生きる意味

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■あなたは本物の生きる意味をご存知ですか?



 生きる意味をご存じでしょうか?現実には、何も知らないで生きている人が大半だと思われます。

 人が生まれて、そして死んでいく。これはごく当たり前の出来事です。どんな権力者も、どんな金持ちも、この自然法則に抗うことは不可能です。これは必然なのです。

 しかし、この必然の事実があるにも関わらず、多くの日本人は、[]というものを直視しようとしません。

 以前、66歳で余命半年と告げられた人が酷く落ち込んでいる様子がテレビに映されていました。その人も、それまでの長い人生において、生きる事ばかりに目を向けていたから、現実的な死の問題、避けては通れない絶対的な死の現実味に直面した時に、うろたえるばかりなのです。ちゃんと健康体で生きていた時に、事前に[死]についての勉強をしてこなかったツケと言えます。

 ここでは、本物の生きる意味を知らない皆さんに、霊的知識に基づく、無知な人達からすれば革新的な生きる意味を授けたいと思います。

 霊的知識とは、スピリチュアリズムに基づく知識です。霊的知識の霊とは、文字通り、目に見えない霊のことです。大半の皆さんは霊と聞くと、途端に胡散臭く感じることでしょう。しかし、生きる意味とは概念であり、目には見えません。そして人間の身体は、実は肉体のみではなく、肉体とそっくりな霊体というものが内部に重なり合うようにして存在します。実は死とは、肉体が滅びるだけであり、その霊体は存続し続けるのです。

 勿論、意識も生前の本人の意識そのものです。そして、そういった目に見えない知識のことを霊的知識と言うのであり、その霊的知識をこの世に普及させる霊界からの働きかけのことをスピリチュアリズムと総称しています。なので、これから解説する生きる意味についての知識とは、本物の霊界からの働きかけによりもたらされた高尚な知識なのです。


■本物の生きる意味とは何か?



 ここでは、スピリチュアリズムで最も有名な書物である[シルバーバーチの霊訓]から、シルバーバーチの言葉を引用して紹介したいと思います。シルバーバーチとは、霊媒に憑依して話した、あの世の高尚な霊のことです。シルバーバーチについて


 『なぜ生まれてきたのか』より引用


 地上に生を享ける時、地上で何を為すべきかは魂自身はちゃんと自覚しております。何も知らずに誕生してくるのではありません。自分にとって必要な向上進化を促進するにはこういう環境でこういう身体に宿るのが最も効果的であると判断して、魂自らが選ぶのです。ただ、実際に肉体に宿ってしまうと、その肉体の鈍重さのために誕生前の自覚が魂の奥に潜んだまま、通常意識に上がって来ないだけの話です。
 あなたがた地上の人間にとっての大きな問題点は、やむを得ないことかもしれませんが、人生というものを間違った視点から観ていることです。つまり、あまりにもこの世的・物質的観点からのみ人生を考えていることです。人生には確かに地上的な要素がありますが、同時に霊的なものであり、永遠に続くものなのです。その永遠なるものを地上的視野だけで眺めてはいけません。それでは十分な判断は出来ません。神の子には、一人の例外もなく、善悪ともに『埋め合わせ』の原理が働くのですが、地上生活のみで判断しようとすると全ての要素を考慮することが出来なくなります。
 人生には目的があります。しかしその目的は、それに携わる人間が操り人形でしかないほど融通性のないものではありません。笛に踊らされる人形ではないのです。人間の一人ひとりに分霊が宿っており、一人ひとりが無限の創造活動に参加できるのです。つまりあなた方には個的存在としての責任と同時に、ある限度内の自由意志が与えられているのです。自由意志といっても、大自然の法則の働きを阻止することが出来るという意味ではありません。ある限られた範囲内での選択の権利が与えられているということです。運命全体としての枠組みは出来ております。しかしその枠組みの中で、あなた方が計画した予定表(ブループリント)に従いながらどれだけの潜在的神性を発揮するかは、あなたの努力次第だということです。


 つまり、要約すれば、生まれる前[霊界]にいた時は、地上において、こういう人生を送ろうという決意を抱いて生まれてきた。しかし、生まれた後は、霊界の記憶が消されているので、そもそもの目的を忘却している。しかし生きている内に、その目的に向かって歩みだすだろう、というようなことです。

