以下の文章は、[スピリティズムによる福音]という、霊的知識の書物から抜粋した文章です。また、自殺に関するその他の霊的知識は、[自殺してはならない霊的な理由]に書かれています。

自殺者への祈り[アラン・カルデック著『スピリティズムによる福音』より]


 人類には決して自分の生命を放棄する権利はありません。神のみに、適当であると判断された時、地上の牢から人を連れ出すことが許されているのです。神の正義は、状況に応じてその厳格さが緩和されることもありますが、人生の試練から逃れようとした者に対する厳しさは保たれます。自殺者は、刑期を終えることなく、牢から抜け出した囚人のようなものです。再び捕えられた時には、より厳しく罰せられます。現世の惨めさから逃れようと決断し、より大きな不幸にはまってしまう自殺者にも、同じことが当てはまります。

 <祈り>神よ、自分から生命の日数を短縮し、あなたの法を破った者を待ち受ける運命がどのようなものであるかを私達は知っています。しかし、あなたの慈悲は無限であることも知っています。どうか「○○」の魂にあなたの慈悲を差し伸べてください。試練が終結するまで待つ為の勇気が欠如した為、いま彼が経験している苦しみの辛辣さが、私達の祈りと神の憐れみによって和らげられますように。
 不幸な者を救済する任務を負った善霊よ、彼をあなたの保護のもとに置いてください。彼の犯した罪の重さを感じさせてあげてください。あなたの救援によって、彼の過ちを改める為に立ち向かわねばならない新たなる試練を甘受し、耐え抜く力が与えられますように。再び彼に悪を強要し、苦しみを長引かせることによって、未来における償いの結果を失わせることになる悪い霊を、彼の側から遠ざけてください。
 私達の祈りを誘った不幸の持ち主であるあなたにも、あなたの苦悩を短縮させる私達の同情をあなたが願い、よりよい未来への希望を自分の中に生み出すことが出来るように祈ります。神はあなたの手の中に存在します。神の善意を信じてください。神の胸は固くなった心に対しては閉ざし続けますが、全ての後悔に対しては開かれます。




自殺者と狂気[アラン・カルデック著『スピリティズムによる福音』より]

 地上での人生に対する視点を変えることによって得られる心の平静、甘受の気持ち、将来への信念は、霊に心の落ち着きを与えるのですが、そうした心の落ち着きとは、自殺や狂気への最良の予防薬となります。狂気の殆どは、人間が耐えることの出来ない苦しみが原因となっています。スピリティズムが教えているように、高い視点からこの世を見ることが出来るようになると、普通であれば、大きな落胆の原因となるような悲運や失敗を前にしても、それらを冷静に、時には喜びさえ感じて受け止めることが出来るようになります。同時に、こうした苦しみを乗り越えさせてくれる力が、人間を精神的な動揺から守ってくれるのです。

 自殺に関しても同じことが言えます。無意識の自殺と考えられる、泥酔や狂気によって起きる自殺を除けば、各々の直接の動機が何であれ、殆どの自殺の原因は人生に対する不満であると言うことが出来ます。苦しみがたった一日だけのものであり、次の日には必ず幸せが来るのだと確信出来る人は、容易に耐えることが出来ます。そうした人は、この世の苦しみに終わりがないと思わない限り、絶望することはありません。永遠の生命の中で、人間の一生とはどのようなものなのでしょうか。それは、ほんの一日よりも更に短いものなのです。それにもかかわらず、自分の生命と共にこの世の中の全てのことが終わると考えて、嫌なことや失敗を悲観し、永遠の生命を信じない者は、死ぬことのみによって苦しみから救われると考えるのです。そして、この世におけるどんな解決も期待出来ないまま、苦しみを自殺によって短縮することが自然で論理的であると考えるのです。

 神を信じなかったり、将来への単純な疑問や唯物主義的な考えを持つことは、人を自殺に導く大きな動機となり得ます。なぜならそうした考えは、道徳の弱体化をもたらすからです。自分の知識の権威に支えられたある有能な人が、人間の死後には何も存在しないということを、彼の聴衆や読者達に対して納得させようとしているとしたら、それは、「不幸であるのなら自殺してしまいなさい」と言っているのと同じことではないでしょうか。この有能な人は、彼の聴衆や読者達が自殺しない為になんと言ってあげることが出来るでしょうか。自殺しないことによって、何を得ることが出来ると教えてあげることが出来るでしょうか。どんな希望を与えることが出来るのでしょうか。「無」以外何もありません。不幸な者に与えられる英雄的な唯一の救いであり希望が「無」なのであれば、苦しみが増す前に、直ぐにでも「無」の中に身を投じた方が利口であると、必然的に結論が出てしまいます。
 したがって、唯物主義的な考えは、自殺の肯定を多くの人に伝えることになる毒なのです。そして、唯物主義者達は重大な責任を負うことになるのです。スピリティズムの考えでは、生命に謎を抱くことが出来なくなる為に、人生の様相は変わります。スピリティズムを信じる者は、生命は死を超え、全く新しい形で、無限に続くということを知っています。このように理解することが、私達に忍耐と甘受の気持ちを与えてくれ、私達を自然に自殺から遠ざけてくれます。また、そこから私達の中に道徳的な勇気が生まれるのです。

