-イエスの山上の垂訓にある[黄金律](人からしてもらいたいと思うことを人にしてあげなさい)は[適者生存]の原理と、時として矛盾することがあるように思えるのですが・・・

「私は、進化の法則を、無慈悲な者ほど強く生き残るという意味での[適者生存]と解釈することには賛成出来ません。適者生存の本当の意味は、生き残る為の適応性をそなえた者が存続する、ということです。言い換えれば、存続する為の適性を発揮した者が生き残るということです。
 注目して頂きたいのは、生き残っている動物を観察してみると、それが生き残れたのは残虐性のせいでもなく、適者だったからでもなく、進化の法則に順応したからであることが明らかなのです。もしも適者のみが生き残ったとすると、なぜ有史以前の動物は死滅したかという疑問が生じます。その当時は一番強い生物だった筈ですが、生き残れませんでした。
 進化の法則とは生長の法則の一つです。ひたすらに発展していくという法則です。他の生命との協調と互助の法則です。つまるところ、イエスの黄金律に帰着します」

[偶然]の要素について質問されて-
「世の中が偶然によって動かされることはありません。どちらを向いても-天体望遠鏡で広大な星雲の世界を覗いても、顕微鏡で極小の生物を検査しても-そこには必ず不変不滅の自然法則が存在します。あなたも偶然に生まれてきたのではありません。原因と結果の法則が途切れることなく繰り返されている整然とした秩序の世界には、偶然の要素の入る余地はありません。
 全生命を創造した力は、その支配の為に、規則ないしは法則、或いは摂理というものを用意したのです。その背景としての叡知も機構も完璧です。全ては霊的なものです。全ての生命は霊的存在だからです。生命が維持されるのは、その本質が物質ではなくて霊だからです。霊は生命であり、生命は霊です。
 生命が意識をもった形態をとる時、そこには個としての霊が存在することになります。そこが動物と異なるところです。人間は個別化された霊、つまり大霊の一分霊なのです。
 人生には個人としての生活、家族としての生活、国民としての生活、世界の一員としての生活があり、摂理に順応したり逆らったりしながら生きております。逆らえば、そこに暗黒と病気、困難と混乱と破産、悲劇と流血が生じます。順応した生活を送れば、叡知と知識と理解力と真実と正義と公正と平和がもたらされます。それが黄金律の真意です。
 人間はロボットではありません。一定の枠組みの中での自由意志が与えられているのです。決断は自分で下さないといけません。個人の場合でも国家の場合でも同じです。摂理に適った生き方をしている人、黄金律を生活の規範として生きている人は、大自然から、そして宇宙から、よい報いを受けます」

続いて[汝の敵]に対する態度のあり方について、こう説いている。
「私から見れば、どの人間もみな[肉体を携えたスピリット]です。私の目にはドイツ人もイギリス人もアメリカ人もありません。みんなスピリットであり、大霊の一部であり、神の子です。
 時には対症療法としてやむを得ず[罰]を与えねばならないこともあるでしょうが、既に述べた通り、新しい世界は憎しみや復讐心からは生まれません。全ての人類の為を思う心からしか生まれません。復讐を叫ぶ者、目には目を、歯には歯をの考えをもつ者は、将来の戦争の種を蒔いていることになります。
 全ての人間に生きる場が与えられております。理性と常識とによって問題を解決していけば、全ての者に必要なものが行き渡る筈です。そう申し上げるより他に説明のしようがありません。
 あなたの国(米国)はなぜあの短い期間にあれだけの進歩を成し遂げたか。それは一語に尽きます-寛容心です。英国が永い歴史の中で発展してきたのも、寛容心があったからこそです。米国は人種問題、国籍問題、宗教問題を解決してまいりました。その歴史を通じて、全ての人種にそれぞれの存在価値があること、人種が増えるということは、いずれは優れた国民を生むことになることを学んできました。
 今あなた方の国が体験していることは、やがて全世界が体験することになります。米国は、世界問題解決のミニチュア版のようなものです。例えば、あなたの存在を分析してみても、遺伝的要素の一つ一つは確認出来ないでしょう。それと同じで、米国は雑多な人種から構成されておりますが、その一つ一つが存在意識をもっており、雑多であるが故に粗末になるということはありません。逆に、豊かさを増すのです。
 成長の途上においては、新しい要素の付加と蓄積とがひっきりなしに行われ、その結果として最良のものが出来上がります。それは、自然というものが新しい力、新しい要素の絶え間ない付加によって繁栄しているものだからです。限りない変化が最高の質を生み出すのです。大自然の営みは、一時の休みもない行進です」

