○人類を襲う災害には、神のどんな目的があるのですか。
「人類の進歩を早めること。前に申したとおり、霊の新しい目覚めには破壊が必要、それでもって浄化の一歩が踏み出せるというもの。何事も正しい判断を下すには、その結果に目を向けねばならぬ。諸君は自分の立場からしか物を見ない。従って、たまたま自分に害を及ぼすものがあると、それをもって災害と見なす。しかし、その害が諸君の急速な進歩の為には、必要であることが多い。もしそれが起こらなかったら、その進歩の為には何世紀も要するという事がある」

○神は災害などを使わずに、人類の改善をなさる方法はないのですか。
「それはある。それを毎日使っておいでになる。諸君には善悪を知る智が備わっている、神は諸君の進歩の為にそれを与え給うた。その方法を諸君は余りにも用いない。その為、高慢の鼻をへし折って、自己の弱さを思い知らせる、その必要が起こってくるのである」
-しかし、善人達も悪人同様、災害の為に死にます。これが正義ですか。
「地上に在る時は、人は何事もその一生の長さで計る。しかし死後は、その計りが変わって、人間の一生などは一小事にしか感ぜられなくなる。地上の一世紀は、永遠に比すれば一瞬に過ぎぬ。従って、諸君の数日とか、数ヶ月、数年にわたる災厄といっても、さしたる事ではない。この事を心にとめて将来に役立てよ。霊は万物に先立って存在し、万物の後に存在する実体。霊は神の子であり、神の最も心を掛け給うもの。肉体は地上でまとう外衣に過ぎない。多数の死を招く大災害では、受難者は戦争の間に、その軍衣が破れ裂け失われていく、軍隊のようなものだ。将軍はその衣服などよりも、兵士そのものを気遣う」
-しかしですね、その災害で傷つく者は、やはり犠牲者ではありませんか。
「もし諸君が、地上生活をあるがままに見て、永遠の生に比し、いかに小さいかを思うなら、そんなに目くじらを立てる程の事もなくなろう。彼等犠牲者も、他界に入って、その苦しみの十分な償いを得よう、もし彼等がいつまでも恨みがましく思わねば」

○大災害は、一時的には害悪を生みますが、現実面で効果があるものですか。
「左様、国家の状態に変化を起すことがある。だが、その良い結果は、後の世代になってから分かることが多い」

○災厄はまた、厳しい運命と闘わねばなりません。その事は人間に一つの試練を作ることになりませんか。
「それは、災厄は常に試練である。それは人間に知性の練磨の機会を与える。それは忍従と神への服従を試す機会を与える。それは、もし人が利己心のとりこになっていなければ、隣人に対する自制、公正、愛の心を発現する機会ともなるのである」

○人間の力で、今起こっている災厄を、変えることが出来ますか。
「出来る、部分的には。しかし、一般の想像とは違うところがあるが。災厄の多くは、人間が先が読めないことから起こることが多い。従って、知識と経験が増えるに応じて、災厄は避けられるようになる。つまり、災厄の原因がつかめれば、その生起が防止できるというわけである。だが、人間を苦しめる災禍の中には、天意によって課され、その影響も相当に感じられる、そういうものもある」
「こういう災禍には、神意に従う外はない。人間の怠慢によっては、苦痛を一層酷くもするし、またそういう場合が多いが」