○未来のことが人間に分かりますか。
「原則として、未来は人間から隠されている。神がこれを洩らされるのは、極めて稀なこと、例外である」

○なぜ未来は人間から隠されるのですか。
「もし未来が人間に分かれば、人間は現在をおろそかにして、自由意志で行為をしなくなる。本人はこう思う、これこれの事が起こるのなら、自我がかかりあう余地は何もないと。さもなくば、それの起こるようにと望まれる、どんな神が舌打ちなさりそうな物事についても。このようなわけで、諸君は人生の諸問題に対して、未来を知ることなしに、備え対処するのである」

○未来が分からないことが有益であるとすれば、何故神は時折それをお洩らしになるのですか。
「この場合は、この予知によって、その物事の起こりを隠しておくよりも、事がスムーズに運ぶ、その故である。これを予知させられた人間は、もし予知しなければ、横道に走って行ったであろう、これをちゃんと誘導する為である。また更には、それが一つの試練であることが多い。物事の見通しがつけば、それによって有用な思想も湧いてこようというもの。例えばある者が、自分が予期せぬ遺産を相続することを知ったとする。彼はふと、これで自分の人生は楽しいものになるとわくわくして、おかしな考えをもち、いっそ早くそれを手に入れる為、その人を殺そうと思うことがあるかもしれぬ。また別の場合は、遺産相続の見通しによって、本人に、ただ善と寛仁の心を目覚めさせるかもしれぬ。万一、この予言が実現しない場合は、別の試練となる。即ち、失望を忍耐する試練の道ということである。いずれにしろ、未来予知の期待により、目覚めた善悪いずれかの思想で、本人は功罪どちらかを受け取ったこと、それは確かなことである」

○神は何事も御存知である限り、人が与えられた試練を克服するか、挫けるかも御存知でいらっしゃる。では、このような試練の効用はどこにあるのですか。本人について神が御存知ではない事は、何一つ神にお見せする訳ではないのですから。
「貴方の質問は、神はなぜ人間を完全なものとして創造しなかったのか、と問うているのと同じ事である。または、人間は大人になる前に、なぜ子供の時代を通らねばならないのか、という問いでもある。試練の目的は、人間の功罪について、神を啓発することではない。神は人間が何であるかことごとく御存知である。ただ、人間を自由にしておいて、人間が自己の行為に責任をもつようにさせておく、ここに目的がおありだ。人間は善悪の自由選択をもっているので、試練は人間に誘惑をもたらし、人間に抵抗力をつける、その効用がある。神は事前に彼が誘惑に勝つか負けるかも御承知ではあるが、正義であられるが故に、本人の為した行為に従って本人が賞罰を受け取る、その外に何もなさりはしない」