投書(四)-霊の進化は生命の旅における苦難と葛藤を通して得られると仰っていますが、同時に、その進化に終わりはないとも仰っています。そうなると、魂の安らぎと平安が永遠に得られないということになりませんか。

この質問を聞いてシルバーバーチが
「質問者が仰っているのは地上の人生のことでしょうか」
と尋ねると、司会者が
「その点は明確ではありませんが・・・」
と答える。するとシルバーバーチが続けてこう述べた。
「そういう疑問は、世俗的な表面と霊的な内面との違いが理解できていないことから生じます。日常生活では葛藤と困難と闘争に明け暮れていながら、内面的には平安と安らぎの中に安住することができます。俗世では疾風怒涛の中にあっても、霊的な悟りは平静そのものであり得るのです。
 安らぎは内面から出て来るものです。外部からやってくるものではありません。地上の人間が物的身体の奥に秘められた霊的な自我を開発しさえすれば、泉のごとく霊力が湧いて出て、静寂、沈着、平穏、安らぎといったものがもたらされます。
 これまでに多くの偉大なる霊が地上降誕し、様々な分野で先駆的な仕事と改革をもたらしましたが、皆、過酷な現実の中で悪戦苦闘しながらも、霊的な自我は静かな悟りの世界にありました。物的な有為転変と霊的原理とを同等に見てはいけません。霊が主人であり、物質は従者です。常に霊が主導権を握るようでなくてはいけません」

投書(五)-霊媒や治療家が過労に陥るのは本人の責任でしょうか、それとも背後霊の責任でしょうか。

「それは本人の責任です。霊媒や治療家は霊の道具です。が、その道具にも自由意志が許されています。背後霊は独裁者ではありません。霊媒を操り人形を扱うようなわけにはまいりません。協力し合うのです。無理矢理強いるようなことはしません。その時の環境条件の下で最善を尽くします。
 もしも霊媒や治療家が過労でダウンしたとすれば、それは本人の責任です。我々霊側は霊媒を鼓舞して仕事に従事させることはありますが、体力の限界を無視してまでやらせるようなことはいたしません。霊的能力の開発を陰から指導すると同時に、その能力を使い過ぎないように管理する必要もあります。折角の能力であり、大切にしなければならないからです。
 いつも申し上げているように、霊と精神と身体の三つが一体となって機能することが大切です。その調和の中でこそ各自の使命が果たせるのです」