○受肉の時、霊は自分の意志で肉体をまとうのでしょうか。
「その問いは、囚人に、自分から進んで牢獄に繋がれているのかと、問うのと同じことである。受肉した霊は絶えず解放を願っている。肉体の衣が鈍重であればある程、それから解消を求める気持は強い」

○睡眠中、魂は肉体と同様に休息をしますか。
「いいえ、霊は少しもじっとしていない。睡眠中には、肉体に霊を結び付けている鎖が弛められる。この間、肉体は霊の存在を必要としないので、霊の方はあちこち空間を歩き回り、他の霊達と直接交流をする」

○睡眠中は、霊が自由になっているという事実を、私共はどうやって知ることが出来ますか。
「それは夢によって分かる。肉体の睡眠中に、霊は、覚醒時には気付いていない能力を発揮しているのである。過去を思い出す、未来を予見することもある、力量がいっそう増しているので、この世やあの世の諸霊と交流することも出来る。
諸君はこう言うことがある「おかしな夢を見たよ、この世とも思えぬ怖い夢を」と。その見方は間違っている。その夢とは、過去生で見た事物や場所を思い出している事がしばしばだし、又、次の世界で、ないしは未来のこの世で見るものを予見していることもあるのである。肉体の方は活動を停止しているので、霊は鎖を断ち切ろうとする。そこで、過去や未来に入り込んで、やりたいことをやろうとするのである。
人間とは哀れなものよ。自分が生きているごくありふれた事実についても、殆ど知っていない。自分では沢山知っていると思い込んでいる。しかし、ごく当たり前のことにも目をパチクリする。子供が「眠っている時、僕等は何をしているの?」「夢ってなあに?」と尋ねても、いっこうに答えることも出来ぬ。
睡眠中に、人は肉体から離れると、ある程度の魂の自由を味わっている。眠ると、霊の方は暫時、死後本人が入るであろう状況の中に入る。死んで直ぐに物質から解放されるような霊は、生前、いわば[知的な睡眠]をしていた人々である。このような人物は、眠ると自分達より優れた霊のいる世界に入って行く。其処でこれらの霊と行動を共にし、語り合い、種々の教示を受ける。彼等はまた霊界で仕事をしたりもする。死んだ時、彼等は自分がその仕事をもう始めていたこと、あるいはやり終えていたことなどに気付く。これらの事実よりする時、死とは何ら恐るべきものではないことが分かるだろう。聖パウロが言ったように、人は「毎日死んでいる」のである。
今迄述べた事は、進歩した霊達のことである。ごくごく普通の大衆の場合はどうかというと、彼等は死後、長時間混乱と不安の状態のままでいる。というのは、彼等は睡眠中に地上よりもっと低い世界へ行っていたのであって、そこへの執着、下劣な楽しみの魅力、そういうことで、その古巣へと戻って行くのである。そんな処で彼等が耽るものは、地上生活中の彼等の生活より、更に下卑た愚劣な幼稚な思想ばかりである。現世でも、心惹かれるものは楽しい一時を共にもった人達のこと、この事実ではないか。これに反し、話を聞いただけでも毛嫌いしたくなるような人達もいる。それは肌が合わないという感じであって、未だ一度も見たことのない人達の場合にはそういうことがある。人と人とが無関心なのはこういう事実の中にある。さて、彼等、かの霊達は新しい友を求めたりはしない、古いなじみの連中が其処にいるからである。一言でいうと、睡眠とは、人が思っている以上に大きな影響を及ぼしているものである。
睡眠の効果を通じて、肉体をまとっても霊魂は、常に霊の世界と接触を保っているのである。またこの事実あるが故に、高級の霊も大した反対もなしに、地上に受肉する気になるのである。神はかように望まれたのである-彼等が悪徳の中に混じっても、また清廉の源泉へ行き身の浄化が出来るようにと。また、他者を導く為に現界に入った彼等が、悪によって身を滅ぼすことのないようにと。睡眠とは、神が彼等の為に開いてある門である。彼等はこの門をくぐり、霊界の友等の元に行き、疲れた身に元気を取り戻す。前途には大いなる解放が待っている、死後の自由、それこそ彼等に相応しい真実の世界、そこに入って行く為の門である。
夢とは、霊が睡眠中に見聞したことの記憶である。しかし、人はいつも夢を見るわけではない、それは見たことすべてを記憶しているとは限らぬから。また、魂の見聞だけが夢になるとは限らない。睡眠に入る時や終る時の単純な反映による雑夢もある。また覚醒時の行為や思考の記憶も混じっている。さて、最高の賢者が、最低の愚者が見るような馬鹿げた夢を見ることがある。これを何と説明したらよいか。それは、邪悪霊は弱く小心な魂を痛めつける為に、夢を利用する、ということである。
その内、諸君は古い昔の夢、自分でも知らないある種の夢を見ることがあろう。その夢というのは、ジャンヌ・ダーク、ヤコブ、ユダヤの預言者、印度の苦行僧達の夢-魂が肉体から完全に自由になり、第二の生活、先程述べた霊の世界での記憶が夢となったものである。
夢を見たら、その夢が二種類の中のどの夢かを、しっかり見分けることである。これをしないと、矛盾撞著、偏見に陥る危険性があるからである」

