キリスト教とスピリティズムは同じことを教えている

八、魂が非物質であるならば、この人生の後には同様に不可視で非物質の世界を通らねばならず、それは肉体が分解して物質へと戻るのと同じである。しかしその時、神のように思考や科学によって自らを養う純粋で真に非物質の魂と、物質の不純さによる汚点を残した魂で、神に向かって昇っていくことを拒み、地上において存在した場所に残留する者達とを区別することが大切である。
 
この通り、ソクラテスとプラトンは、魂の非物質化の程度の違いを完全に理解していたのでした。その純粋さの程度により状況が多様化することを主張したのです。彼等が直感的に述べたことを、スピリティズムは私達に無数の例を通じて証明しています。

九、死が人間の完全なる消滅であったのであれば、悪人は死によって多くを得ることになるであろう。なぜなら、同時に肉体や魂、悪癖からも自由になることが出来るからである。外見的な装飾ではなく、適切なものによって魂を飾ることが出来た者だけが別の世界へ旅立つ時を平穏に待つことが出来る。
 
これは唯物主義が、死の後には無が待っているということで、これまでのあらゆる責任を白紙にし、結果的に悪を助長することになるのだと言っているのに等しいのです。悪は、無によって全てにおいて得をすることになります。悪癖を捨て美徳によって豊かになった人だけが、別の人生に目覚めるのを安心して待つことが出来るのです。スピリティズムは、毎日私達に示してくれる例を用いて悪人にとって、この人生から別の人生、未来の人生への入り口へと移っていくことがどんなに苦しいことかを教えてくれます。

十、肉体はそれが受けた手当や遭遇した事故の痕跡をはっきりと保っている。同じことが魂にも言える。肉体に別れを告げると、魂はその性格の明白な形跡やその愛情、人生の間に残したあらゆる行動の跡を保つことになる。その為に、人間において起こりうる最悪の不幸とは、別の世界へ罪に覆われた魂を持って移って行くことである。あなたと同じように、カリクレスもポルックスも、ゴルギアスも、別の世界に行った時に有益となるような別の人生を歩まなければならないのだということを証明することは出来ない。これ程に多くの意見の中でも唯一揺らぐことのないことは、悪を働くよりも悪を受ける方が良いことであり、何よりも、私達は外見においてではなく、内面において善の人とならなければならないということである。(牢におけるソクラテスの弟子との対話より)
 ここに私達は、今日科学によって裏付けされたもう一つの重要な点を見出すことが出来ます。すなわち、浄化されていない魂は地上で持っていた考えや、傾向、性格、情熱を抱き続けるということです。悪を働くよりも悪を受ける方が価値があるという金言は、まったくキリスト教の考えと等しいではありませんか。同じ考えをイエスは次の表現で表しました。「彼が一方の頬を叩いたなら、もう一方の頬も向けなさい」(→第十二章 七、八)。

十一、二つに一つ。死が絶対的な破滅であるか、魂が別の場所へ移行するのであるか。もし全てが消滅するのであれば、死とは夢も見ず、自分自身の意識もなしに過ごす稀な夜のようなものである。しかし、もし死が生きる場所の変更に過ぎず、そこに死者達が集まるのであれば、そこで知人に出会う喜びの何と大きいことか。私の最大の喜びとはその別の場所の住人を近くで観察し、自分を何であると唱える人達の内、誰がそれに相応しく誰が相応しくないのかを知ることである。しかし、今は私達に別れる時が来た。私は死へ、あなた達は生へ。(判事に対するソクラテスの言葉)
 ソクラテスによると、地上に生きた者は死後に出会い、お互いを認識し合います。スピリティズムは、生きている間に人々がお互いに築いた関係は継続し、それ故に死は人生の中断でも、終わりでもなく、継続性のある避けることの出来ない変遷であると示しています。

 その五百年後に広められたキリストの教えや、今日スピリティズムが広める教えをソクラテスとプラトンが知っていたとしても、彼等は別の言い方をすることはなかったでしょう。偉大なる真実は永遠で、進歩した霊がそれを地上に来る前に知り、地上にもたらしたのであると考えれば、それは驚くことではありません。すなわち、ソクラテスやプラトンのような当時の偉大なる哲学者達は、後の時代において、まさしく他人に比べ崇高な教えをよりよく理解する条件を備えていた為に、キリストの神聖なる使命に従って、偉大なる真実をもたらす為に選ばれた可能性があります。そして遂には、同じ真実を人類に教える役割を担う霊の集団に加わっていると考えることが出来ます。

十二、私達に与えた損害が何であろうと、それに対して不義によって報いたり、誰かに悪を働いたりしてはならない。しかし、この原則を受け入れる者は少なく、彼等とそれを理解しない者達とは、疑いもなくお互いを蔑視することになるであろう。
 
