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 それで、その三人の管理人と、私の他に9名の作業員と共に、初日は、そのボロい寮で寝ました。しかし寝られる部屋は五部屋の内、四部屋しかありませんでした。そこに分散して寝ました。まあ、夫婦の管理人は一部屋でしたけど。まあ、当然、雑魚寝ですね。

 翌日、起きて、食事が出て、食べました。それで、直接の雇い主である、地元の建設会社の本社に行きました。まあ、建設会社と言っても、別にゼネコンではないので、こじんまりとした小さな二階建ての建物です。倉庫に道具類があり、その奥が小さな部屋で、そこで契約書類とか誓約書とか書きました。これで、契約終了です。

 でも、それで直ぐに働き出せる訳ではないのです。除染は国主導のシステムなので、色々と面倒なのです。ガラズバッジという登録証が出来上がるまでに、登録機関に書類を送付してから一か月程度かかるらしいのでした。だから、それまでは一銭も稼げないのです。仕方がないので、とりあえず寮に帰りました。

 それで、翌日の午前中にいわき市の指定病院にみんなで赴き、健康診断を受けました。その後、各々、集合はガラスバッジが出来上がったら、またこの寮に来る、ということで、解散しました。しかし、私はたったの一か月ぽっちを神奈川に帰ったとしても、何も出来ないし、往復の交通費がもったいないので、そこの寮に留まって、仕事開始までの間、寮の改築というか、まあ、殆ど掃除と補修をすることとなりました。それらをする代わりに、仕事開始までの間、無料で泊めてもらう、という約束でした。

 で、結局、残ったのは、行くアテの無い私と、私と同年代の男と、管理人の50代男性の三人でした。夫婦の管理人は、仕事再開までは、地元に帰りました。その他の作業員の人達も、ひとまず地元に帰りました。だから、この三人で、暮らし始めました。

 しかし、三人で一緒に暮し始めて、たったの翌日だったか、二日目だったかで、私と同年代の作業員志望の男が、去っていきました。その経緯はこうです。その男は、別の地域で除染をしていたのですが、そこが酷いタコ部屋で、六畳に二段ベッドだか三段ベッドだかを設置して、ギュウギュウ詰めで生活していたそうです。しかも、給料が未払いだったそうです。まあ、ヤクザみたいな奴が運営している下請けの除染会社らしかったのです。だから、酷かったので、給与を貰えぬまま、新たな仕事先であるこの職場に応募した、という訳です。それで、一緒に暮らしていたのですが、とにかくその男は面倒臭がりなのでした。

 掃除とか補修作業とか、果ては単なる皿洗いとかも放棄して、どっかに行ってしまったり、いつまでも、昼過ぎまで布団の中でうずくまってだらけていたりしました。それで、管理人の人がキレてしまい、「働かないのなら出ていけ!」ということになり、追い出されてしまいました。その後、男は軽自動車に乗ってやって来ていたのですが、その軽自動車に乗って、寒い中、福島をウロウロしていたようです。なんか、実家に戻れぬ事情があったらしい。と、まあ、その後の消息は不明です。だから、その男は、一銭も稼ぐことなく、ただの無駄足と時間の無駄で、その職場は終了したのでした。なので、管理人と私の二人の生活になりました。

 それで、その後、二人でコツコツ、補修作業をしました。最初、私と管理人は、広い部屋に寝ていたのですが、そこはやがて作業員が来るということで、一番狭い奥の部屋に移動しました。そこで、なぜか私は押し入れの上の部分で寝ることになりました。まあ、少しでも広くする為ですかね。押し入れって、半分の位置に仕切りがあるでしょ。でも、そのままそこに寝れば、バキッと落ちる危険性があるので、下の部分を角材で補強しました。上の奥の部分には、空間があり、そこにボストンバッグとか着替えも置けました。だから、まあ、快適と言えば快適ではあるし、プライバシーもある程度は保てると言えば保てるのですが、やはりいかんせんただの押し入れです。寝返りも狭すぎて打てないのです。狭い空間、棺桶程度の幅しかないのです。一応、縦幅はそれなりにあるので、足がつっかえるということはありませんでした。ただ、横幅が狭いのです。私は太ってはいないのですけど、なにせ布団がかさばっているので、その分狭くなり、寝返りが打てなかったのです。だから、寝ても、疲れが十分に取れませんでした。やはり眠るに際して、広い空間は必要ですね。まあ、電灯は安物の電球を設置したり、コンセントも設置したりしたので、ある程度は快適ではあったのですが。

