スピリティズムの教義の要約


「生まれ、死に、再び生まれ、更に進歩し続ける。それが法なのである」

-アラン・カルデック


 スピリティズムの教義はこの言葉に要約されています。宇宙のあらゆる命の本質とは、物質的な存在ではなく、それに働きかける非物質的存在、すなわち霊的存在(霊魂)です。そして、その霊的存在とは永久不滅であり、永遠に進歩をし続けるのであるとスピリティズムでは考えます。

 私達人間も、その法の下に存在しています。つまり、私達の命とは、何十年かに及ぶ肉体の寿命によって限定された存在ではなく、私達の個を成している霊魂の命であり、それは肉体が滅んだ後も霊的世界に存在し、未来において再び新たな別の肉体を授かり、物質的世界に生まれてくるのです。

 この法により、スピリティズムは「死」の概念を終焉としてではなく、永遠の存在の中で私達が経験する変化として捉え、私達の霊的な目標を、死を越えた先に置くことを教えているのです。

 スピリティズムの教義において「人生は一度だけではない」のです。今生きる私達は、過去において色々な経験を既にしており、又未来において別の経験をすることになります。しかし、だからと言って、今の人生を軽んじていいのではなく、反対に、現世には今でしか経験出来ないことがある為、特別な意味を持つことになるのです。自分の未来の目標の為に、現世に最善を尽くす必要があるのです。

 こうした法が支配する宇宙には秩序があります。人類の科学は、その秩序の解明の為に進歩し続けています。スピリティズムの教義は、その秩序のある宇宙を次のような原則によって捉えています。

神の存在-神とは万物の第一原因、至上の英知である。原因(神)なくして結果(宇宙とそこにある物質・非物質的存在)は存在しない。また神は完全なる正義、善である。

霊魂の不滅-神によって創られた霊魂とは非物質的存在である。知性、愛、自由意志を持っており、その個性は不滅である。個々の霊が分裂したり、複数の霊が一つの霊になったりすることはない。

③再生(リインカーネイション)-霊魂は単純、無知に創られるが、自らの意志により、進歩しながら自分の運命を創っていく。霊魂は進歩する為に、物質的世界に生まれて経験を積む必要があるが、そこは一度だけでは不十分であり、幾度も繰り返す。霊魂は同一でも別の肉体を受け、物質的世界に生まれてくることを再生(リインカーネイション)と呼ぶ。再生によって霊魂が遂げる進歩とは、知性的進歩と道徳的進歩である。私達は普通、過去における人生の記憶をはっきり持ってはいない。これは、一時的に過去を忘れさせてくれている神の正義の結果であり、過去を忘れることによって、失敗を恐れず、新しい人生に挑むことが出来るのである。

霊とのコミュニケーションの可能性-霊とは、再生の合間に霊界に存在する肉体を失った人々であり、人間は、霊媒性と呼ばれる知覚能力により相互にコミュニケーションをしたり、影響を与えたりすることが可能である。

 こうした原則のもとに私達の人生を捉えると、世の中の見え方は違ってきます。「人は皆、幸せになる為に生きている」-これは誰から教わらなくても信じていることです。しかしそれに反して、この世にこれほど多くの不幸が存在するのは、それぞれの人間の存在の目標が違っており、それが皆違った方向を向いている為にぶつかり合っているからではないでしょうか。

 スピリティズムの教義は、こうした人間に対して、その目標を捉えるべき位置を、霊界からの働きかけによって示そうとしてくれるものなのです。幸せになることが私達にとっての「救い」であるならば、スピリティズムは「慈善なしには救われません」と教えています。つまり、何を信じるか、何を崇めるかということが人を幸せにするのではなく、同じ目標に向かって進歩しようとしている人間同士が、お互いに助け合い、手を取り合いながら生きる以外、幸せになる道はないのだということです。

 こうした意味で、スピリティズムの教義は人々に兄弟愛と平和、赦しを自らの行動によって示したイエス・キリストの教えを受け継いでいます。イエス・キリストを教会の創始者としてではなく、人類の生き方の模範として位置づけ、そこに学ぶことによって、私達の生き方を見つめ直す機会を与えてくれるのです。

 霊魂や霊媒性といった目に見えない世界を扱う為に、モーゼの時代からそうであったように、人はそれを誤って用いる危険性を多くはらんでいます。しかし、スピリティズムの教義では、「ただで受けたのだから、ただで与えなさい(マタイ 第十章 八)」という教えによって、人と神との関わりにおいて、物質的な対価のやり取りはすべきでないとしています。