○人はなぜ崇拝をするのですか。
「神へ向う思いの高まりによって。この崇拝を通じて、魂は一歩一歩神に近付く」

○崇拝は内心の声の発動なのですか、それとも教育の所産なのですか。
「神への信などは、内心の声の所産である。人は弱さの自覚によって、自分を守ってくれる存在にすがる気持になる」

○崇拝の感情を全く持たない人間がいるものでしょうか。
「いない。今まで無神論の民族は一つもなかったから。どの民族も自分を超える何かの存在を感じている」

○崇拝は自然法の中にその起源があると考えてよろしいですか。
「崇拝は自然法の中に含まれる。それは人間の内心の感情の発露であるから。その故に、崇拝がその形式は違うにしろ、全ての民族に備わるものだから」