○人間に行為の自由がありますか。
「人間に思想の自由がある限り、行為の自由がある。もし人間に意志の自由がなければ機械であろう」

○人間の自由意志は生得のものですか。
「人は自分で何かをしたいという意志を持ったその時から、自由意志を持つ者である。人生の初めの頃は、自由意志は殆ど働かない。能力の発現と共に、それは現れ、その意志の対象も変化していく。子供は年齢相応の欲求に応じた思想をもち、年齢相応の物に自由意志を働かせる」

○人間に生まれつき備わっている直感の働きは、自由意志の発揮に障害となりませんか。
「直感作用は、人間の受肉以前からある霊の属性である。もし本人の進歩が十分でなければ、直感の刺激で誤った行為へ傾いてしまうかもしれぬ。これをその行為と共感する霊達が後押ししよう。しかしながら、どんな刺激といえども、これを拒否する決意さえあれば、はねのけられないものではない。心得られよ、意志することは、それが可能であるということである」

○人間の身体が行為に影響を及ぼすことはありませんか。もし及ぼすなら、その影響で自由意志が侵害されたりしませんか。
「霊は物質の影響を受ける、物質が霊の表現を拘束するので。だから、地上より肉体の鈍重さが少ない世界では、能力がもっと自由に発揮できる。しかし能力を発揮させているのは、道具である肉体ではない。さてこの質問では、道義的能力と知的能力を区別して考えねばならぬ。もし人が殺意を抱いたとする、この直感は霊が持つのであって、肉体が持つのではない。彼は自分の考えを何もかも殺し、自分は物質のとりことなり、野獣のように、極悪となる。もはや彼は悪から身を守る努力を放棄している。罪はかようにして犯される。この罪を犯すものは彼の自由意志、これである」

○知的能力が普通でない人は、自由意志を失っていますか。
「何らかの原因で知性に狂いを生じた者は、もはや自分の思考を支配することが出来ないので、自由を喪失している。このような変調は霊に対する罰であることが多い。前生で虚飾に耽ったとか傲慢であったとか、能力を悪用したとかで。このような者は白痴の身体に再生するかもしれぬ。同じく、暴君が奴隷に、悪辣な金持ちが乞食に再生することがあるように。霊はこの束縛をはっきり意識しており、この束縛に苦しんでいる」

○酔っぱらって精神の常軌を逸脱した者は、罪の償いをしているのですか。
「いや、酔漢は動物的感情を満足させる為に、自由意志で自分の理性を奪っているのだ。その為、彼は一つの罪でなく、二つの罪を犯しておる」

○未開状態の人間に、最も優越している能力は何ですか。本能ですか自由意志ですか。
「本能である。しかし、事柄によっては、自由意志で行動することもある。しかし自由と申しても、子供が欲求を満足させるのと変わりはない。知力の発達でのみ自由意志は発達する。従って、未開人より進歩している諸君は、誤りを犯せば、未開人よりも非難されるべきである」

○社会的な立場の故に、自由な行為に支障がある場合か多いのではありませんか。
「左様、社会には止むに止まれぬそうした事情がある。神は正義であって、何一つ目こぼしされることはない。しかし、いやしくも諸君等がその障害を乗り越える努力に対し、責任を負わせ給う」