○物質は、神と共に、永遠より存在したのですか。或いは、ある時期に創造されたのですか。
「神のみが知り給う。しかしながら唯一つ、諸君の理性に訴えて言えることは、愛と慈悲の源泉である神は、一時も休まれることがないということ。いかに深く、神の活動の始原にさかのぼって想像をたくましくしても、いやしくも神が一瞬たりとも、その活動を停止なされたことがあり得ようか」

○物質の一般的な定義として次のものがあります。ひろがりをもつ、感覚できる、不滲透性。この定義は正しいでしょうか。
「人間の立場からすれば、それで正しい。人間は、ただ自己の知るところに従って、定義するものであるから。しかし物質は、実は、人間に未知な状態で存在している。たとえば、人間の五感に訴えない、ある精妙な状態。それは諸君等には物質とはいえない、しかし、なおこれも物質なのである」
-それでは、貴方方の物質の定義とは何ですか。
「物質とは、霊を繋ぎ止める要素である。霊に奉仕する道具である。従って、霊が活動し演じる舞台である」

○霊とは何ですか。
「宇宙の知的原理である」
-では、霊の本性とは何ですか。
「人間の言葉でそれを説明することは難しい。というのは、霊は人間に感知できるもの、つまり「もの」ではないから。しかし、我々霊魂にとっては、霊は「もの」であるのだが」

○霊と知性とは同義語と考えてよろしいか。
「知性は霊の本質的な属性である。しかし、両者は単一原理ともなる。従って諸君の立場からは、両者は同一物と申してよろしい」

○霊と物質とは別物ですか。それとも、霊は物質のもつ諸性質の単なる一つに過ぎないのですか。例えば、色は光の、音は空気の、それぞれ一性質でありますように。
「霊と物質とは全く別物である。しかし、霊と物質の結合があって初めて、物質に知的活動が与えられるのである。
-この霊と物質の結合は、霊の発顕にも必要なのですか。(ここで言う霊とは、抽象的に、知的原理の意味であって、個性をもった霊魂の意味ではない)
「諸君等にはその必要がある。人間は物質を離れて霊を感知するように創られていないから」

○物質なしの霊、霊なしの物質というものは考えられますか。
「思想の対象としてならあり得る」

○それでは、宇宙には二大要素があり、物質と霊、これでよろしいですか。
「その通り。更にその上に神がある。創造主であり万物の父である神が。この三者は万物の原理であって、三位一体である。
 しかしこの物質的要素には、他に一つ、宇宙的液状体が加えられねばならない。これは霊と物質との媒介物である。すなわち物質はその性質が鈍重すぎて、霊は直接物質に作用しえないからである。ただ液状体は物的要素の一つではあるが、見方を変えると、ある性質に関しては物質とは言えないものがある。もし単純に液状体をもって、物質と割り切ってしまうと、霊もまた物質ではないとは言えなくなってしまう。液状体は霊と物質の媒介物であり、物質を固体とすれば、これは液体である。又、これは霊の直接作用を受け、物質と無数の結合を通じつつ、敏感に作動して、無限の種類のものを生み出す。もっとも人間は今日まで、これらのもののほんの一部を知っているに過ぎないが。この宇宙の根源的液体は、霊が物質に作用する為の媒介物であるが、また、物質がこれなしでは永久に物質であり続けえない原理、またこれがなければ、物質が計量という性質をもつことの出来ない原理でもある」
-この液状体とは、いわゆる電気と考えてよろしいか。
「既に述べたように、これは無数の結合に敏感なもの。諸君の言う電気的液体・磁力的液体などは、この宇宙的液状体の変化したものをさす。より正しく表現すれば、これはもっと完全なもっと精妙なものそのもの、それ自身独立的存在と考えてよいのである」

○霊があるものであるとすれば、液状体と霊を、それぞれ内的物質及び知的物質と言った方が、よりはっきりするのではありませんか。
「用語上の問題は我々には余り大切ではない。諸君は分かり易くする為に定義を下すのだと言う。しかし、それはピタリとした言葉がない為そうなることが多い。とにかく、人間は五官に触れないものを表現する言葉を欠いているので、そうなりがちだ」