでした。したがって、あれが義父であることに間違いはありません。
 私達は霊実在主義の理論をさらに確信するようになりました。神に栄光あれ!霊実在論のおかげで、地上にいる者も、霊界にいる者も、これまで以上の進化が望めます。
 叔父についても、無神論者から、神を信ずる者になっているという違いはありますが、性格、話しぶり、言葉遣いの癖に至るまで、あれは完全に叔父であります。特に、[万能薬]という言葉が我々を驚かせました。あの言葉は、叔父が、生前、誰に対しても、繰り返し使っていた言葉なのです。
 私は、あの二つのメッセージを何人かの人に見せましたが、どの人も、その迫真性に打たれていました。
 しかし、私の両親も含め、神を信じていない人々は、もっと決定的な証拠が欲しいようでした。例えば、義父が埋葬された場所や、『具体的にどこで、どのようにして溺れ死んだか』ということについての情報などです。それを霊人達にはっきり言ってもらいたかったと言うのです。
 再び義父を招霊して、ぜひとも、以下の質問をしてください。
 ① どこで、どのようにして自殺したのか?
 ② どれくらいの期間、発見されずにいたのか?
 ③ 遺体はどこで発見されたのか?
 ④ どこに埋葬されたのか?
 ⑤ どのようにして埋葬されたのか?
 どうか、疑いを捨てきれない人々のために、以上の質問にはっきりと答えてもらってください。その効果は計り知れないものがあると確信しております。
 このお手紙が、明日の金曜日にあなた方の所に届くように投函いたします。明日は、あなた方が交霊会を催す日であることを知っておりますので・・・・・」

 この手紙を引用したのは、親族によって二人の霊人の身元確認がしっかりなされたことを知ってもらうためである。
 また、次に、この手紙に対する私からの返信の一部を引用する。霊界通信がどのようなものであるのかをまだよく知らない人々のために、少しでも参考になれば、との思いからである。

 「お義父様に対して、もう一度聞いてみてほしいということであなたが書かれた質問は、『神を信じない人々を説得するため』という確かな意図に基づいていることはよく分かりました。というのも、そこには、疑いの気持や単なる好奇心は全く見られなかったからです。
 しかしながら、もしあなたが、霊実在主義についてもっと深くご存知であれば、そうした質問が無益であるということを、多分理解されていたでありましょう。
 まず最初に言いたいのは、あなたはお義父様に対して『はっきりした答えを言ってもらいたい』と思っていらっしゃいますが、我々には霊を強制することは出来ない、ということです。霊達は、自分が望む時に、自分が望むやり方で、自分に出来る範囲でしか、答えてくれません。彼等は、生前以上に自由意志を行為しますし、生前以上に精神的な強制から逃れる術を知っているのです。
 最もよい身元確認の証拠は、彼等が、自らの意志で、自発的に与えてくれたものなのです。或いは、自然の成り行きから彼等が与えてくれたものです。それらをこちらの意思で引き出そうとしても、まず上手くいったためしがありません。
 あなたのお義父様は、あなたにとっては疑問の余地のないやり方で身元証明をされました。したがって、お義父様にとってはどうでもよい人々の単なる好奇心を満たすことは、当然、無用のこととして拒否なさるでしょう。
 こうした場合にはよくあることですが、お義父様も、他の霊にならって、きっと次のように言われるはずです。
 『自分達が既に知っていることを私に聞いてどうするつもりかね?』
 それに、現在、彼が身を置いている混乱と苦悩の状態からして、この種のことを詮索されるのは、大変辛いことだと思います。それは、口も利けない程苦しんでいる病人に、自分のこれまでの人生について細々と喋るように要求するのと同じことだからです。明らかに思いやりに欠けた行為だと言わざるを得ません。
 という訳で、あなたがお望みのことは、おそらく期待外れとなるでしょう。
 身元確認のためのああした証拠は、自発的に与えられたからこそ、そして何者にも強制されなかったからこそ、大きな価値を持っているのです。
 疑い深い人々があれだけの証拠を見ても納得しないのだとしたら、件の質問に対する答えを見たところで、それ以上に納得するということはないでしょう。おそらく、彼等は、あなたと我々が共謀して書いたに違いないと言うはずです。世の中には、どのような証拠を見ても納得しない人々がいるのです。仮に、彼等が自分自身の目でお義父様の霊視を見たとしても、おそらく、『単なる幻覚だ』と言うに違いありません。
 招霊を、あなたのお手紙が届いた日に直ちに行ってほしいとのあなたの要望に関して、さらに一言付け加えさせて頂きますが、招霊は、そんなに簡単に意のままに行えるものではありません。霊達がいつも招霊に応じるとは限らないのです。
 そのためには、『彼等にとってそれが可能である』、或いは『彼等がそれを望んでいる』ということが必要なのです。しかも、彼等にぱったり合った霊媒がいる必要もあります。また、その霊媒がちょうどその時間に空いていなければなりません。さらに、交霊会の出席者が霊に対して共感を抱いている必要もあります。そうした条件が全て揃わない限り、しかるべき招霊は出来ないのです。
 以上、どうかご理解くださいますようお願い申し上げます」