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 それで、住宅班は、面倒くさかった。山肌を削っていた時は、単純作業だったが、この住宅班は、住宅の敷地内の物に気を遣いながら作業せねばならない。それで同じ給与なのだから、超嫌だ。庭の表土を剥ぎ取って捨てたり、新しい土を被せたり、落ち葉の清掃とか、砂利を敷いたり、車に繋いだ高圧洗浄機のジェット噴射で、石垣のコケを落としたりさ。とにかく、気を使わねばならないので、面倒だった。あとは庭に捨ててあるタイルを拾い集めたり、まあ、そんなことでした。私も時々、高圧洗浄車のトラックを運転して、水を汲みに行ったりしました。まあ、田舎だから、他の車はそんなに走っていないので、緊張はしなかったけど。

 でも、そんな作業の中でも、残ったメンバーは、え~と、俺も含めてあと六名か。そんで、やはり厳しい管理人の人と折り合いが合わずに、途中でどんどん脱落していってしまいました。一人は40歳位の、家族と子供がいる人でしたが、居心地が悪かったらしく、とっとと新しい除染の職場を見つけて、そっちへ移ってしまいました。あとの一人は、やはり管理人と折り合いがつかず、出て行ってしまいました。50代の管理人さんの、風呂場は水道代や温度がもったいないので、二人同時に入れ、という命令に納得できずに反発して、「ここは刑務所か」と発言してしまったら、その管理人さんがキレてしまいました。それで、テーブルのある部屋で話し合いがなされて、一度はその作業員も納得して居続けるという選択をしたようですが、やはり東京で友達経由で職場が見つかったらしく、そっちに移ってしまいました。だから、残ったのは、私と、あと40歳くらいの穏やかな性格の人、32歳の同い年の穏やかな人、あとは50歳の穏やかと言えば穏やかですが、癖のありそうな人が残りました。まあ、結局、このような状況では、他人と衝突してしまう性格の人は、生き残れなかった、という訳だ。

 でも、その後、その50歳の作業員も、バックレてしまいました。作業開始から一か月が経過した頃から、なんだか、管理人三人と部長さんで、新たに除染の会社を複数立ち上げて、まとめて、新しい職場を作る、という話がありました。その内の一社に、管理人さん達が経営陣の会社を作れ、それで、俺にも多少は儲けさせろ!という部長さんの方針でした。なので、管理人さん達は、寮で儲けるというビジネスは破綻しましたが、今度は、自分達が経営者となり、多くの作業員を雇って大儲け出来る可能性が出てきたのでした。元々、その部長さんと三人とは、たまたま知り合ったらしいのです。その二人の夫婦の管理人と50代の管理人もたまたま会ったし、部長さんとも縁あって会ったらしいのです。それが、作業開始からほんの一月程度で、そんなビッグチャンスが舞い込んで来たので、管理人さん達は有頂天になっていました。

 それで、我々残ったメンバーも、新しい会社に来れば厚遇するから、ということで、勧誘されていました。その50歳の作業員の人も、職長にして厚遇するから!とのことで、説得されていたのです。しかし、ある日、ちょっと実家に帰るということで、確か名古屋に帰ってしまいました。その後、直ぐに帰って来ると思っておったのですが、待てど暮らせど、帰っては来ませんでした。やがて、その人が、寮費の残りを支払いたくないから、バックレた、ということが確定的となり、今まで信じていた管理人さん達も、一斉に罵倒し始めました。しかし、その人の最後の給与は、バックレたということで、直接、その会社に受け取りに来なければならない、ということになってしまいました。それで受け取りに来た時に、管理人さん達で問い詰める、という話になって、その人は、怖くて受け取りに来れなくなったようです。で、今、その最後の給与の行方は知りません。なので、バックレずに普通に[辞めます]と言って、最後の寮費を支払って、給与も受け取って帰れば、万事解決だったのにね。まあ、その人は見た目は怪しかったのですけど、話し方とかはまあまあ穏やかだったし、冗談もよく言う人だったので、信用されていたのでした。しかし、やはり内面は、今までそういうことが度々あったようです。管理人さんがその人の奥さんに電話したら、まあ、その奥さんは東南アジア人なのですが、「ワタシモアノヒトニダマサレタヨ~」なんて言っていたようですから。

 と、いう訳で、残りは私も含めて、作業員三名、管理人三名となりました。でも、もうこの頃には、管理人さん達も、別に寮費で儲ける話ではなく、新たな除染会社を作って大儲けするという方向にシフトしていたので、別に大したダメージではありませんでした。

 で、私達も誘われたのですけど、私以外の一人は実家に帰り、もう一人は新会社に移行しました。

 結局、私は神奈川に帰ることにしました。俺は真面目だから、信頼できるとのことで、是非、新しい会社にも来てくれ、とのことでした。けども、その新しい会社を作るにあたり、「今まで勤めていた除染会社に潜り込みながら、そんな新しいライバルとなる会社を立ち上げることを目論んでいたのか!」というように、元の除染会社の人からキツい目で見られたりしました。また、それまでの煩わしい人間関係にも嫌気がさしておったので、私は臆病でしたから、帰宅を選択してしまったのです。その時に、元の除染会社の運営する寮に移動して、そのまま勤務を続けないか?という話もあったのです。だから、二つの除染会社で働き続けられる可能性はあったのです。けども、私はそのどちらも選択せずに、帰宅するという選択をしてしまいました。後々考えれば、そのままどちらかに残り続けて、大金を稼ぎ続けた方がよかったように思えます。どちらに残るにしても、寮費を引いた後であれ、無能な私にとっては、けっこうな金額を稼げた計算になったのですから。仕事内容も、今までそつなくこなせていたのですから。

 ライフカードの借金は未返済のままでした。まあ、なんとかなるだろう、みたいな、安易な考えで放置しておりました。今から考えれば、ライフカードの借金返済分のみでも、そのまま残り続けて、頑張って稼いだ方が良かったように思えます。まあ、うんと遠い将来的に、微量の放射能を浴び続けたせいでの体への影響のことまでは、知りませんけど。とにかく、私の福島での生活は、二月から始まり、三月から働き出して、五月末辺りまでで終了しました。ごく短期間しかいませんでした。

 で、私は、最初の頃には、新会社なんて上手く行く筈がない、と勝手に思い込んでいたのですが、どうやら、その新会社の様子をネットで見ると、けっこう上手くやっているようです。ただ、最近は新規作業員の募集は見かけないので、今、どうなっているのかは知りませんけど。私も、あの時、半年でもいいから、もうちょっと頑張って留まっておればよかったかなぁ、と、今でも後悔しております。