悪を悪によって報いず、敵を赦すことを教える慈善の原則が、ここに書かれているのではないでしょうか。

十三、果実によって木を知るのである。いかなる行動もそれがもたらすものによって評価されなければならない。そこから悪がもたらされる時、それを悪と判断し、善の源となっている時には善であると判断する。
「果実によって木を知る」という金言は福音の中に繰り返し記載されています。

十四、富は大きな危険である。富を愛する者は皆、自分自身をも自分自身に属するものをも愛さない。その者に属するものよりも慣れないものを愛しているのである。

十五、最も美しい祈りも、最も美しい供え物も、神に同化しようと努力する徳の高い魂程に神を喜ばすことは出来ない。神々が私達の魂よりも私達の供え物に関心を抱くと考えたとしたらそれは重大な誤りである。そうしたことが起きたのであれば、より責任を負う者が、都合良くなることが出来るようになってしまう。しかし、そうではない。言葉と行動において真に正当で公正な者だけが、神々や人々に対して負う義務を遂行する
(→第十章 七、八)

十六、魂よりも肉体を愛する者を悪習の者と呼ぶ。愛は自然のあらゆる場所に存在し、私達が知性を使うことを促してくれる。天体の動きの中にも愛は見出せる。その愛とは、自然を装飾する豊かな絨毯のようなものである。愛は花が咲き芳香が漂うところを飾り、そこに存在する。人間に平和を与え、海を鎮め、風を静まらせ、痛みを和らげるのも愛である。
 
一つの兄弟愛の絆によって人類を結び付ける愛とは、自然の法としての宇宙の愛に関するプラトンの理論の結論です。「愛は一つの神でも、一人の死すべき人間でもなく、一人の偉大なダイモンである」とソクラテスは言いましたが、つまり、宇宙の愛に生きる偉大なる霊の存在のことであり、この結論を唱えた為に彼は罪人として罪を負わされたのです。

十七、美徳は教えられるものではない。神の賜としてそれを有する者に与えられる。
 
これは殆ど、恵みについて教えるキリストの教えと同等です。しかし、美徳が神の賜であるならば、それは特別な待遇であり、なぜそれが全ての者に与えられていないのか質問をすることが出来ます。他方で、それが賜であるのだとすれば、それを有する者の功労は失われてしまいます。スピリティズムはより明解であり、美徳を有する者は、それを連続した人生の中で自らの努力によって、少しずつ不完全性を捨てながら手に入れたのだと教えています。恵みとは、悪を追放し善を行おうという意志のある者に神が与える力のことなのです。

十八、他人の欠点よりも、私達自身の欠点に気が付くことが少ないのは、私達全てに当てはまる自然の傾向である。
 
福音には記されています。「あなたの隣人の目の中にあるおが屑を見て、自分の目の中にある杭が見えない」(→第十章 九、十)。

十九、成功しない医師がいるのであれば、それは病気の殆どを治療する時、肉体は治療しても、魂を治療していないからである。全てが善い状況になければ、病人の一部が善くなることも不可能である。
 
スピリティズムは魂と肉体との関係の鍵を与え、一方が他方に対して絶え間なく作用していることを証明しています。これにより、科学の新しい道を開いています。幾つかの病気の真の原因を示すことにより、それと戦う手段をより容易なものとします。肉体の営みにおける霊的要因の作用を科学が考慮するようになれば、医師達の失敗も少なくなることでしょう。

二十、どんな人間も、その幼い時代から善よりも多くの悪を働く。
 
ソクラテスのこの文は、地上における悪の優勢という重大な問題に触れています。この問題は世界の複数性や、人類のほんの一部が住む地球の運命についての知識なしには解決出来ないものです。この問題はスピリティズムだけが解決出来ますが、それは後の第一、二、三章に記されています。

二十一、知らないことについては知っているふりをしない方が賢明である。
 
この言葉は、基本的な事項さえも知らずに批判をする人々に差し向けられます。プラトンは、ソクラテスのこの考えを補足して次のように言いました。
「まず最初に、可能であれば、言葉をより誠実に受け止めてみる。そうでないのであれば、彼等には気を掛けず真実だけを求めればよい。私達自身を教化することを心掛け、彼等を侮辱してはいけない」。
 スピリティズムも、悪意の有無に関わらずそれに対して反論する者達に対して、このように接しなければいけません。プラトンが、今日再び生きることになれば、自分の時代と殆ど同じ状態の物事を見て同じ言葉を使うことでしょう。又、ソクラテスもその霊に対する信念を嘲る人々に出会うことになり、弟子プラトンと共に狂人として扱われるでしょう。
 こうした原則を唱えた為にソクラテスは嘲笑の対象となり、後に不信心の罪に問われ毒を飲まされたのでした。確かに、多くの関心や偏見に取り組むことになる偉大な新しい真実は、戦いや殉教者なしには定着することはないのです。
       
       
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