以下の文章は、[霊の書]という、霊的知識の書物から抜粋した文章です。また、自殺に関するその他の霊的知識は、[自殺してはならない霊的な理由]に書かれています。

問・自殺の結果は、本人の霊の上に、どのように及びますか?

答え・その結果は、個々の場合によって違う。と申すのは、罰が、どのような経過で自殺に至ったか、その状況に応じて色々違ってくるからである。先ず、自殺者全員が等しく受ける罰は、失望落胆これである。他は、それぞれの事情で異なる。自殺者の中のある者達は、死後すぐに誤りの償いをさせられる。他の者達は、償いをするとしても、自分が放り捨てた人生よりも、更に辛い新しい人生で、やり直しをさせられるだろう。

(注解)自殺の結果は個々の場合ですべて違っている、という上記の解答は、観察によって確かめられている。ただし、その中の幾つか、突然に生命を失ったものの場合は、暴力で生命を奪われたものと同じ結果を示している。右の場合の特色は、霊肉を繋ぐ紐が丈夫で切れにくい、切断の瞬間、非常な抵抗を示すことである。これに対し、自然な死の場合は、生命の紐は徐々に弱まり、生命はすっかり燃え尽きる前に、千切れていくのである。暴力的に生命を失った場合の結果の第一は、一般に死後に味わう精神的混乱の期間が永びくこと。第二に、自分は未だ地上で生きているという錯覚を、当分の間持ち続けるということである。霊肉間にある引力のために、自殺者の幾つかの場合、まだ肉体の中にあるような意識をもち、自分は死んだ筈なのに死んでいないので、激しい苦悩と恐怖を経験する。これは本人が自分で縮めた生命の期間ほども続くものである。自殺の結果がすべてこうだとは限らない、しかし、自分で生命を縮めた者は、勇気と忍耐を欠いたことの結果から逃れる訳にはいかぬ。いつかは、何らかの方法で自己の誤りを償わされることになる。実は、ひどく不幸な地上生活を送った霊達が、次のように言っている。自分達はその前世で自殺したということ、それで自ら志願して新しい試練を引き受け、甘んじてこれを耐えたのだということ。ある場合は、自殺したが現世との何かの引っ掛かりが出来ていて、幸福な国を目指しても、道は閉ざされ、徒にもがいているということである。またある場合は、ただ唯あるのは無益な事をしたことの悔恨、それから受取るのは失望ばかり、こういうことである。
 宗教、道徳、及び全哲学体系は、自殺は自然法に反するものとして非難する。その根本原理は、人間には自分の意志で生命を縮める権利はないということである。しかし、なぜ我々にその権利がないのか。なぜ我々は自分の苦しみに終止符をうつ自由をもたないのか。この点、心霊主義は自殺の実例によって、下記のように主張できる。自殺は道徳違反として、間違いであるだけでなく、得るものは何一つなく、更に償いまでしなければならないのであると。この心霊主義の教えは、単に理論にとどまらず、我々の前に展開される事実なのである。