○私達の激情は自然に出て来るものですから、激情はその本性が悪なのでしょうか。
「いや、悪いのは過度の激情である。何故なら、過度は意志の乱用であるから。しかし、感情は全てその根源において、人間の為、善の為に与えられている。感情あればこそ、人間は拍車をかけられ、偉大な仕事をやり遂げようと目論む。害となるのは、感情の乱用、これのみである」

○感情が良いものになるか悪いものになるか、どうやってその限界を定めればいいですか。
「感情は馬のようなもので、管理下に置けば役に立つが、思いのままにさせておけば危険である。感情は本人が支配を止めた瞬間、有害となる。また、本人ないし他者に害が及ぶ瞬間から、悪いものとなる」
〔注解〕感情は人間の力を十倍にも増大させるてこであって、人間が神意を実現するに当たり助力となるものである。但し、これを支配せず、逆に支配されていると、あらゆる面で過度に陥り易い。また、上手に扱えば有用な力が、逆に人間を襲って、押し潰してしまう。
 激情は全てその源は、自然な感情や自然の欲求にある。それ故、これは神によって定められた生命の在り方の一つであり、それ自体が悪ではない。激情とは、感情や欲求の誇張されたものである。
 この誇張とは、動機いかんで過度な働きとなるので、力そのものではない。悪となるのはこの行き過ぎた働きである。これが全ての悪い結果に繋がる。
 激情は全て、人間を動物の性質に近付け、人間を霊的性質から遠ざける。動物性の上に超然となる感情は、人間に動物性以上の霊性が存在する証拠であり、これによって、人間は完全に向って進む。

○人間は努力によって、必ず、自分の悪い性向を克服できるものですか。
「左様、ほんのちょっとの努力、それを時々やれば、それで十分だ。欠けているのは意志である。ああ!諸君等の内の何人が、本当に真面目に、自己改善の努力をしているだろうか」

○激情を克服しようとする場合、霊からの援助が十分受けられますか。
「神や守護霊に、援助を請う真摯な祈りを捧げれば、必ず助けが得られる。それがあの方々の使命なのだから」

○場合によっては、激情が激しすぎて、意志の力ではとても抑えきれない、という事はありませんか。
「(よし、決心した)と言いながら、その決意は口先だけ、それが出来なくても残念がりもしない、そういう者達が余りにも多すぎる。人間が激情を克服できないのは、霊が後ろ向きになっていて、本人は激情のままになって楽しんでいる、こういうことである。感情のコントロールが出来る人は、霊性をよく理解しているのである。激情の克服は、自分の霊が物質に打ち克つこと、こう、その者は承知している」

○物質支配と闘う最も有効な方法は何ですか。
「自制の発揮、これである」