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自殺してはならない理由


-内的する神性を呼び覚ますことによって治癒されると理解しておりますが、今あなたは霊的治療は霊から霊を通して霊へ向けられ、それによって魂が充電されると仰いました。それが大霊から届けられるとなると、それは外部からの影響であるように思えるのですが・・・・

 治療家自身に具わっているものを使用するのであれば、それは本来の霊的治療ではありません。それは磁気療法(マグネチックヒーリング)とでも言うべき範疇に属します。純粋の霊的治療は大霊から発する霊力の伝導によって行われます。大霊が始源です。発電所です。水源池です。貯蔵庫です。それをスピリチュアル・ヒーリングというのです。

-私達は皆大霊の一部であり神性を宿しているのですね?

 そうです。皆さんもミニチュアの大霊です。それは間違いない事実です。が、皆さんの内部に宿る潜在力は、大霊から届けられる無限の霊力に較べれば、極々小さなものです。自分で自分を治癒するセルフヒーリングには精神統一と受容性、つまり内在する力を働かせると同時に大霊から送られて来る力を受け入れるという、内と外とのコンビネーションが必要です。

-セルフヒーリングが広まれば治療家のお世話にならなくて済むので、これを開発促進すべきでしょうか。

 これは簡単にはお答えしなくい質問です。霊的覚醒に関わることだからです。治療家としてのあなたの機能は、治癒エネルギーの通路となることです。患者が霊的に治る段階に来ていれば功を奏します。魂が感動して覚醒することによって治ることもあります。身体上の症状が取れただけではまだ目標は達成されていません。目標は霊的覚醒にあるのです。

-感情についてお聞きしたいことがあります。私達が立派と思っている愛国心その他の愛でも、実際は一種の利己主義であることがあります。

 何事も動機が大切です。愛国心でも、自分の国家と国民のことだけを考えて、他所の国のことは一切眼中にないようでは、それは一種の利己主義です。
 最高の指針となるのは人の為に役立つこと、思いやり、謙虚さ、寛容心、協調性といった形で表現される愛です。愛は宇宙最大の力です。
 あなた方は人間です。完全ではありません。完全は地上では絶対に達成されません。こちらの世界でも達成されません。絶えず発達し進化し伸びていく存在です。内部には神性を帯びた潜在力が秘められいます。又、一定限度内での自由意志も授けられています。
 従ってあなたは神の意図された通りのイメージに従って行動して内部の神性を発揮することも出来ますし、低級な感情と欲望の赴くままに生き、永遠の持ちものとはならない俗物を求めるだけの人生で終わることも許されます。それは神が地上の人間の全てに与えられた自由選択の権利です。
 しかし人間である以上はその選択を誤まることがあります。そして途中で挫折してしまいます。そこで私達は、善悪の判断に際して〝動機〟を重要視します。神は一人一人に良心という絶対に狂うことのない監視装置(モニター)を用意してくださっております。それがあなたの行為が正しいか間違っているかを正確に教えてくれます。

-うつ病患者が多いのですが、私達にはどういうことがしてあげられるでしょうか。

 人生の視野を変え、知識を基盤とした信念をもつように指導してあげないといけません。何の根拠もない信念は砂上の楼閣のように、あっさりと崩れてしまいます。知識の上に築いてこそ永続きするのです。
 その点、皆さんは霊力の証をご覧になっておられる光栄な方達です。無限なる力によって案出された崇高な知的計画があることを実感をもってご存知です。その計画はあなた方一人一人を包摂しております。そうした知識をお持ちである以上、常に前途に希望を抱き、楽観して、憂鬱や恐れという暗闇を近付かせないようにすべきです。

 サークルのメンバーの中に過労から病気がちになっている人が何人かいることについてシルバーバーチが忠告する-

 危険信号が見えた時はいつも注意してあげているのですが、それが無視されて倒れられる方がいるのは残念です。が、全ては各自の責任に帰されるというのが私達の教えの絶対的な基本です。
 許されることなら代わって荷を背負ってあげたであろうと思われることが何度あったか知れません。が、霊的向上の道は自分の力で切り開かないといけない以上、それは私には許されないと理解しております。
 (女性のメンバーに向かって)あなたの場合この季節(冬)は特に身体を大切にし、酷使しないように注意しないといけません。休息は大切です。今のあなたにとって必要なものは休息です。それを欠くと霊が地上で機能する為の道具を台無しにしてしまいます。
 別に咎めているわけではありません。人生の基盤である不変の摂理の存在を指摘しているだけです。それを怠ると私の義務を果たしていないことになります。

