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自殺してはならない理由


○この宇宙には、霊の真価に見合った喜びや悲しみの、特定の場所が存在するのですか。
「この質問については既に解答を与えている。喜びといい悲しみといい、霊が到達した浄化程度に見合ったものである。その幸福といい不幸といい、それは霊の内にあるもの。霊はいずこにも在るのだから、あそことか此処とか、境界境域で仕切られた場所があるわけではない。肉体に宿った霊の場所は、その住む世界の進歩いかんによって、幸福であったり不幸であったりする」
-天国と地獄は、それでは、人間が想像してきたようには、実在しないのですか。
「それは象徴にすぎない。至るところに、幸福な霊、不幸な霊がいる。だが、前に申したように、同じ発達程度の霊達は、共感によって集合する。だがそれも、霊が完全に到達すると、意のままに会えるようになる」
〔注解〕良い報いや懲罰の為に、特定の場所に配置されるというのは、人間の想像の中にしか存在しない。人間にはその深い本質が分からない場合、それに形を与え具体化して考えるのは、人間の本性から出ている。

○懲罰というのは、どう受取ったらよろしいですか。
「肉体的、精神的な苦しみをいう。償いの期間である。神は、人間に、懲罰に耐え自分の悪行の償いをさせ給う、それは概ね地上生活を通じてである」
〔注解〕いわゆる懲罰も、比喩的表現であって、その為の特定の場所があるわけではない。それは自己の罪咎を償う未発達霊達の状況を示すものである。彼等が浄化を遂げて幸福の域に達するまで、そうしたことがある。この浄化は度重なる再生という方法が有効なので、懲罰も地上での試練という形で行われる。

○天国と地獄について、真面目に質問する者に対して、その言葉からして高級霊と思われる方達が、一般的な考え方で解答されることがあります。これはどういうことですか。
「霊は質問者の理解力に応じた話し方をする。質問者が余り先入観を吹き込まれている場合には、その確信を不意に干渉しないようにするわけである。もし回教徒に、不用心に、マホメットは真の預言者ではなかったと語れば、もう彼の話には耳を傾けてもらえないであろう」
-そのような慎重さは、私達を指導して下さる霊の場合は分かります。ですが、そうでない霊の場合、その霊の状況を尋ねますと、地獄とか罰の苦しみを受けていると答えたりしますが。
「未だ十分に物質性を離脱していない未発達霊の場合は、一部に地上的観念が残っていて、馴染みの深い言葉で自分の印象を語るのである。彼等はあの世の事については、未だ殆ど目が見えていない、そんな状況である。そういうわけで、彼等は亡霊とか、最近他界したばかりの霊ということで、地上にあった時と同じように語るわけである。地獄は前途に何の希望もない、言語に絶する苦しい試練の生活、ということだろう。また懲罰は試練の一つではあるが、先行きの幸福はある生活、ということだろう。諸君も、肉体的とか精神的とか、酷い苦しみを味わっている時には[呪われた者の苦悩]を受けていると、そうは言わないかな。しかし、これは比喩、そのように例えて話すのである」

○[責め苦を受けている霊]という言葉から、どういう事が考えられますか。
「目の前が真っ暗で、迷って苦しんでいる霊。その霊が救いを求めていれば、諸君が援助してやれる霊。その霊が諸君に心を向ければ、諸君の手にすがらしてやれる、そういう援助をしてやれる霊」

○天国という言葉は、どのように受取ったらよろしいですか。
「諸君は、太古の理想郷のようにお考えかな。そこでは善霊達がみんな集まり、永久に受身の幸福を満喫しており、もう何の仕事もない処と。それは違う。天国とは宇宙空間である、惑星であり、星々であり、そしてありとあらゆる高級な進化段階の世界である。そこでは、霊達は自分の全ての能力を発揮して満ち足りている、そこには何の地上生活のような煩いもなく、未発達から生じる苦悩のようなものもなく」