 その日のもう一人のゲストに、ポーランドの役人がいた。そして、まず最初に次のような質問をした。

-霊界の美しさを味わうことが出来るのは、地上で美しさを味わうことが出来た者に限られるというのは本当でしょうか。

「そんなことはありません。それでは不公平でしょう。地上には真の美的鑑賞力を養成する為の施設がないのですから、数知れぬ人が美しさを味わえないことになってしまいます。霊の世界は償いの世界であると同時に、埋め合わせの世界でもあります。地上世界では得られなかったものが補われて、バランスを取り戻すのです」

これを聞いてメンバーの一人が-

-今の方の質問の背景には、人間が死ぬ時はこの世で培ったものを携えていくという事実があるように思うのですが・・・

「地上の人間は、無限の精神のほんの一部を表現しているにすぎないことを銘記しないといけません。それを表現する窓が五つ(五感のこと)しかありません。それも、至ってお粗末です。
 それが肉体から解放されると、表現の範囲が飛躍的に大きくなります。精神がその本領を発揮し始めます。表現器官の性能がよくなるからです。霊界にはあらゆる美が存在しますが、それを味わう能力は、霊性の発達の程度いかんに掛かっています。二人の人間に同じ光景を見せても、一人はその中に豊かさと驚異を発見し、もう一人は何も発見しないということも有り得ます。
 それに、もう一つ別の種類の美-魂の美、精神の美、霊の美があり、その美しさの中に、永遠不滅のものが有する喜びを味わうことが出来ます。充実した精神-思考力に富み、内省的で人生の奥義を理解出来る精神には、一種の気高さと美しさがあるものです。それは、その種のものとは縁遠い人、従って説明しようにも説明出来ない者には、見られないのです」

-美の鑑賞力を養う最良の方法は何でしょうか。

「それも、大体において、各個人の霊的発達の問題です。適切な教育が全ての人に等しく利用出来ることを前提として言えば、美を求める心は、魂の発達と共に自然に芽生えてくるものです。価値観が高まれば高まる程、精神が成長すればする程、醜い、卑劣な環境に不快感を抱くようになるものです。波長が合わなくなるからです。自分の置かれた環境をより美しくしたいと思い始めたら、それは進化と成長の兆しであると思ってよろしい。
 地上界をより美しくしようとする人間の努力は、魂が成長していく無意識の発現です。それは同時に、無限の宇宙の創造活動へ寄与していることでもあります。神は人間に、あらゆる材料を提供してくださっております。その多くは未完の状態のままです。そして、地上の隅々にまで美をもたらすには、魂・精神・理性・知性・成長の全てを注ぎ込まねばなりません。
 最後は何事も個人単位の問題であり、各自の成長度に帰着します。霊性が開発されればされる程、進化すればする程、それだけ神の属性を発現することになり、それだけ一層、美を求めるようになります。私がつねづね霊的知識のもつ道徳的ないし論理的価値を強調するのはその為です。
 貧民街が存在してはならないのは、神性を宿す者がそんな不潔な環境に住まうべきではないからです。飢餓がいけないのは、神性を宿す肉体が飢えに苦しむようであってはならないからです。悪が全ていけないのは、それが内部の神性の発現を妨げるからです。真の美は、物質的・精神的・霊的の全ての面において、真の調和が行き渡ることを意味します」

-美的観念を植え付けるにはどうしたらよいのでしょうか。

「個々の魂が自ら成長しようとすることが必須条件です。外部からありとあらゆる条件を整えてあげても、本人の魂が成長を望まなければ、あなたにも為す術がありません。ですから、あなたに出来ることは霊的知識を広めること、これだけです。正しい知識を広めることによって無知をなくし、頑迷な信仰をなくし、偏見をなくしていくことです。とにかく、知識の種を蒔くのです。時にはそれが石ころだらけの土地に落ちることもあるでしょう。が、根付き易い土地も、至るところにあります。蒔いた種はきっと芽を出します。
 私達の仕事は、真理の光を可能な限り広く行き渡らせることです。その光は徐々に世界中を照らすようになり、人間が自分達の環境を大霊の分子、すなわち神の子が住まうに相応しいところにしようと望めば、迷信という名の暗闇の全て、醜さと卑劣さを生み出すもの全てが改善されていくことでしょう」