 だから、本当は各人各様の生きる意味があるのです。しかし、この世に生まれてしまえば、毎日の生活費だの、税金の支払いだの、物欲だの性欲だの、旅行だのあれこれ色々忙しいし・・・というので、霊的な意識が消灯寸前にまで消えかかってしまっている人が大半である、ということです。それは年齢を重ねても同様で、80代、90代の老人達であれ、生きる意味を見出している老人は少数派でしょう。そこまでの年齢を重ねようとも、本物の生きる意味に触れられなければ、一生生きる意味など知らずに死んでいくこととなるのです。


■この世で悲嘆を経験するのはなぜか?



 では、なぜこの世で多くの人が悲嘆を経験することとなるのでしょうか?なぜ、一生の間、大半の人において、辛いことが付きまとうのでしょうか?その答えが、以下の文章から読み解けます。


 『なぜ生まれてきたのか』より引用


 もしかしたら、そのブループリントさえ自覚できないかもしれません。でも魂は神性を宿すが故に常に活動を求め、自己表現を求めて波のようにうねります。時にはそれが悲嘆、無念、苦悩、病苦という形をとり、無気力状態のあなたにカツを入れ、目を覚まさせることになります。もしも神があなたに創造活動へ参加させ、そうすることによって潜在的神性を開発させることを望まないのであれば、あなたがこの世に生を享けた意味は無いことになりましょう。そこに『埋め合わせの原理』が働いていることを理解しなくてはいけません。つまり創造活動に貢献する仕事に携わりつつ潜在能力を開発していく生活の中で、あなたの人間的発達が促進されていくという仕組みです。
 つまり二重の仕組みになっているわけです。進歩の誘発は内と外の両側から行われるのです。魂の奥には物質界のいかなるエネルギーよりも大きい威力が秘められています。宇宙の大霊の一部だからです。それが無ければ生命は存在しません。なぜなら生命は霊そのものだからです。物質はカゲに過ぎません。霊という実在の殻に過ぎません。この二重のエネルギーをどこまで活用できるかは、その魂の悟りの程度にかかっています。

 

 つまり、要約すれば、人が数々の失望、悲嘆に暮れる経験をするということは、魂の奥深くに眠る神性を呼び覚まして、本来の生きる意味に目覚めるように促す目的があるということ。だって、想像してみてください。生まれてから一度も何の困難も経験せず、面倒なことは全て召使がしてくれて、金を儲ける苦労もしない、何の気苦労もない生活を送った人の人間性は、とても薄っぺらいと思いませんか?そんな人生で、果たして人間性が磨かれるのでしょうか?私は不可能だと思います。神性を開発するには、数々の困難にぶつかる必要があるのです。


■霊とは何か?



 これまで、人間は肉体のみの存在ではない、死後にも生命があり、それはすなわち、霊体である、そして死後にも生前の精神と全く同様の精神で霊界で暮らすこととなる[地縛霊は別。彼らは地上に留まっている存在]、ということを述べてきました。

 では、そもそも、その[霊]とは一体何なのでしょうか?ここで紹介したいと思います。


 『なぜ生まれてきたのか』より引用


 霊は生命そのものであり、生命は霊そのものです。霊の無いところに生命はありません。物質は殻に過ぎません。霊という実在によって投影されたカゲに過ぎません。物質それ自体には存在はないのです。あなたが存在し、呼吸し、動き、考え、判断し、反省し、要約し、決断し、勘案し、熟考することが出来るのは、あなたが霊であるからこそです。霊があなたの身体を動かしているのです。霊が離れたら最後、その身体は崩壊して元の土塊に戻ってしまいます。物質を崇拝する人間は間違った偶像を拝していることになります。そこに実在がないからです。物質は一時的な存在に過ぎません。
 霊はすべての存在物を形成する基本的素材であるが故に永続性があります。人間という形体によって表現されている生命力は、小鳥、動物、魚類、樹木、草花、果実、野菜等に表現されているものと同じ生命力なのです。いかなる形体にせよ、生命のあるところには必ず霊が働いております。



 つまり、霊とは、生命には必須の要素なのです。石には霊は存在しません。なぜなら、石は物質であり、生命体ではないからです。逆に言えば、蟻でも、蟻の霊が宿っているから、活動できるのです。

 そして、よく仏教の話として、荒唐無稽な輪廻転生説があります。つまり、ある人の前世はバッタで、今回は人で、来世は亀に生まれて、その次は鹿に生まれて・・・・というように、色んな生命体に生まれ変わるという考えです。しかし、まともな理性を備えた人物ならば、そんな話が嘘だと直感的に分かりませんか?そのサイクルに何の意味があるのでしょうか?

