○夢遊病と夢との間に何らかの連関がありますか。
「夢遊病の方が、夢の場合より、魂の独立性が強く、働きもしっかりしている。また夢遊病では魂が知覚をもつが、夢ではこれがない。夢とは不完全な夢遊病である」
「夢遊病の場合は、霊の方は身体の機能から完全に切り離されている。従って、身体の各器官は一種の硬直状態にあって、外界の刺激に対して何の反応も示さない」
「睡眠中にもこのような状態はよく起こるものである。つまり、肉体は物質である以上どうしても休息をとらねばならない、この間、霊の方は肉体を留守にすることが可能なのである。夢遊病が起こると、睡眠者の霊は何かしたい意図をもって、肉体の助けを借りて肉体を使う。それは、霊が現実生活で自己表現の為に、テーブルや色々な道具を使ったり、手紙を書くには人間の手を利用するのと、似たようなことなのである。本人の意識に残る夢の場合は、肉体器官は目覚め始めているのである。つまり、肉体器官は、不完全ながら外界の事物や出来事の印象を単純に受け取ったり、霊の方へ伝えたりしている。従って、その時休止状態にある霊の方も、何の繋がりもないとりとめもない意味のこの印象を、単純に受け取っている。だからその意味は、多くの場合、本人の現世や他界生活でのおぼろな記憶まで混じっているので、甚だ混乱したものになってしまう。それ故、夢遊病では何故やったことの記憶が残らないのか、なぜ夢の多くは意味の辻褄が合わないのか、容易に理解できよう。私が述べているのは一般論である。この外、夢には、前世の出来事のはっきりした記憶、ある種の未来の直感、こうしたものの混じることが往々にしてあるのである」

○メスメル的(催眠的)夢遊状態と、自然の夢遊病との間に、何か関連がありますか。
「この両者は同じものである。ただ相違を上げるとすれば、その一方が人為的な夢遊状態だというだけである」

○磁気とかメスメルの液状体(fluid)と言われるものは一体何ですか。
「それは活力液状体、動物電気。即ち宇宙的液状体が形を変えたものである」

○夢遊状態下での霊視現象、これの本質は何ですか。
「前に述べた通り、千里眼である」

○夢遊病者は不透明な物体をどのようにして透視するのですか。
「物体が不透明といっても、それは単に肉体器官に対してそうであるにすぎない。前にも申したではないか、霊にとり物質は何ら障害ではない、自由自在にこれを貫通すると。夢遊病者は次のように言う、私は額で、膝で、その他で物を見ると。物質にはまり込んでいる諸君には、夢遊病者が肉体器官の助けなしで、物が見えるというのが理解できない。諸君等の観念の影響を受けると、夢遊病者も肉体器官が必要だと思い込む。しかし、彼等を一人にしておくと、彼等は、自分は肉体のどの部分でも物が見えると、いやむしろ、肉体などなしで物が見えると思うのである」

○夢遊病者の霊視が本人の魂ないし霊の視力であるとするなら、なぜ彼等は何でも見えないのですか。また何故よく見間違いをするのですか。
「第一に、程度の低い霊には何でも見えたり分かったりはしない。ご承知の通り、皆さんと同じ間違いをやらかすわけである。第二に、彼等とても多少は物質との関わりを残している。だから、自分の全霊能力を発揮しているわけではない。神は、大事な役立つことの為に使うよう、人間に霊視能力を与えられた。知ってはならないことを人間が知る為ではない。これが、夢遊病者が何もかもは分からない理由である」

○夢遊病者の内に隠れている観念は何処から来るのですか。又、彼等が目覚めている時には少しも分かっていない事を、どうして正確に喋れるのですか。それが本人の知性を越える事柄であるにも拘わらずです。
「夢遊病者というのは、諸君が思っている以上に、色々の事を知っているものなのである。但し、この知識は覚醒時には内に隠れてしまっている。それは、本人の霊が知っているものを思い出すには、肉体は余りに不完全すぎるということである。一体、彼は何者なのか?彼も一個の我々と同じ霊である。自分の使命を達成する為に肉体に宿った。ただ、彼は夢遊状態に入ると、肉体に宿った無気力の状態から目を覚ますのである。私はこれまで何度も、人間は数多くの再生を重ねると伝えた。前生で知り得たことを見失ってしまうのは、この生まれ変わりによる。つまりは、物質との接触をもつことによってである。諸君が夢遊状態に入る「峠」と呼ぶ状態に入ると、本人は以前に知っていたことを思い出す。但し完全にというわけにはいかぬ。本人には分かっていても、何処からその知識を得たか、どのようにしてその知識を得たのか、これは何とも言いようがない。「峠」が過ぎると、記憶が遠のいてゆき、再び物質世界の混沌の中に舞い戻る」

○夢遊病者の中には、遠隔地透視能力をもつ者がいますが、これはどういうことですか。
「魂が睡眠中に遠隔地へ出かけて行くのではないか。夢遊病ではこれと同じことが行なわれる」

○夢遊病的千里眼は、大なり小なり、肉体器官の関係から、又は本人の霊の性質か生じるのですか。
「その両方である。但し、霊魂を肉体から遊離させ易い肉体的特質というものがある」

○夢遊病者の発揮する能力は、死後に霊が発揮する能力と同じものですか。
「同じものである、但しある程度までということ。というのは、肉体にある内はこの肉体の影響を考慮に入れねばならぬからである」

○夢遊病者は、他の霊達の姿が見えるのですか。
「それは当人の能力いかんである。大多数の者は諸霊の姿をはっきりと見る。しかし、直ぐにはそれが霊だとは気付かない、肉体をもった人間だと思うわけである。これは夢遊病がよくやる間違いで、特に心霊主義の知識がない者がよくやる間違いである。霊についての知識が何もないので、人間と同じ姿をしているから、驚いて生者と思い込んでしまうのである」

○遠方の物を夢遊病者が見る場合、肉体で見ているのですか、魂で見ているのですか。
「なぜこんな質問をするのか。魂で見ているのだ、肉体などではない」

○魂は遠くへ行っているのに、夢遊病者が自分の身体に冷熱の感覚を、それも、肉体からはるかに遠くに魂が行っている、その場所の暑さ寒さの感覚を覚えるのは何故ですか。
「本人の魂は完全に肉体から切り離されているわけではない、両者を結ぶ紐がなお繋がっているのである。感覚を伝えているのはこの紐である。遠く離れている二人が電波で通信する場合、両者の思想を伝えているのは電波である。この電波で二人はあたかも傍に居るように通信できるのである」

○夢遊病者が生前に能力を使ったことで、死後になって影響を受けますか。
「大いにあり得る。神が与え給うた能力は何にしても、その使い方の良し悪しによって影響を受ける、これと同様である」