○霊達が、自分は第三、第四、第五等々、の天国に住んでいると、こう申しますが、これはどういう意味ですか。
「諸君が、建物の階のように、天国も一階と二階と重なっているように思い、質問するので、霊達もこれに合わせて答えるのである。だが霊達にとって、第三、第四、第五の天国という言葉は、浄化程度の相違、つまりは幸福度の相違を表現しているのである。これは諸君が霊に、地獄にいるのかと尋ねる場合も同様である。不幸せな霊なら『地獄にいる』と答えよう。霊にとっては、地獄とは苦悩と同義語なのだから。だが、霊の方はよく知っている、それが焦熱地獄ではないことを。それが異教徒なら[冥界]にいると答えるだろう」
〔注解〕これと同じような他の表現も色々ある。例えば[花咲き乱れる里][選民の町]第一・第二・第三などの[境域]。これらは寓意的な表現にすぎない。これを比喩的に使う霊もあれば、事の真実が分からないので使う霊もあり、また、自然科学のイロハも知らずに使ってる霊もある。
 果報と懲罰の場所があるという古い限られたものの考え方、また、地球は宇宙の中心で、空は頭上に天井を作り、そこに星の場所がそれぞれあるという、俗信に従って、人間は天国を上に地獄を下に配列した。これから天国へ上るとか、最高の天国にいるとか、地獄に投げ込まれるという表現が出てくる。今日では天文学によって、地球の歴史もその構造も分かってきており、また、地球は宇宙を巡っている小さな天体の一つで、格別重要というでもなく、宇宙は無限で上も下もないことを教えてくれている。こうして人間は、天国が雲の上にあったり、地球の最下層に地獄があるという考えは、止めざるを得なくなった。懲罰に関しても、特定の場所があるなどとは言えなくなった。
 これら全ての点に説明を与える仕事が、心霊主義に残されている。それに直接にして最高度の説明、それは合理的で崇高で、しかも心の慰めが得られる説明。その説明とは、我々自身の中に自分の天国と地獄があるということ、また懲罰とは再生によって、相次ぐ地上の物質生活の中にあるのだということ、これらを示してくれるものである。

○キリストの言葉[神の国はこの世にはない]、これはどのように受取ればよろしいですか。
「キリストは比喩をもってこれを語られた。それは、神は純潔にして無私の心の上にのみ臨在なさる、こういう意味である。神を愛する心のある処、神はいずこにも居ます。しかし、この世の物に貪欲で、地上の享楽に心を奪われる者の処に、神は居まさぬ」

○地上に、美徳の支配が確立することがありましょうか。
「地上で生活する為に来る霊の内、善良な者が邪悪な者より多くなる時、美徳がこの世を支配しよう。その時には、愛と正義が支配する。この愛と正義こそ、善と幸福を生み出す源である。人間が進歩し、その生活が神法と一致する時、善霊を地球に引き付けることになる。善霊が集まれば、邪悪霊達は遠のいていく。だが、邪悪霊が完全に地上から居なくなることはない、地上の住人が高慢と利己主義を完全に浄化し尽くすまでは」
「人類の変容が太古より予言されている。諸君等は今、その予言の時に近付きつつある。諸君等の中、人類の進歩を進める為に努力している者は、この変容の促進に助力しているものである。この変容は高級レベルの霊達の地上再生を通じて行われる。この高級霊達は、漸次置き換えられていく現在の人類よりも、ずっと進化した精神の持ち主で、新人類を構成することになろう。日毎、死によって地上から刈り取られている邪悪人の霊、そして進歩を阻む全ての霊、これらは地球より一掃され、別の世界での再生を余儀なくされよう。何となれば、彼等は高級な人類の中では場違いであり、彼等の存在で高尚な人類の至福が損なわれるからである。彼等はこの地球よりずっと進化の遅れた、未だかつてないような世界に送り込まれよう。その中にあって、辛い苦労な使命を果たすことになろう。この使命によって本人は進歩の手段を得ることになる。だが、これを通じて、この若い世界の住人達、自分より進化の遅れた同胞達の進歩に寄与することになろう。この変容して霊的に更新される地球から、進歩していない霊達が排除されることの中に、諸君は、エデンの園から始祖が追放を受けた、あの崇高な神話の本当の意味を、汲み取らないか。人類は、このように追放を受け、地上に降った、自己内部には、受難の種子と未熟性の証拠を宿したままである。諸君はまたそこに、始祖達が堕落して子孫に罪を残したという、あの神話の別の意味を見ないかね。[原罪]、これこそ上記の観点より見る時、人間の不完全性にある。従って、その後になって人類に受肉した霊達は、各人が自分の不完全性と自分の間違った行為にのみ責任を負うのである、祖先の不完全性と行為に対してではないのである」
「では、諸君、霊的更新という大事業に献身しなされ。熱誠と勇気をもって、信と善意を持つ全ての諸君よ。諸君等は描いたものの百倍の収穫を得よう。光に向って目を背ける者よ、災いなるかな。その者達は、長い暗黒と悲しみの時を自分に課す者となろう。災いなるかな、地上の享楽にのみ楽しみを見出す者よ。彼等は現世で得た享楽の数よりも、遙かに多い窮乏を身に受ける者となろう。そして、何にもまして災いなるかな利己主義の徒よ。彼等は、他日、自ら背負う苦悩の重荷に、誰一人手を差し伸べる者を見ないであろう」