 スピリティズムは、自殺の問題に関して、もう一つの有益で、より決定的な結論をもたらします。スピリティズムは、自殺した人の死後の不幸な状態を見せることで、誰も罰せられることなく神の法則を破ることは出来ないのだということを証明してくれます。神は、人間が自分に与えられた人生を短縮することを禁じています。自殺した者の味わう苦しみは永遠ではなく、一時的なものですが、だからといって、それが恐ろしいものではないということではありません。神の命令が下る前にこの世を去ろうとする者がその実態を知ることが出来れば、誰もがもう一度考え直したくなるような恐ろしいものなのです。スピリティズムを信じる者は、このように自殺に反対する多くの理由を持っています。地球上に生きる間に甘受し、堪え忍んだ苦しみが大きければ大きい程、幸せにすることの出来る未来の生命への確信。人生を短縮することが、期待する結果とは全く反対の結果を生むという確信。苦しみから逃れても、更に恐ろしく、長引くことになる苦境へ追いやられるだけであるという確信。自分を死に追いやれば、より早く天国へ行けると考えることが誤っているという確信。自殺は霊の世界で愛する者と再会する上で障害となるという確信。これら全てのことが、自殺は失望しかもたらさず、自分達の関心とは相反しているものであると結論付けてくれるのです。スピリティズムが改心させる自殺願望者の数は非常に大きなものです。もし、全ての人がスピリティズムの考えを信じるようになれば、意識的な自殺者はいなくなるでしょう。自殺に関して、唯物主義とスピリティズムの教義のそれぞれがもたらす結果を比べるならば、一方の理論は自殺を促し、一方の理論は自殺を防ぐのだということが分かり、そのことは経験からも証明されています。


自らの命を犠牲にすること[アラン・カルデック著『スピリティズムによる福音』より]

問い: 生きることが嫌になってしまった者が、自殺はしないまでも、自分の死を何かの役に立てようと、死を求めて戦場へ出掛けて行くことに罪はありますか。

 
ある人が自殺しようと、自分を人に殺させようと、いずれにしてもその目的は人生を短縮することにあります。それ故、実際に自殺をしなくとも、意図的な自殺をしたことになり得るのです。自分の死が何かの役に立つだろうなどと言う考えは錯覚でしかありません。それは単なる言い訳であって、罪深い行動であることを隠し、自分自身の目を誤魔化して責任逃れをしているに過ぎないのです。もしその人が真剣に母国の為に身を捧げたいのであれば、母国を守る為に生き延びようとする筈であり、死のうとはしません。なぜなら、一度死んでしまえば、もう何の役にも立たないからです。本当の献身とは、役に立とうとする時に死を恐れずに危険に立ち向かい、必要であれば、命を捨てることに前もって拘ることもなく、その犠牲をも捧げることです。しかし、最初から死を求め、危険な場所、危険な任務に自分を置くのであれば、その行動に真なる功労はないことになります。(聖王ルイ パリ、1860年)

問い: ある人の命を救おうとし、死ぬことを覚悟で切迫した危険に身を投じることは、自殺と考えることは出来ますか。

 そうした時、そこに死を求める意志がないのですから、自殺とは考えられません。死ぬ確信があったとしても、そうさせるものは献身と無我の気持ちです。しかし、この死ぬ確信というものも、誰が持つことが出来るでしょうか。危篤の状態となった時、神の意が予期せぬ救いの方法を与えてくれないとも限りません。その神意は大砲の砲口に立たされた者さえも救うことが出来るのではないでしょうか。又、多くの場合、神意は忍従の気持ちを試す為に人を最期の限界まで追い詰め、予測していなかった状況において、致命的な一撃を遠ざけてくれるのです。(聖王ルイ パリ、1860年)




追記

 知り合いの霊的書物の翻訳家(日本人)から、新しく自殺関連の文章を訳したということで、以下の文章が送られてきました。アラン・カルデックではありませんが、優れた霊媒が、優れた霊から受け取った自殺に関する文章です。参考までにどうぞ。



自殺の一歩手前で、私たちには崖っぷちを歩くあなたの足取りを感じることができます。
あなたは今にもそこに落ちてしまいそうです。
しかし、あなたがバランスを取りもどせるように、私たちはあなたの心を迎えに行きます。
誰にもあなたの痛みをはかることはできません。しかし、私たちがどれだけ苦しもうと、常に誰かがより大きな障害を乗り越えようとしていることを認識する必要があります。
あなた自身の破壊に仕向ける考えを捨て、瞑想してください。
今日昇ったように、明日を迎えることのできる太陽が存在するのです。
人生の道のりでは、すべての道が一度に通行止めになるわけではありません。
どんなに終焉を期待したところで、死は幻想でしかありません。
仕事中も、休む間も、光の中でも、影の下でも、日中でも、夜中でも、私たちは自分に対して行った通りの状態で存在しているのです。
覚えておいてください。弱った草木を再び元気にする命の英知は、私たちのどんな痛みにも効く薬を同じように持っているのです。
自分自身の感情によって生まれた混乱の谷間から立ち上がり、否定と疑惑の霧を後に追いやってください。
前進してください。
救いの働きは、あなたの思考と手が差し出されるのを待っているのです。
作者:エマヌエル/フランシスコ・カンディド・シャビエル



〇メッセージが下された時代は、多分、50年近く前であろうとのこと(この文章の受け取り時は2016年)。

エマヌエル=フランシスコ・カンディド・シャビエルの指導霊
フランシスコ・カンディド・シャビエル=霊媒。様々な霊からの通信を受け取っており、400冊以上の書物が、ブラジルを始め、様々な国で出版されている。 

 

       
       
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