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自殺してはならない理由


-あなたは人類全体が霊において繋がっていると仰ってますが、大半の人間はそのことに気付いておりません。その霊性を発見する為になぜ目覚めなくてはならないのでしょうか。そこのところがよく分かりません。

 表面をご覧になって感じられる程不可解な謎ではありません。理解して頂かねばならないのは、人間は肉体を携えた霊であって霊を携えた肉体ではないということです。物質が存在出来るのは霊による賦活作用があるからであり、その霊は神性の火花として存在の全て、生命を表現しているあらゆる形態の根源的要素となっているのです。
 改めて申し上げるまでもなく、地上へ誕生して来る目的は各自の魂の成長と開発と発達を促進するような体験を積み、肉体の死後に待ち受ける次の段階の生活に相応しい進化を遂げることです。
 地上は幼稚園であり、霊界は大人の学校です。今この地上においてあなたは教訓を正しく身に付け、精神を培い、霊性を鍛えて、神から頂いた才能を心霊治療その他の分野で人の為に使用出来るまで発達させることを心掛けるべきです。

-この世的なものをなるべく捨てて霊的なものを求める生き方が理想なのでしょうか、それとも出来るだけ多くの地上的体験を積むべきなのでしょうか。

 物質というものを霊から切り離して、あたかも水も通さない程に両者が仕切られているかに思ってはいけません。両者には密接な相互関係があります。地上にいる間は、霊が物質を支配していても物質がその支配の程度を規制しております。物質を霊から切り離して考えてはいけません。
 地上生活の目的は、いよいよ霊界へ旅立つ時が来た時に霊が十分な備えが出来ているように、様々な体験を積むことです。まずこの地球へ来るのはその為です。地上はトレーニングセンターのようなものです。霊が死後の生活に対して十分な支度を整える為の学校です。
 あなた方にとって嫌な体験こそ本当は一番為になるのですよと繰り返し申し上げるのは、そういう理由からです。魂が目覚めるのは呑気な生活の中ではなく嵐のような生活の中においてこそです。雷鳴が轟き、稲妻が走っている時です。
 酷い目に遭わなくてはいけません。しごかれないといけません。磨かれないといけません。人生の絶頂と同時にドン底も体験しなくてはいけません。地上だからこそ味わえる体験を積まないといけません。かくして霊は一段と威力を増し強化されて、死後に待ち受けている生活への備えが出来るのです。

 (ベトナムから訪れた青年が質問する)
-私は余暇を利用して人の為に何かしたいと思っているのですが、何をしたらよいか分かりません。何かアドバイスを頂きたいのですが・・・

 距離的にも霊的にも、あなたは随分長い旅をして来られましたね。しかし今こうしてこの交霊会に出席していらっしゃるという事実が、霊力というものがイザという時に導いてくれることの証明です。
 人の為に何かをなさりたいという願望に対しては、いずれそのチャンスが用意されます。但し、急いでは事を仕損じます。地上の大勢の方々に苦言を呈すれば、長い迷いの末に霊的実在に目覚めた方は、とかく何でもいいから心霊的能力を発揮したいという気持に駆られ過ぎます。
 道はその内示されます。導きを祈ることです。あなたもこれまでの人生で、もう少しで人間への信頼を失いそうになる程の精神的打撃を受けて来られました。しかし信頼を地上の人間にのみ置いてはいけません。神すなわち愛と叡智と知識の権化である大霊が存在します。
 疑念が生じた時は精神を統一して物質界の喧騒から逃れるのです。すると霊的理解が得られます。統一状態が深まれば深まる程内的な安らぎ、静寂、安心感、決意といったものが深まり、自分にとって最良のものが授けられるとの確信をもつことが出来るようになります。
 私からお答え出来るのはそれだけです。あなたは今素晴らしい御手に抱かれております。決して一人ぽっちにはされません。時が経つにつれて人の為に仕事をするチャンスが背後霊によってもたらされてまいります。

 (もう一人の招待客が尋ねる)
-心霊治療を体験した後私自身もグループを結成して心霊治療を開始したのですが、その後私だけ独立して一人で治療活動を続けております。人の為になるのであればどういう形でやっても同じと考えてもよろしいでしょうか。

 あなたご自身はどうお考えですか。

-私は霊的な観点から言うと同じではないと思います。私なりに出来るだけの努力はしているつもりです。が、次々と難しいことが生じて来ると、私の取った態度が霊界側に迷惑をかけたのではなかろうかと思うことがあるのです。