 折角、人として生まれて、艱難辛苦を経験して魂のレベルアップを図っても、来世はゴキブリに生まれたのならば、何の意味もないことになりませんか?別にゴキブリのような超下等生物ではなくとも、シロクマに生まれようが同様です。なんで人としての人生の次が、シロクマなのでしょうか?それでは人の人生で学んだ数々の試練・経験から得た知恵や悟りは何の意味もないこととなります。なぜなら、シロクマはただ食って繁殖するだけだからです。

 よって、直感的にも、理性的にも、仏教が提唱する輪廻転生説は捏造であると分かるはずです。どうか、古い教えだからといって、盲信するのは止めましょう。昔の人は、地球が丸いとか、地球が太陽の周りを回っているという基本的な知識もなかった人達なのですから。そんな人達が想像で考え出した捏造をいつまでも信じ続けるのは、この21世紀の人間としてふさわしくありませんよ。

 又、クローン人間を作り、その人が普通の人間と同様に暮らし始めたとしても、それはやはり[霊]が宿っているからです。クローン人間といっても、それはクローンのモデルとなった人の霊とはまた別の霊が宿った結果です。だから、Aという人物から100人のクローン人間を作り出しても、それはAとは別の100体の霊が宿った形となるのです。霊は個であり、分裂して複数の人間に同時に宿ることは不可能だからです。同じ時間において、一人の霊は一人の肉体にしか宿れません。

 下等な生命体から知的生命体まで、全ての活動する生命体は、動物も植物も、全て霊が宿っているからこそ、活動可能なのです。そしてそれぞれの生命の魂は、類魂があります。つまり、ウサギはウサギの類魂、人は人の類魂、ネズミはネズミの類魂というふうに。だから、前世が人で、来世はネズミに生まれ変わるなんてことは、有り得ません。そういった知識も、霊的知識を学習していけば、自然に身に付きます。


■神とは何か?



 さて、神とは何でしょうか?そもそも、生きる意味を考えるにあたり、唯物主義というのは癌です。なぜならば、神がいないのならば、この世の生きる意味もなくなり、どうしても刹那的な思考になりがちだからです。自身の人生が安定している時はそれでもよいのでしょう。しかし、突然交通事故や病気で自身が重度の障害者になってしまったり、財産が根こそぎ奪われたり、愛する人が死んだりすれば、無神論者の精神は、神を信ずる者よりも、容易に崩壊するでしょう。

 だから、唯物主義、無神論に基づいて生きる意味を考察すれば、泥沼にはまります。そこには答えがないからです。創造主のいない世界でいくら生きる意味を模索したところで、繁殖する為とか、財産を形成する為とか、虚しさが伴う回答しか導き出せないでしょう。だから、生きる意味とは、神の存在なしには絶対に語れないのです。

 それでは、神についての項目を少し引用してみます。


 『なぜ生まれてきたのか』より引用


 自覚の程度、意識の程度には様々な段階があります。霊の表現形態は無限だからです。無限なるものに制限を加えるわけには参りません。その生命の背後の力をあなた方は『神』と呼び、私は『大霊』と呼びます。それは全ての霊の極致であり源泉であり頂上であるからです。いかなる形態を取ろうと、創造者たるその大霊の表現であることに変わりありません。(シルバーバーチはこの『大霊』の他に『白色大霊』という呼び方もします。白色とは実は無色透明を意味しているのですが、やはり『神』という言い方もよくしますので、本書では特殊な場合を除いてこの『神』に統一しました)


 よく人は、神のことを、人間のような存在として想像しがちです。ゼウスとか、ポセイドンとか、昔の人は人間の形をした超人的な力を持った存在を神として想像しました。しかし、本当の神というのは、人間のような姿形ではありません。むしろ[固体]ではないのです。宇宙のどこかにいるとか、そういった観念は捨て去ってください。本物の神というのは、この大宇宙や、死後の世界までを含めた全ての空間、そして、その空間を支配する法則のことなのです。当然、私達も神の一部ということになります。

 だから、神とは、天国の王宮に住む人のような存在ではなく、姿形はないのです。まず、固体という概念を捨て去ってください。それらの知識も、霊的知識を学習していくにつれて、身に付いていきます。参考までに[神とは]をお読みください。


■人生の目的とは何か?



