○神とは宇宙の自然法則です。物的世界と霊的世界との区別なく、全生命の背後に存在する創造的エネルギーです。完全なる愛であり完全なる叡智です。神は宇宙の隅々まで行き渡っております。人間に知られている小さな物的宇宙だけではありません。まだ知られていない、より大きな宇宙にも瀰漫(びまん)しております。

○神は全生命に宿っております。全存在の内部に宿っております。全法則に宿っております。神は宇宙の大霊です。神は大生命です。神は大愛です。神は全存在です。僕(しもべ)にすぎない我々がどうして主人を知ることが出来ましょう。ちっぽけな概念しか抱けない我々に、どうして測り知れない大きさの存在が描写出来ましょう。

○あなた方の世界と私達の世界、まだ人間に知られていない世界を含めた全宇宙が神の法則の絶対的な支配下にあります。その法則を超えたことは何一つ起きません。全てが自然法則すなわち神の摂理の範囲内で起きているのですから、全てが知れるのです。

○完全が存在する一方には不完全も存在します。しかしその不完全も完全の種子を宿しております。完全も不完全から生まれるのです。完全は完全から生まれるのではありません。不完全から生まれるのです。

○神は法則です。万物を支配する法則です。法則が万物を支配しているのです。宇宙のどこにも法則の支配を受けないものは存在しません。地震、嵐、稲妻-こうしたものの存在が地上の人間の頭脳を悩ませていることは私も承知しております。しかしそれらもみな宇宙の現象の一部です。天体そのものも進化しているのです。この天体上で生を営んでいる生命が進化しているのと同じです。物質の世界は完全からはほど遠い存在です。そしてその完全はいつまでも達成されることはありません。より高く、あくまでも高く進化して行くものだからです。

○神は法則であり、その法則は完璧です。しかし物質の世界に顕現している部分は、その顕現の仕方が進化の法則の支配を受けます。忘れてならないのは地球も進化しつつあるということです。地震も雷も進化のしるしです。地球は火焔(かえん)と嵐の中で誕生し、今なお完成へ向けて徐々に進化している最中です。

○日没と日の出の美しさ、夜空のきらめく星座、楽しい小鳥のさえずりは神のもので、嵐や稲妻や雷鳴や大雨は神のものではないなどということは許されません。全ては神の法則によって営まれていることです。

○宇宙は神の反映です。神が宇宙組織となって顕現しているのです。蠅に世の中のことが分かるでしょうか。魚に鳥の生活が理解出来るでしょうか。犬に人間のような理性的思考が出来るでしょうか。星に虚空が理解出来るでしょうか。全ての存在を超えた神という存在をあなた方人間が理解出来ないのは当然です。しかし人間も、魂を開発することによって、一言も語らずとも魂の静寂の中にあってその神と直接の交わりをもつことが出来るのです。その時は神とあなたとが一体であることを悟られます。それは言葉では言い表せない体験です。あなたの、そして宇宙の全ての魂の静寂の中においてのみ味わえるものです。

○霊それ自体は元々完全です。宇宙を構成している根源的素材です。生命の息吹です。それがあなた方を通して顕現しようとしているのですが、あなた方が不完全である為に顕現の仕方も不完全なのです。あなた方が進化するにつれて完全性がより多く顕現されてまいります。

○法則は完全です。しかしあなたは不完全であり、従って完全な法則があなたを通して働けないから、あなたを通して顕現している法則が完全でないということになります。あなたが完全へ近付けば近付くほど、完全な法則がより多くあなたを通して顕現することになります。こう考えるとよろしい。光と鏡があって、鏡が光を反射している。鏡が粗末であれば光の全てを反射することが出来ない。その鏡を磨いて立派なものにすれば、それだけ多くの光を反射するようになります。

○私は原初のことは何も知りません。終末についても何も知りません。知っているのは神は常に存在し、これからも永遠に存在し続けるということだけです。神の法則は完璧に機能しております。あなは元々完全な光をお持ちです。が、それを磨きの悪い鏡に反射させれば完全な光は返ってきません。それを、光が不完全だ、光は悪だとは言えないでしょう。まだ内部の完全性を発揮するまでに進化していないというに過ぎません。地上で[悪]と呼んでいるものは不完全な段階で神を表現している[不完全さ]を意味するに過ぎません。

○神は愛を通してのみ働くのではありません。憎しみを通しても働きます。晴天だけでなく嵐も法則の支配を受けます。健康だけでなく病気を通しても働きます。晴天の日だけ神に感謝し、雨の日は感謝しないものでしょうか。太古の人間は神というものを自分達の考える善性の権化であらしめたいとの発想から(その反対である)悪魔の存在を想定しました。稲妻や雷鳴の中に自分達の想像する神のせいにしたくないものを感じ取ったのです。

○神とは法則です。全生命を支配する法則なのです。その法則を離れては何も存在できません。あなた方が憎しみと呼んでいるものは未熟な魂の表現にすぎません。その魂も完全な法則の中に存在しておりますが、現段階においては判断が歪み、正しく使用すれば愛となるべき性質を最低の形で表現しているまでのことです。愛と憎しみは表裏一体です。愛という形で表現できるエネルギーは、憎しみを表現する時に使用するエネルギーと同じものなのです。