 奉仕は霊の正貨です。奉仕に勝る宗教はありません。人の為に自分を役立てることは尊い行為です。あなたの望み通りの分野で仕事が出来なくても、人の為になると思うことを、その時その時に行えばよろしい。ドアを押してみて直ぐに開けば、その道を行けばよろしい。鍵の掛かったドアをしつこく叩いてはいけません。時間とエネルギーの無駄です。
 次々と生じる難問に動じてはいけません。困難は挑戦すべき課題です。困難もなく難問もなく、障害も妨害もないようでは、潜在する能力を発揮するチャンスがないことになります。
 人間は危機に直面して初めて、自分の奥に思いも寄らなかった力があることに気付きます。普段はその貯えの表面を引っかいている程度に過ぎません。その潜在力と背後霊の導きをもってすれば、克服出来ない程大きな困難はありません。
 私達霊界の者は地上で仕事をしなければならないのです。従ってその限界というものを弁えております。つまり私達が使用する道具は人間的煩悩を具えており、脆く、かつ気紛れです。しかし私達としては差し当たって使用出来るもので最善を尽くすしかありません。
 このサークルに来られる人々にいつも申し上げていることですが、信念に迷いが生じた時は、かつて自分がドン底にあった時に立ち帰ってみることです。もう絶対に救われる見込みはないと思われた奈落の底にいたのです。そしてその絶対絶命のピンチで道が開かれたのです。これからも道は必ず開けてまいります。
 あなたはあなたなりに最善を尽くしていればよいのです。所詮あなたは完全な存在ではありません。地上においても霊界においても、完全というものは達成出来ないのです。完全への道は永遠に続くのです。このことは、このサークルのメンバーの方は耳にタコが出来る程聞かされております。しくじっても又立ち直ることが出来るのです。

 (ここでその質問者はシルビア・バーバネルに向かって「私はあなたがお書きになった When a Child Dies <子供の死後>を読んで色々と慰められました。私も娘を二人亡くしているものですから。つい最近も男の子を亡くされた方にお貸ししたばかりです。私と同じように大きな慰めを得てくださればと期待しているところです」と述べると、シルバーバーチがこう述べた)

 パン種が発酵するのです。これからも発酵し続けることでしょう。この大規模な戦いにおいて、我々は勝ち組の方に属しております。最後は必ず勝利者となります。敗者とはなりません。背後に控える勢力は全宇宙でも最大のものです。大霊の力なのです。地上で知られているいかなる力よりも強大です。これまでその力が成就して来た数々の驚異をこの目で見て来ている私は、その力に全幅の信頼を置いております。私の目には何一つ心配すべき理由は見当たりません。

 (霊的指導者として人生相談にも乗っている人が述べる)
-自分自身、霊的指導者として恥じない生活をしているだろうかという疑問を抱くことがよくあります。人には自信をもって霊的真理を説きながら自分では時折、ふと、疑いの念を抱くことがあるのです。

 あなたのお名前はまさかトマス(注)ではないでしょうね。疑ってはなりません。霊的現象をその目でご覧になりその耳で聞くことの出来た人は幸いです。直ぐ身の回りに存在する驚異的生命の世界を垣間見るという大変な光栄に浴されたのです。その世界には自分のことは何一つ求めず、寄る辺ない身の上をかこつ人々の救済の為に献身している霊がひしめいているのです。それが私達の仕事でもあるのです。(注-イエスの弟子の一人で非常に疑い深い性格で、イエスの復活についても実際に手と足の釘跡を見るまでは信じなかった。八日目にイエスが物質化して出現してトマスにその傷を見せて信じさせた。その時の有名なセリフが〝見ずして信じることの出来る者は幸いである〟-現代人にも通じる名言というべきであろう-訳者)
 私には人間の脆さ、疑念や取り越し苦労はよく理解出来ます。しかし、これまで荘厳と美観と光輝と威力と指導力とを見せ付けてくれた霊力に全幅の信頼を置けば、その霊力は絶対にしくじることがないということを、徐々にではあっても理解していかれることでしょう。人間の方が私達を裏切った例は沢山あります。が、私達がその人達を裏切ったことは一度もありません。
 繰り返しますが、あなた方にはご自分がどれ程貢献していらっしゃるかが推し測れないのです。絶対絶命と思い込んだ魂が本当の自我を見出す上で、あなた方も随分手助けしていらっしゃいます。
 自分が一体誰なのか、何者なのかが分からず、霊的実在に目も耳も塞がれている無数の人を見るのは悲しいことです。道を見失い、沼地に足を取られ、もがきながら生きております。これだと確信出来る道が見出せないのです。 幸いにしてそれを見出している我々は、その責任の重大さを自覚して、我々を頼って来る人々を喜んで迎え、暗闇の中で光明を見出させてあげようではありませんか。