 人生の目的とは、一体何なのでしょうか?鉄道マニアならば、好きな車両を撮影したり、車両部品をコレクションしたりすることが人生の目的かもしれません。また、アイドルの追っかけをしている人の人生の目的は、好きなアイドルを一生懸命に応援するのが目的かもしれません。でも、そういった個人限定の人生の目的は、各個人で異なります。鉄道マニアにとっての人生の目的は、アイドルの追っかけ人の人生の目的とは被りません。鉄道マニアにとってはアイドルの追っかけなんてどうでもいいことだし、その逆もしかりです。

 ここでは、全ての人に共通する、普遍的な人生の目的について解説していきたいと思います。


 『なぜ生まれてきたのか』より引用


 人生の目的は至って単純です。霊の世界から物質の世界へ来て、再び霊の世界へ戻った時にあなたを待ち受けている仕事と楽しみを享受する資格を身につけるために、様々な体験を積むということです。そのための道具としての身体をこの地上で授けてもらうというわけです。この地上があなたにとって死後の生活に備える絶好の教訓を与えてくれる場所なのです。その教訓を学ばずに終われば、地上生活は無駄になり、次の段階へ進む資格が得られないことになります。このことは地上だけでなく、私どもの霊の世界でも同じことです。


 日本人は一応、仏教徒と神道の信者が大半ということにはなっています。しかし、仏教といっても、葬儀関連のイベントの時に坊さんの世話になるだけで、常日頃から仏教の書物を熱心に読書しているわけではありません。大半の日本人が一生の内に、殆ど仏教の教えが書かれた本など本気で読まずに死んでいくのです。そして神道に関しては、長文としての教義は存在しません。だから、神道からは具体的な生きる目的は教われないでしょう。

 しかし、スピリチュアリズムは、人生の目的を明確に説明しています。それは生きる意味でもあります。それは前述の文章の通り、死後の世界に帰還した後、霊界での仕事をこなせるようにレベルアップする為です。霊界の仕事といっても、この世の仕事のように、雑務とかはないのですけど。まあ、そういったことは、参考までに[霊界の様子]をお読みください。幽体離脱して霊界を旅して回った男の話が読めます。


■カルマはあるのか?



 世の中は理不尽です。悪さで散々金儲けをしている犯罪者が贅沢な暮らしを何十年も続けている反面、真面目で善行を積んでいる生活をしていても極貧状態の人はいます。よく[悪いことをすれば必ずその分の罰はかえってくる]と言います。いわゆるカルマというやつです。でも、現実社会を見渡しても、散々悪さをしている者でも、生きている間は贅沢な暮らしを続けている者も多数います。なので、現実社会だけを見れば、カルマなんてない、と思えるでしょう。善因善果、悪因悪果、つまり善い行いをすれば将来善いことが自分にかえってきて、逆に悪いことをすれば将来悪いことが自分にかえってくる、という考えは、嘘のように感じられることでしょう。

 しかし、本当にカルマはあります。人間が作った会社の帳簿は誤魔化すことは出来ても、神の帳簿は一切誤魔化すことは不可能なのです。この世での人間の一挙手一投足まで、神は全て知っており、どんな些細な悪事、善事も見逃されることはないのです。その事実を、これから紹介したいと思います。