 まあ、あとはダイソーに行き、安物のキッチン道具を揃えたり、風呂場の桶とかを買ったりして過ごしました。そんなこんなで、三週間くらいが過ぎていき、やがてボチボチ集まりだしました。

 最初に、夫婦の管理人が戻ってきました。その三人の管理人は、どうやら、雇用主の建設会社の部長と話し合って、寮を運営して、その運営費で儲けて、自分達も作業員として働いて、二重に稼ぐ、という目論見だったようです。まあ、除染ではよくある話です。で、夫婦の内、夫の方はとてつもなくエネルギッシュな方で、ゆくゆくはもっとビジネスを拡張していきたい、と話していました。それで、儲かったら、部長さんにお金をいくらか渡す、という形式です。部長さんも、雇用主の建設会社よりも大きな会社から出向してきていたらしいのですが、給与面で冷遇されていたようです。でも、なんだかっていう資格はその部長さんしか所持しておらず、その部長さんがその企業におるお蔭で、その企業は除染の仕事をする資格があるとかなんとか。よく覚えていませんけど、なんかその出向先の会社の社長が娘婿だったかな、なんか家族関係とか人間関係とかも相まって、けっこう複雑なようでした。まあ、俺には関係ねーけどさ。

 その後、作業員の人達が集まってきました。一人脱落済みなので、私も含めて作業員は9名、管理人3名で、狭い平屋で共同生活が始まりました。ちなみに、夫婦の奥さんも一緒に住みましたが、別に一般的に見て、情欲が湧く年齢でも見た目でもないので、周囲が男ばかりであっても、全然問題ありませんでした。

 それで、ようやく三月の初め頃から、働き出せるようになりました。それで、管理人達が用意した八人乗りのミニバンと、軽自動車に乗り、寮から一時間程度走った場所にある、楢葉町の職場に向かいました。

 最初にJビレッジという場所で、講義や心構えを受けた後、ガラスバッジを受けました。これは絶対に紛失してはならないものです。で、その後、実際の職場に向かいました。

 最初の職場は、とある道路脇の山肌でした。そこの山肌の草を草刈り部隊が刈って、その草を熊手で下に落としたり、あと表土を専用の道具で削り取って下に落としたり、下に溜まった石を一か所に集めたりしました。土を、あの黒い巨大な袋に詰める作業は、重機で行いました。けど、石を運ぶのとか、大変でした。

 そこの職場には、30名程度いたと思いますし、他の雇用主の会社の職場には、もっといたように思います。まあ、最初に広い運動場みたいな場所に集まって、朝礼をするんですが、そこには、頂点に某ゼネコンがおり、その下に、色んな地元とかの建設会社がおり、そこに雇われた作業員が大勢いる、という風景です。だから、そこには何百人も集合するのですが、作業服は各会社毎にバラバラで、色とりどりでした。

 たしか、朝八時から、夕方五時までだったかな。朝七時半だったかな?忘れちゃった。まあ、その運動場の駐車場に、高圧洗浄車とかの車も駐車してあり、我々が乗車してきた車も、そこに停めておりました。

 それで、その山肌の職場は、大変と言えば大変だったのですが、単純だったし、簡単だったので、楽でした。けど、我々がそこに配属されてから、たったの一週間程度で、我々はバラバラに他の職場に配属されました。それは、家屋の除染班でした。一軒の家屋に、大体長ければ数週間かけて、徹底的に除染する、という形式でした。

 でもね、その間、というか、山肌の職場でみんなが働いている間に、ある問題が発生しました。それは、働きだして割と直ぐに休日になったのですけど、その時に、寮の酒飲み達が悪酔いして、Oさんという50歳程度の中年男性を苛めたのです。それで、かなり問題になりました。管理人達は、出ていかれたら、収入が減ってしまうので、何とか最初の方はヘコヘコへりくだってなだめていたのですけど、元々が管理人の二人の男もキレやすい性格なので、終いには、双方キレる形となり、その酒飲み達は出ていくことになりました。