○私共が必ずしも夢を記憶しておれないのは何故ですか。
「睡眠とは、単に肉体の休止に過ぎないのであって、霊の方では常に活動をしている。睡眠中、霊は自由を回復して、現世や他界の親しい者達と交流をする。しかし目覚めた時、肉体の物質は鈍重なので、霊は睡眠中の印象をそのまま持ち続けることが困難である。つまり、これらの印象は肉体器官によって受取ったものではないからである」

○夢の意味の解釈は、どのように考えたらよろしいですか。
「夢とは、占い師の言うような夢判断にあたるものではない。一つの夢が一つの出来事の表現であるなどというのは馬鹿げたことである。しかしながら、それは次の意味でならば表現と言える-即ち、その夢が現世の出来事とは関係ないにしても、霊にとっての真実のイメージの表示であるという意味ならば。夢はまた、多くの場合既述のよう、記憶である。また、もし神の許しがあらば、未来の虫の知らせである場合もある。また、魂が出かけて行った場所での、その時に生起している事柄の光景でもある。諸君は幾つもの事例をご存知ではないかな、夢の中で、家族や知人の前に出現した者が、何か事件について注意を与えるということを。幽霊とは何ぞや?何か通信したくて其処に来ている人の霊でないとしたら。目に見えたとおりのことが、実際に生起したのが確かならば、それは自分の幻影ではなかったことの証拠ではないか。特にそれが自分の覚醒時に考えたこともなかったものだったとしたら」

○私共は、よく予告と思えるような夢を見ることがありますが、実際は何事もありません。これはどういうことですか。
「その事は本人の霊的体験の中で生起するかもしれない、肉体的経験ではなくて。即ち、霊は見たいと望むものを見る、霊はそういう方向に進むから。霊は睡眠中も多少は物質の影響下にあるということを忘れないでもらいたい。つまり霊は完全に現界の観念から自由というわけにいかぬ、従って、彼の願望や恐怖が夢の中に形をとって出現することがある。これをもって想像の産物と言われるような様相を呈するのである。心がある観念で一杯になっている時は、何もかもその観念と結び付けてしまいがちなものである」

○よく知っている人物が夢に出現して、本人が考えてもいないことをする夢を見ることがありますが、あれは想像の産物ではありませんか。
「それを彼等が考えていない?なぜ貴方にそうだと分かるのですかな。彼等の霊は貴方の夢に出現する、貴方が彼等の夢に現れるように。貴方は目が覚めている時には、彼等が何を考えているか一向に分かっていない。それなのに、貴方は自分の欲求のままに、勝手にその知友に、過去に自分に起こったことの追憶やら、今生起しつつあることの追懐やらを、押し当ててしまっているのである」

○魂の解放には、肉体の熟睡が必要ですか。
「いや、霊は感覚が遠のくと、直ちに自由となる。霊は肉体の拘束が止まると、どんな瞬間をも利用して自由を発揮するのである。身体の活力の低減、即ち霊の肉体からの解放、つまりは肉体の力が弱くなればなる程、霊の方の自由は増していく、こういうわけである」
〔注解〕ほんのちょっとした時間でも、うとうとすると、まどろむことがあるが、あれはこの理由による。

○私共は時として、胸の内で何か語るような声を聞くことがあります。別に自分が何かを考えているわけではありません。これはどういうわけですか。
「左様、そのような事がよくある。特に感官の働きが微弱になりかける時には、全文が聞こえることもある。それは貴方に通信したがっている霊魂の声のおぼろげな反響、そのようなことがある」

○半睡で目をつぶっている時、はっきりした幻像が、細かい点まで見えることがありますが、あれは想像の産物なのですか。
「肉体の力が弱まると、霊の方はその拘束を打ち破ろうとする。霊は肉体から離れて、ものを見る。眠りが深まると、その見るところのものが夢となる」

○睡眠中、ないし半睡中に、これは大事だと思える観念が浮かぶことがよくあります。しかし目が覚めるといくら思い出そうとしても思い出せない、あの観念は一体何処から来るのですか。
「霊は肉体から解放されると、この間に色々な力を発揮する。その観念というのは、この霊の働きの結果である。また、他の霊達からの諸君に対する助言、そういうこともよくある」
-しかし、私達の方でその記憶を失ってしまうとすれば、その観念なり助言なりの効果は何ですか。何か役に立つことがありますか。
「これらの観念はどちらかというと、現界より霊的世界に関係したことの方が多い。しかしながら概して申すと、仮に肉体が記憶を失っても、霊の方では憶えているものであって、本人が目覚めている時、適当な時に、あたかも直観のような具合に、再現されるものである」

○肉体に宿っている霊が、一時肉体を離れて霊として活動している時に、自己の死の時を知ることがありますか。
「しばしばそれを知ることがある。それもはっきり予知することがよくある。覚醒時に、ふと死の時を直感するということがあるが、それはこの理由による。また人によっては、正確に自分の死の時を予言する者があるが、あれも同じ理由による」

○肉体の静止ないし睡眠中、霊の活動が原因で、肉体が疲労を覚えるということがありますか。
「ある。霊は肉体に繋がれている。それは丁度、柱に繋留された気球のようなものだ。気球の活動で柱が揺すられる、それと同時に、霊の活動が肉体の方に波動を及ぼす、そのため肉体に疲労を感じさせることがある」