○善なるもの、聖なるもの、美なるもの、愛、叡智、その他人生の明るい側面だけに神が宿っているかに考える旧式の思想は棄てなければいけません。神の表現をそのように限定すれば、もはや絶対神が絶対でなくなります。それは条件付きの神、限定された霊となります。絶対神の本質は無限・全智・全能・不可変・不易であり、それが法則となって絶え間なく機能しているのです。

○神を右手にナザレのイエスを従えて玉座に座している立派な王様のように想像するのはそろそろ止めなければいけません。それはもはや過去の幼稚な概念です。宇宙全体、雄大な千変万化の諸相の一つ一つに至るまで絶対的な法則が支配しているのです。神とは法則のことです。

○神は人間的存在ではありません。法則です。それが全生命を支配しているのです。法則なくして生命は存在しません。法則がすなわち霊であり、霊がすなわち法則なのです。それは変えようにも変えられません。そこのところが理解できない人にとっては色々と疑問が生じるでしょうけど、成長と共に理解力も芽生えてまいります。神が善なるものを与え悪魔が邪なるものを与えるという論法ではラチがあきません。ではその悪魔は誰がこしらえたのかという、古くからのジレンマにまたぞろ陥ってしまいます。

○人間的存在としての神は人間がこしらえたもの以外には存在しません。人間的存在としての悪魔も人間がこしらえたもの以外には存在しません。黄金色に輝く天国も、火焔もうもうたる地獄も存在しません。そうしたものは全て、視野を限られた人間の想像的産物にすぎません。神は法則なのです。それさえ理解すれば、人生の最大の秘密を学んだことになります。なぜなら、世の中が不変にして不可変、全知全能の法則によって治められていることを知れば、絶対的公正が間違いなく存在し、宇宙の創造活動の大機構の中にあって一人として忘れ去られることがないことを知ることになるからです。

○存在を可能ならしめている法則なくしては何一つ存在できないのが道理です。法則が絶対的に支配しているので。人間に与えられている自由意志が混乱を引き起こし、法則の働きを正しく見えなくすることはあっても、法則は厳然と機能していますし、また機能してもらわなくては困ります。

○私にとって神とは永遠不変にして全智全能の摂理としての宇宙の大霊です。私はその摂理にいかなる不完全さも欠陥も不備も見つけたことがありません。原因と結果の連鎖関係が完璧です。この複雑を極めた宇宙の生命活動のあらゆる側面において完璧な配慮が行き渡っております。例えば極大から極小までの無数の形と色と組織をもつ生物が存在し、その一つ一つが完全なメカニズムで生命を維持している事実に目を向けて頂けば、神の法則の全構図と全組織がいかに包括的かつ完全であるかを認識されるはずです。私にとって神とは法則であり、法則がすなわち神です。ただ、あなたは不完全な物質の世界に生活しておられるということです。

○五感に束縛されている限り、神の存在、言い変えれば神の法則の働きを理解することは不可能です。その限界故に法則の働きが不完全に見えることがあるかも知れませんが、知識と理解力が増し、より深い叡智をもって同じ問題を眺めれば、それまでの捉え方が間違っていたことに気付くようになります。物質の世界は進化の途上にあります。その過程の一環として時には静かな、時には激動を伴った、様々な発展的現象があります。それは地球を形成していく為の絶え間ない自然力の作用と反作用の現れです。常に照合と再照合が行なわれるのです。存在していく為の手段として、その二つの作用は欠かせない要素です。それは実に複雑です。

○私が地上にいた頃はインディアンはみな別の世界の存在によって導かれていることを信じておりました。それが今日の交霊実験会とほぼ同じ形式で姿を見せることがありました。その際、霊格の高い霊ほどその姿から発せられる光輝が目も眩まんばかりの純白の光を帯びていました。そこで我々は最高の霊すなわち神は最高の白さに輝いているものと想像したわけです。いつの時代にも[白]というのは[完全][無垢][混ぜもののない純粋性]の象徴です。そこで最高の霊は[純白の霊]であると考えました。当時としてはそれが我々にとって最高の概念だったわけです。それは、しかし、今の私にとっても馴染み深い言い方であり、どのみち地上の言語に移し替えるのであれば、永年使い慣れたものを使いたくなるわけです。但しそれは人間ではありません。人間的な神ではありません。神格化された人間ではありません。何かしらでかい存在ではありません。激情や怒りといった人間的煩悩によって左右されるような存在ではありません。永遠不変の大霊、全生命の根源、宇宙の全存在の究極の実在であるところの霊的な宇宙エネルギーであり、それが個別的意識形態をとっているのが人間です。

○こうして神について述べてみますと、やはり今の私にも全生命の背後の無限の知性的存在を包括的に述べることは不可能であることを痛感いたします。が少なくとも、これまであまりに永い間地上世界にはびこっていた数々の幼稚な表現よりは、私が理解している神の概念に近いものを表現しているものと信じます。

○忘れてならないのは、人類は常に進化しているということ、そしてその進化に伴って神の概念も深くなっているということです。知的地平線の境界がかつてほど狭いものでなくなってきており、神ないし大霊、つまり宇宙の第一原理の概念もそれに伴って進化しております。しかし神自体は少しも変わっておりません。