○霊は地上へ再生する時期を予知しますか。
「彼等は再生の予感はもつ。それは丁度、盲人が火に近付きながら熱さを感じるように。彼等は自分がいつか再生することは知っている。それはあたかも、諸君等がやがて必ず死ぬことを知っているのと同じように。ただ、いつ再生するか時期は知らない」
-では、死が地上生活に避けられないように、再生は霊の生活に不可避のものですか。
「そのとおりだ」

○霊は皆、来るべき再生に備えて、一生懸命ですか。
「中には、そのことに一考も与えず、また何も知らない霊魂もいる。これは進歩の程度によって違ってくる。場合によっては、自己の未来に何も気付かない不安定性は、一種の懲罰である」

○自分の再生の時を早めたり、遅らせたりすることが出来ますか。
「強力な希望を持てば、早めることは出来よう。又、前途の試練に尻込みして、これを遅らせることも出来よう(霊にも、人間同様、卑怯者や無関心な者もいるのだ)、だがそんなことをすれば、必ずや罰を受けることになる。このような遅延は本人を苦しめることになる。それは丁度、病人がびくびくして、適切な医療を遅らせる為に苦しむようなものだ」

○他界の中くらいの境涯にいる霊が、そこで幸福を感じているとすれば、いつまでも無限にその境涯に居続けることは可能ですか。
「いや、無限にというわけにはいかぬ。遅かれ早かれ、どんな霊でも進歩の欲求が起こってくる。すべての霊は進歩せねばならぬ、それが霊の天命である」

○魂がどの肉体に宿るかは、予め定められていますか。それとも生まれる時になって、たまたま選ぶのですか。
「一つの肉体に宿る霊は前もって予定されている。霊は自ら次に担う試練を選ぶが、その時再生したい気持になる。全知全能の神は、その時、既にその霊がどの肉体に宿るかを知り給うている」

○霊は自分で宿りたい肉体を選ぶことが許されますか。それとも、自分の試練に適した人生を選ぶだけなのですか。
「霊はまた肉体を選ぶかもしれない。何となれば、もし欠陥のある肉体を選べば、それは本人の進歩に役立つ大きな試練となるから、但し、彼がその障害をうまく克服すればだが。この選択は必ずしも本人次第ではない、しかし彼はその選択が許されるよう求めるかもしれない」
-いざ生まれる段になって、自分の選んだ肉体に入るのを拒むことが出来ますか。
「そんなことをすれば、新しい試練を担おうとしなかった人以上に、厳しい苦しみを受けることになろう」

○もう生まれるばかりの赤ん坊に、未だ宿る霊が定まっていないということがありますか。
「神はあらゆる場合に備えておられる。この世にちゃんと生を享けるように定められている子供には、ちゃんと魂が宿る手筈になっている。計画なしで何ものも創造されることはない」

○この魂はこの肉体に宿るべしと、神によって特に強制されることがありますか。
「時にはそういうこともある。それは、霊魂の中に、試練を強制される者があるのと同じことだ。こういうことは特に、その霊が遅鈍で、自分ひとりでは賢明な選択が出来ない場合に多い。罪の償いの為に、ある霊は、特定の赤ん坊の身体に宿らされることもある。やがてその赤ん坊が入る境遇や地位次第では、その事が霊にとって、懲罰の役を果たすことになるのである」

○まさに生まれようとしている赤ん坊に、宿りたい霊が幾つもある時は、どうするのですか。
「そんな場合には、神により、その赤ん坊に定められた運命を達成するに、最も相応しい霊が決定される。だが前にも言ったとおり、霊がどの肉体に宿るかは、生まれるよりずっと以前に、ちゃんと計画されているのだ」

○霊が肉体に宿る瞬間には、霊が肉体から離れる死の瞬間と、同じよな混乱が起こりますか。
「起こる。だがもっと大きく、特に混乱の時間はずっと永い。死の時は、霊はとらわれの状態から解放されるわけだ。だが誕生とは、そのとらわれに再び入り込むことだ」

○再生の瞬間を、霊は、厳粛な時と感じますか。それを、霊は真摯に且つ厳粛に行いますか。
「彼はあたかも危険な航海に出かける旅行者、しかも進み行く波路に生死を期しがたい、そんな旅行者のようなものだ」

○新しい人生で、自分は果して選んだ試練をうまく乗り切れるかとうか。これは再生前の霊にとり、やはり心配の種でしょうか。
「それは大きな心配の種だ。何といっても、その試練を上手くやるかどうかで、進歩か退歩かが決まるのだから」

○霊が再生する瞬間には、死の瞬間の場合と同じように、見送りの霊達が取り巻いていますか。
「それは、その霊が住んでいた境涯いかんに依ることだ。もしその霊が愛情に満ちた境涯の住人だったら、彼を愛する霊達は、最後の瞬間まで傍にいて激励してくれるし、更にしばしば新生活の中にまで付いてきてくれる」

○夢でよく我々に好意を示してくれる霊があるのですが、それはこうして我々の現実生活に付いて来てくれる霊なのでしょうか、ただ私共はその顔を知らないのですが。
「そうだ、多くの場合そうだ。諸君が牢獄に囚人を訪れるように、彼等は諸君を訪ねてやって来る」