 勿論、酒が入っている間は尊大な態度だったその三人程度の作業員も、翌日酒が抜けると、途端にしょぼんとなっていました。しかし、これから長期間一緒に寝食を一つ屋根の下で暮らしていく者なのに、最初からそんなトラブルを起こすような人にはいて欲しくないということで、管理人達が、すまないが、今すぐ出て行ってくれないか・・・と言いました。それで、結局、その三人は、その日の内に出ていきました。だから、一か月もガラスバッジが出来るまで待機していたのに、その人達はたったの数日分の日当、数万円しか稼げませんでした。アホらしい。今度、また別の除染の職場に就職するとしても、また一から、そこのガラスバッジを制作せねばならず、待機期間が発生してしまうでしょう。

 まあ、その三人の内訳は、一人は五十代半ばの男で、なんか話では、大手のガス会社に勤務していて、そこから独立して会社の社長をして、キャバクラで豪遊した、なんて話していた。しかし、それが事実だとしたら、なんでこんな除染の仕事なんかに赴いているんだ?という疑問が、後々湧きました。もう一人は40手前の男で、その人はキレ易い性格であり、それまでにも幾度も除染の仕事を転々としていたが、度々キレてしまい、結局出ていく羽目に陥ったということだ。もう一人は60代後半の男で、年金暮らしらしかったし、奥さんもおり、持ち家もあるのだが、金儲けの為の除染に来ていたらしい。でも、さすがにそんな老齢の男が、こんなカオスな状況に馴染める訳もなかった。まあ、頑固だったしな。頑固さというのは、何か信念を貫く時には重要かもしれぬが、この除染の時のような環境では、柔軟性が求められるからな。こんなカオスな環境で、一歩も他人に譲らない、というような頑固な人間は、やっていける訳がない。

 なにせ、一部屋におじさんやお爺さんが三人とか四人で、四六時中一緒に生活して、心に安らぎがないのです。しかも、俺も含めて、まともな人生を歩んでいる人なんて、来ません。なんで、わざわざ安定した人生を送っている人が、こんなボロ屋の中で、日給手取り一万円で、週六で働いて、家族でもなんでもない赤の他人と集団生活すると思っているんだ?孤児の子供達と暮らすとかではないんだぞ?子供達なら素直な面もあるが、おっさん、それも、管理人達も含めて、人生が上手く行っていない者だらけ、一つ屋根の下で暮らすというのは、精神的に大変過ぎるよ。オナニーとかも出来ないからな。刑務所だったら、刑務官という偉い立場の者が場を取り仕切りますが、ここはそんな偉い人なんていないのです。寮の管理人にしたって、入寮者はお金を払って頂く立場なんだから、ある意味お客さんな訳だしな。

 まあ、みんな、訳ありの者ばかりでした。私も含めて。管理人の50代の男は、一千万円の借金があった。それは沢山のクレジットカード会社の借金であった。でも、トンズラして、そこに潜り込んでいた。借金取りも、まさか福島で除染の仕事をしているなんてことまでは、突き止められなかったようだ。でも、その人のスマートフォンには、頻繁にクレジットカード会社から電話がかかってきていたが、ことごとく無視していた。その人いわく、三年くらい逃げおおせれば、借金がチャラになるらしい。本当かしら?あとの夫婦の管理人の方も、今まで色んな事業をしてきたけど、失敗して、借金が一千万円程度あるらしい。だから、寮の運営費とか、他にも色々と出費があるとかで、一か月に百万円稼いだとしても、とても足りないと言っていた。

 で、なんで俺が福島に行ったのか?と言えば、霊的知識普及の為の本を出版したい、と考えたからだ。それで、出版費用とか、新聞の広告欄への掲載料とかも、実際に調べていた。まあ、後々、青山考明に騙されて、そっちの線は断念しますけど。ただ、青山に騙されるまでは、本気で霊的知識普及の為の本を出版しようと考えていた。まあ、あとはライフカードの借金30万円も返済しようとしていた。あとは、それまで溜めに溜めていた、国民健康保険料の未払いも払おうとしたが、こっちは、親が支払ってくれた。丁度、この時、政府が過去十年まで遡って追納できるという制度を期間限定で設置していたので、なんとかギリギリで未払いの期間も全て支払えた。計160万円程度だったかな。だから、今は、未払いの期間は、とりあえず、ない。まあ、でも殆ど国民年金しか支払っていないので、このままでは老後はピンチですけどね。