祈りの喜び

二十三、
信じたい者は皆来てください。天の霊達がやって来て、素晴らしいことを教えてくれます。子供達よ、神はその宝を広げ、その恵みをあなた達に分けてくれるのです。信心のない者よ、信仰というものがどれだけあなた達の心を和ませてくれ、魂を後悔と祈りに導いてくれるか、もしあなた達が知ることが出来るならば。祈り、ああ、祈りの時、唇から出る言葉とは、なんと感動を与えるものなのでしょう。祈りとは、熱し過ぎた情熱を冷ましてくれる、神が降らせた夜霧のようなものなのです。信仰から生まれた愛しい娘は、私達を神に通じる道へと案内してくれるのです。孤独の中で一人で深く考え込む時、神に出会うことが出来るでしょう。その時あなたの謎は消えてなくなります。なぜなら神は、彼の方から現れてくれるからです。信じる者よ、あなた達の為に本当の人生というものが開かれるのです。あなた達の魂は肉体を離れ、人類が未だ知ることのない無限なるエーテルの世界に放たれるのです。
 前進しましょう。祈りの道に沿って進み、天使の声を聞くのです。なんと素晴らしいハーモニーでしょう。もはや地球で聞いた叫びや、混乱した雑音ではありません。大天使の竪琴の音、森林の木々の枝葉に戯れる朝のそよ風よりも優しい、甘い熾天使の声。なんという喜びを感じて進むことが出来るでしょうか。この祈りの喜びを、地上のあなたの言葉では到底表現することは出来ないでしょう。あなたの身体の隅々まで染み込む、この鮮明で爽やかな喜びは、祈ることによって飲むことの出来る泉なのです。祈りによって知られざる生命の住む世界へ放たれる甘い言葉、芳香は、霊達によって聞き入れられ、吸い込まれます。肉体の世界の欲望から切り離された熱望は、いかなるものも神のものとなります。ゴルゴタからカルバリオまであなた達の十字架を運んだキリストのように、あなた達も祈ってください。あなたの十字架を担いでください。そうすれば、屈辱の十字架を担ぎながらもキリストの魂が感じていた、優しい感動を得ることが出来るでしょう。キリストは死ななければなりませんでした。しかし、死ぬということは、彼の父の住み家のある世界で生きるということだったのです。(聖アウグスティヌス パリ、1861年)