-神とは何なのでしょう?

「神、私のいう大霊の全体像は、言語によっても絵画によっても描写することは出来ません。言語も絵画も限りあるものだからです。小さいものが大きいものを包含することは出来ません。が、大自然の営みをよく観察すれば、ある程度の理解は得られるでしょう。
 大自然が法則によっていかに精密に制御されているかを、よくご覧になることです。顕現の仕方はまさに千変万化でありながら、その一つ一つにきちんとした配慮が行きわたっております。極微のものであろうと壮大なものであろうと、生命あるもの、動くもの、呼吸するもの、存在するもの全てが、自然法則によって制御されているのです。
 法則の支配の行き届かないものは何一つありません。四季は一つずつ巡り、地球は地軸に逆らうことなく回転を繰り返し、潮は干満を止めることがありません。タネを蒔くと、そのタネの中に宿された種が芽を出します。別の種が出てくることはありません。
 法則の支配は絶対です。どんな新しい発見がなされようと、またそれがどこでなされようと、同じ法則の支配を受けます。何一つ忘れ去られることはありません。何一つ見逃されることもありません。何一つ疎かにされることもありません。そうした働きの背後にある力は何なのでしょうか。それが無限なる存在、すなわち大霊なのです。
 人間を途方もなく大きく拡大したものを想像してはいけません。旧約聖書のエホバ神のようなものではありません。復讐心に燃え、不機嫌になって疾病を蔓延させるようなことをする、気まぐれで怒りっぽい神様ではありません。
 歴史と進化の過程をみれば、地上界がゆっくりとした速度ではあっても、常に前へ、そして上へと進んでおり、その背後で働いている力が(人間的な善悪の観念でいえば)善を志向する存在であることを示しています。
 これを更に発展させていけば、全てを支配し、全てを管理し、全てを指揮し、しかも全ての内部に存在する、無限の愛と叡智をそなえたあるもののイメージが浮かんできます。それを私は大霊(グレートスピリット)と呼んでいるのです」

-それに関連してよく出されるものに、[神への回帰]の問題があります。神へ回帰した時に我々の個的存在がなくなるのではと考える人がいます。

「進化の究極の目的はニルバーナ(涅槃・寂滅)に入ることではありません。霊的進化は限りなく個性を増幅していくことです。個性が消えていくのではなく、増していくのです。潜在する無限の資質を発達させ、ますます多くの知識を吸収し、個性がますます強化されてまいります。
 大霊は無限の存在です。ということは、進化は無限に続くということになります。完全性が成就されることはありません。どこまでいっても完全へ向けての努力の連続です。その結果がより大きな自我を見出すことにもなるのです」

-進化はどこまでいっても[中途]の段階であるとして、ある一定の段階に到達することがどういうことなのか、表現できるものでしょうか。

「それは出来ません。到達する界層ないし境地は言語を超えたものだからです。意識と自覚の程度の反映です。そこまで到達した者にしか理解できない性質のものです」

-究極のことをこう表現してもよいでしょうか。つまり、最後は大いなる意識(神)の海に埋没してしまうのではなく、その海の深さが個性の中に吸収されていく、ということです。

「いいですね、なかなかいい表現だと思います」

-洞察力とは何でしょうか。

「その人ないし霊が受けるインスピレーションです」

-物的な富や財産は霊的成長にとって必ず障害となるのでしょうか。

「いえ、必ずというわけではありません。しかし、難しくすることは間違いありません」

-叡智を身に付ける為には経済的に貧しくないといけないのでしょうか。

「そんなことはありません。霊的な叡智を物的な貧しさとを天秤にかける必要はありません。ただ、物的な富を所有し、更にそれを増やそうとする欲望は、残念ながら霊的成長の障害になる傾向があることは確かです。それよりも、地上の人間として正しい生活を心掛けていれば、必要なものは必ず与えられるものなのです。まず神の国を求めれば他のものは全て添えて与えて下さるというイエスの言葉は、その通りです。どちらを優先するかの問題です」