○祈りとは魂の表現です。具体的に言えば、祈りとは光明或いは導きを叫び求める魂の止むに止まれぬ切望です。その切望そのものが自動的に扶助を呼び寄せます。なぜならその思念の威力が稼動し始めるからです。それが回答を呼び寄せる原因であり、回答が結果です。

○霊の側では人間側がどういう祈りをするかを待つ必要はありません。なぜならば祈りの本質そのものが、その波長の感応する界層の単数又は複数の霊を即座に呼び寄せるからです。それも魂の進化の程度によって自然に決まることです。

○祈りの念に感応して呼び寄せられた霊は、地上界への奉仕の願望から、その人間が稼動させた威力を増幅させることになります。霊力の一部である思念の波動がいよいよ大きく活動を開始したわけです。それによって宇宙の霊的エネルギーがその人の進化の程度に応じた範囲での活動を許されることになります。ということは、その人間の手の届く範囲のエネルギーを自由に駆使できるということです。

○その人間の進化の程度次第では、求めている特定の目標に思念を集中する必要がある場合もあります。その方がその人にとって有効であるというのであれば、私はそれはそれで結構であると申し上げます。しかし、祈りに関して大切なのは、大霊・生命の原理・宇宙の摂理、こうしたものです。

○時折皆さんは自分の魂にとって為にならないもの、進化を遅らせることになるものを要求されます。それは叶えてあげるわけにはいきません。また時折それを手にするだけの十分な努力をしていないものを要求されます。それも与えれません。そして時にはそれを手にする用意の出来たものを要求されます。それは、ここという好機をみて与えられます。このように皆さんが心に抱く祈りは、口に出さずとも神は先刻御承知なのです。

○赦免を求めて祈っても法則が手直しされることはありません。支払うべき代償は必ず支払わねばなりません。しかし、赦免を求めて祈るということは、自分の間違いに気付いて神の摂理との調和を求め始めたことを意味します。すなわち魂への内省を始めたことになり、それは本当の進化の始まりであると言えます。

○祈りの言葉を何の目的もなしに繰り返すだけでは、ただ大気中に一定の波動を起こすだけです。が、誠心誠意、魂の底からの祈り、神の御心と一体となり、神の道具として有意義な存在でありたいと願う心は、その波動そのものがその人を神の僕としてより相応しく、そしてより逞(たくま)しくします。祈るということ、真実の自分を顕現すること、心を開くこと、これが背後霊との一体化を促進するのです。

○真実の祈りは人の為に役立つ行為への心の準備であらねばなりません。より高い波長に適合させる為の手段です。と言っても私の言う祈りは、どこの誰が書いたのかも分からない、しかも何の意味かも分からない文句を繰り返すことではありません。誠心誠意の祈り、魂の波長を最高度に高めんとする真摯な願いです。その結果として感応するインスピレーションに満たされて、あなたは一段と逞しい存在となります。

○誠心誠意の祈りは、その行為そのものがより高い波長と感応させます。祈るということ自体が心を開かせるのです。但し、その祈りは心と魂と精神を込めたものであらねばなりません。こうして欲しい、ああして欲しいといった、ただの要求は祈りではありません。真実の意味での祈りは大変な霊的活動です。それは何かの目的への手段であって、目的そのものであってはならないというのが一番的確な表現かと思います。

○私は無理にも祈れとは誰にも申しておりません。祈る気になれないのを無理して祈っても、それは意味のない言葉の羅列にすぎないものを機械的に反復するだけですから、むしろ祈らない方がいいのです。祈りには目的があります。魂の開発を促進するという霊的な目的です。但し、だからといって祈りが人間的努力の代用、もしくは俗世からの逃避の手段となるかに解釈してもらっては困ります。

○祈りは魂の憧憬を高め、決意をより強固にする為の刺激-これから訪れる様々な闘いに打ち克つ為に守りを固める手段です。何に向かって祈るか、いかに祈るかは、本人の魂の成長度と全生命の背後の力についての理解の仕方にかかわってくる問題です。

○祈りとは神性の一欠片である自分がその始原との一層緊密な繋がりを求める為の手段です。その全生命の背後の力との関係に目覚めた時、その時こそ真の自我を見出したことになります。