-(古くから彼女を知っている人が弁護して)翻訳の仕事が多くて原稿の締め切り期限(デッドライン)に間に合わせようとして過労になったようです。

 この私にデッドラインの話を持ち出されるとは愉快ですね。私が今の世の中を拵えたわけではありませんし、そこで生活する人の身体も私が拵えたわけではありません。ただ、出来上った身体を見てみると実に複雑でありながら美事に纏まった機械であることが分かります。地上のいかに腕のいい技術者も到底これ程のものは拵えられないでしょう。
 幾億もの細胞が集まって血液、腱、筋肉、その他諸々の組織を拵え、更に各種のミネラルが昼となく夜となく働いて、霊が効果的に表現されるようにしております。
 私が思うに、地上に存在する機械で、瞬時の休みもなく働きオーバーホール(修理・点検の為の解体)されることもないのは人間の身体だけでしょう。その度が過ぎると、使い過ぎによる欠陥が生じて使用中止の命令を下さねばならなくなります。
 大霊がもしも人間に完全であることを望むならば、完全な身体を用意された筈です。が、地上という所は永遠の進化の為の無数の生活の場の一つに過ぎません。今この地上にある限りは、その身体を大切に維持・管理する責任があります。使い過ぎると本来の機能が果たせなくなります。
 もう一人の方にも同じことを申し上げたいと思います。悩みや困難に追いまくられると仰います。が、私はいつも申し上げております-〝それは百も承知しております。もしも悩みも困難もなかったら、あなたはこの世にはいらっしゃらないでしょう。なぜなら、それを処理する為に地上へ来ていらっしゃるのですから〟と。
 遭遇しなければならない困難というものが必ずあります。それに挑戦することによって内部の貯え、潜在する霊的資質、神的属性の幾つかが呼び覚まされるのです。ですが、度を過ごしてはなりません。身体が〝疲れました。もうこれ以上は無理です〟と訴え始めたら、休息を与えてあげてください。
 皆さんへの愛の気持はあっても代わって生きてあげるわけにはまいりません。手引きはしてあげます。援助はします。支えにもなってあげます。道を教えてあげることは出来ます。しかし皆さんが自ら背負うべき責任を私が肩代わりしてあげるわけにはまいりません。
 私達の力の限りを尽くして、是非とも必要な守護は受けられるようにしてあげましょう。が、自分のすることには自分で責任を取るのです。

-角膜移植には反対ですか。霊的には何ら問題はないように思えますが・・・

 私は原則として臓器の移植手術には反対です。他人の為に自分の臓器を提供する方の誠意を疑うわけではありません。
 神は霊が地上で自我を表現する為の道具として物的身体をお与えになりました。そこに身体と霊との緊密な関係があるわけです。もしも臓器移植が不可欠のものであったら、心臓や腎臓の移植手術に失敗は有り得ない筈です。
 角膜の問題はとても厄介です。人間の苦痛に対して冷淡であるかに思われたくないのですが、時として失明の原因がカルマにあることがあります。何もかもカルマのせいにしてしまうのは卑怯だと思われかねないことは私も承知しておりますが、地上でも、或いは霊界でも、偶然にそうなったというものは一つもありません。因果律は絶対であり、ありとあらゆる出来事を規制しております。
 目が見えないということも因果律の結果です。目の見えない人が角膜を移植してもらって見えるようになるということが、霊的に見て果してその人にとって良いことであるか否かは、一概に片付けられる問題ではなく、議論したら延々と続くことです。
 身体的には良いことかも知れません。が、霊的には必ずしも良いこととは言えません。皆さんより永い人生体験をもつ霊界の存在という有利な立場から申し上げれば、最も大切なのは霊的に見て良いことかということです。

-それは病気全般について言えることでしょうか。

 カルマが絡んでいるものに限っての話であれば、そうです。その場合は霊的治療も奏効しません。従って角膜移植をしても視力は戻りません。

-しかし、もしも臓器移植が許されないとすれば、手術は出来なくなります。

 人間には自由意志があります。操り人形ではありません。十字路で右へ曲がるか左へ曲がるかは自分で決められます。選択は自由です。もしも神が人間を操り人形にした方がよいとお考えになっていれば、皆さんは操り人形になっていた筈です。
 しかし皆さんも私が〝無限の創造活動〟と呼んでいるものに参加するだけの力を秘めているのです。が同時にそれを邪魔し、妨害し、遅らせることも出来ます。但し、変更させることは出来ません。

-医術の発達はよいとしても、肉体をツギハギ細工のようにいじくり回すのは霊的な間違いを犯すことになる可能性があるということですね。各自に霊的な存在意義があるわけですから。

 私達がお教えしたいと思っているのは、まさしくそのことです。身体は霊の宮であるからこそ大切なのです。いかなる形にせよその根本的な摂理を犯せば病気が発生します。その代償を支払わねばならないということです。それだけは避けられません。
 私は外科医の仕事そのものに反対しているわけではありません。皮膚の移植には反対しません。人を喜ばせてあげたいという誠意には反対しません。ただ私が置かれている立場上、全ての問題をその根底にある霊的な意義という観点から申し上げるしかないのです。