○人間の善や悪の道徳性の根源はどこにあるのですか。
「それは、本人に宿った霊のもっている道徳性、それが根源である。その霊が清浄であればある程、その人間は善人の性質を示す」
-では、善人には善霊が宿り、悪人は悪霊が宿ったもの、そう考えてよろしいですか。
「その通り。但し、悪霊と言わずに、未完成の霊と言った方がよい。でなければ、いわゆる悪魔のような、永久に悪に留まる霊がいるように受取れるから」

○軽薄で愚かな霊が宿ると、どういう人間になりますか。
「とんまで気まぐれで、時にはいたずらをする」

○霊には、人間性とは違った何か別の情がありますか。
「そんなものはない。もしあれば人間と通信しようと思わないだろう」

○本人の道徳性と知性、この二つは一つの霊から出るのですか。
「それはそのとおり、人間に二つの霊が宿ることはない」

○非常に知的で、相当進歩した霊が宿っているように思えるのに、道徳的には非常に劣っていることがあります。なぜこういうことがあるのですか。
「人間に受肉する霊は、未だ十分に浄化したわけでないから、そういうことがある。従って人間は自分よりもっと悪い霊の影響にすぐ負けてしまう。霊の進歩は一歩一歩である、しかし、その進歩はすべての面で同じ歩調で進むわけではない。ある時期には知性の面が、また他の時期には道徳面が進歩する」

○人間の知的能力及び道徳的能力は自己内に受肉している色々な霊の所産であって、各霊はそれぞれの資質を代表しているという説がありますが、どう考えたらよろしいですか。
「これが荒唐無稽の説であることは、ちょっと反省してみれば直ぐ明らかとなる。霊はいずれも可能なすべての資質がもてることになっている。しかし、進歩の為には、単一にして統一的な意志をもたねばならない。もし人間が色々な霊の混成物なら、この統一性は存在しないだろうし、また個性をもつこともあるまい。即ち、人間が死んだら、籠から逃げる小鳥のように、霊は四方へ飛び散ってしまうだろうから。人は何か理解できぬことがあるとぶつくさ言うが、実に巧妙に、目の前にある簡単明瞭な説明には目もくれず、わざわざ問題を難しい方へもっていってしまう。上記の質問は、諸君がよくやる、結果と原因を取り違えたものだ。異教徒が神について考えていることを、人間に適用したものだ。異教徒達は、宇宙に在る現象と同じ数だけの神があると思い込んでいる。しかし、彼等の中にさえ鋭い人間がいて、宇宙現象の中には、結果は無数にあっても、原因は一なる神と見ている者もおる」