「かく申す私も、あなた方と同じく一個の人間的存在にすぎません。叡知の全て、真理の全てを知り尽くしたわけではありません。地上でいう時間の概念で言えば、私は皆さん方のどなたよりも長い期間を生活してまいりました。その結果として皆さんよりは多くの知識を蓄えております。
 それを、受け入れる用意のできた人に分けてあげるべく、これまでの道を後戻りして地上圏へ降りてくれないかとの要請を受けたのです。もしも私の述べることが皆さんのお役に立てば、それだけでこうして私が戻って来た価値があったことになります。
 今夜ご出席の皆さんが霊能力の開発に努められておられるグループであることは承知しております。霊に宿された資質であり、それを開発することによって、あなた方のもとを訪れる人々の為に役立てることが出来ます。
 霊力はもはや確実に地上に根付いております。かつてのように、無きものにすることは出来ません。いかなる人間も、またいかなる権威をもってしても、今や確実に根付き、そして着実に広がりつつある霊力を地上から追い払うことは出来ません。
 地上界をそういう世界にすることが、霊界の高い界層の進化せる存在によって目論まれた計画の一環なのです。目的はただ一つ、地上人類に本当の自我に目覚めさせること、つまり、本来は霊的存在であり、それが今は物的身体を通して表現しているにすぎないこと、そして、内部には神性を帯びた無限の可能性が秘められていて、それを少しでも多く発揮することが地上生活の目的であることを教えてあげることです。
 霊力は生命そのものです。あなた方のいう[神]の分霊です。生命とは霊であり、霊とは生命なのです。霊はいかなる形態を通してでも生命を表現しています。大霊から出たものが私達霊界の存在を通して地上圏まで届けられ、地上のチャンネルないしはミーディアム(霊媒)を通して地上に注入されております。それが物的身体の奥に宿る霊性に活力を賦与し、潜在する霊的資質を発現させることになるのです。
 なぜ今の時代にそれが必要かといえば、それは唯物主義がもたらした混乱、黄金の子牛の像の崇拝、すなわちお金第一主義が蔓延りすぎたからです。
 唯物主義はその本質自体が貪欲、強欲、自分第一主義に根ざしています。同じ天体上に住んでいながら、自分以外の者への思いやりも気遣いも考えず、ひたすら自分の快楽と蓄財に励みます。敵対関係、戦争、怨恨-こうしたものを産み出すのは唯物主義です。物質が全てである、死は全ての終わりである、だったら自分の思うままに生きて何が悪い、という論法です。
 こうした自己中心の考えが地上界に暗黒と困難、闘争と暴力と憎み合いを生み出すのです。人間は霊的存在としての宿命を背負っているのですから、その宿命を成就する為の生き方をするには、そうしたものを無くさないといけません。
 残念ながら、慣習となっている伝統的な宗教も哲学も教育も、今では頼りにされなくなっています。特に若い世代はそっぽを向いています。愛する人を失った時と同じように、悩みや苦しみをもつ人は教会や寺院やシナゴーグ(ユダヤ教の教会堂)を訪れますが、もはやそこには真の救いを与えてくれる人はいません。
 病を得た者が病院へ行っても、必ずしも治してもらえるとは限りません。哲学者も納得のいく答えを与えてくれません。あれほどの鋭い頭脳をもった人が・・・・と思えるほどの学者でも、心霊現象を研究してその真実性を認めた先輩の科学者達の業績を見て、ただ呆れ返るばかりで、理解出来ずにいます。その気になれば今でも同じ実験が出来るのですが・・・
 あなた方は、そうした現象を起す霊力と同じものを顕現させて、他の何ものによっても出来ない形で人の為に力になってあげることが出来ます。死別の悲しみに暮れる人を慰め、病の人を癒し、人生に疲れた人に生きる元気を与え、迷える人を導き、全生命の基盤である永遠の霊的実在を証明してみせることが出来ます。
 霊というものは実体のないもののように想像されがちですが、あなた方は霊こそ実在であることを証明してみせることが出来ます。死後の生命の実在、不治の病の治癒、その他諸々の霊媒現象によって立証できます。それは人間本来の生き方の基盤を提供することでもあります。そういうものを必要とする人は、あなた方から呼びかけなくても、向こうから訪れるようになります。
 訪れた人に何らかの力になってあげることが出来たら、そういうチャンスを与えてくださったことを大霊に感謝することです。もしも力になってあげることが出来なかったら、或いはもしその人がまだ霊的に目覚める用意が出来ていなかったら、自分自身でなく、その人の為に、密かに涙を流してあげなさい。あなた方としては、いつでも手を差し伸べられる用意をしておくことが大切です。あなた方自身も、そういう人がいてくれたからこそ霊的真理に目覚めることが出来たのですから。
 神は、ご機嫌がいいと褒美を与え、腹を立てると罰を与えるというようなものではありません。原因と結果の連鎖が、摂理に則って自動的に、或いは機械的に、途切れることなく続くのです。何事にも自分が責任を負うのです。
 良い行い、つまり人の為になることをすれば、自動的に霊性の向上という結果が生じます。反対に、人間の煩悩から過ちを犯した場合、言い換えると物的欲望に拘りすぎて堕落した生活に陥った時は、自動的に霊性が低下します。
 人の為に役立つことをしただけ、それだけあなた方も他人から、ここぞという時に手を差し伸べてもらえるのです。そうした生活を続けていると、内なる輝き、内なる落ち着き、内なる平安というものがそなわってきていることに気付きます。それは、霊の世界の援助者との繋がりがより緊密になってきていることの証拠です」