 『なぜ生まれてきたのか』より引用


 毛を刈り取られたばかりの羊は冷たい風に当たらないようにしてやるものです。神の帳簿は一銭の間違いもなく収支が相償うようになっております。つまり人間の行為の一つ一つについて、その賞と罰とが正確に与えられます。これを別の言い方をすれば、原因があれば必ずそれ相当の結果があるということです。いかなる苦難にもそれ相当の償いがあり、体験を積めばそれ相当の教訓が身に付きます。片方無くして他方は有り得ません。体験もせずにどうして教訓が得られましょう。そして教訓から学んだ時から、その教訓を生かす義務が生じます。何も知らずに犯した罪よりも、悪いと知りつつ犯した罪の方が重いに決まっています。
 あなた方は内部に完全性を秘めそれを発揮せんとしている未完の存在です。地上生活においては物質と霊との間がしっくりいかず常に葛藤が続いている以上、あなた方は当然のことながら罪を犯すことになります。私はこれを『過ち』と呼ぶ方を好みます。もし過ちを犯さなくなったら、地上にも私どもの世界にも誰一人存在しなくなります。あなた方が地上という世界に来たのは、霊的な力と物質的な力との作用と反作用の中においてこそ内部の神性が発揮されていくからです。
 光を有り難いと思うのは陰と暗闇を体験すればこそです。晴天を有り難いと思うのは嵐を体験すればこそです。物事の成就を誇りに思えるのは困難があればこそです。平和が有り難く思えるのは闘争があればこそです。このように人生は対照の中において悟っていくものです。もしも辿る道が単調であれば開発は無いでしょう。様々な環境の衝突の中にこそ内部の霊性が形成され成熟していくのです。
 時として人生が不公平に思えることがあります。ある人は苦労も苦痛も心配もない人生を送り、ある人は光を求めながら生涯を暗闇の中を生きているように思えることがあります。しかしその観方は事実の反面しか見ておりません。まだまだ未知の要素があることに気づいておりません。私はあなた方に較べれば遥かに長い年月を生き、宇宙の摂理の働き具合を遥かに多く見てきましたが、私はその摂理に絶対的敬意を表します。なぜなら、神の摂理がその通りに働かなかった例を一つとして知らないからです。こちらへ来た人間が『自分は両方の世界を体験したが、私は不公平な扱いを受けている』などと言えるような不当な扱いを受けている例を私は一つも知りません。神は絶対に誤りを犯しません。もしも誤りを犯すことがあったら宇宙は明日という日もおぼつかないことになります。あなた方が誕生する遥か以前から地球は存在し、あなた方が去った後も延々と存在し続けます。何億年の昔、まだ地上に何一つ生物が存在しなかった時から太陽は地球を照らし続け、人間が誰一人居ない時からエネルギーをふんだんに放射し続け、そのおかげで石炭その他の、太陽エネルギーの貯蔵物を燃料とすることが出来ているのです。なんと悠長な教訓でしょう。



 ということです。皆さんは、霊的な観点からこの世の物事を眺めてみれば、きっと違った視点に立てると思います。その事実は、実際に死んであの世に行った者達の、霊界での暮らしぶりを眺めれば、理解できると思います。それは、[霊との対話]に多数掲載されています。この話を読めば、たとえ地上で悪事を働きつつ贅沢三昧な暮らしをした者であっても、ちゃんとカルマの償いは発生している、ということが理解できるでしょう。

 だから、生きる意味とは、霊的知識を学習しなければ、けっして理解できないのです。唯物論のみで考えてみても、無駄なのです。アリストテレスの時代から既に何千年も経過していますが、まともな、皆を納得させられるだけの説得力のある解答など、誰も提出できていないのです。


■生きる意味について、最後の言葉



 さて、ここまで、私なりに霊的知識の初心者の皆さんに容易に理解してもらえるように、平易な文体で解説してきたつもりです。しかし、勿論上記の言葉のみで、あなたが真に納得するはずなどとは思ってはいません。結局のところ、あなた自身で、これから本物の生きる意味を学習していかねばならないのです。

 しかし、生きる意味を模索する必要はありません。模索というのは、暗中模索の通り、どうしてよいのか分からないという状態です。しかし、あなたは今、この霊的知識を豊富に掲載した、本物の生きる意味を提供してくれるサイトに辿り着いています。だから、あなたがこれからやるべきことは、このサイト内の他の霊的知識を自主的に学習していくことです。そうすることにより、生きる意味に対する、より深い理解が得られる筈です。

 どうか、あなたが本物の生きる意味に気付き、今後の人生の生き方に生かせますように。

 まず手始めに、こちらをお読みになるのがよろしいかと思います。これらの文章は、初心者でも容易に理解可能かと思います。

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 自殺防止サイト [自殺ダメ]管理人 齋藤健一


       
       
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