○あなたはその身体の奥に神の属性である莫大なエネルギーの全てを未熟な形、或いはミニチュアの形、つまり小宇宙の形で秘めているのです。その秘められた神性を開発してそれを生活の原動力とすれば、心配も不安も悩みも立ちどころに消えてしまいます。なぜなら、この世に自分の力で克服できないものは何一つないことを悟るからです。その悟りを得ることこそあなた方の勤めなのです。それは容易なことではありませんが・・・。

○霊の力は楽々と手に入るものではありません。もしそうであったら価値はないことになります。何の努力もせずに勝利を得たとしたら、その勝利は本当の勝利といえるでしょうか。何の苦労もせずに頂上を征服したら、それが征服といえるでしょうか。霊的進化というものは先へ進めば進むほど孤独で寂しいものとなっていくものです。なぜなら、それは前人未踏の地を行きつつ後の者の為に道標を残していくことだからです。そこに霊的進化の真髄があります。

○肉体は霊がその機能を行使できるように出来上がっております。その形体としての存在はホンの一時的なものです。用事が済めば崩壊してしまいます。が、その誕生の時に宿った霊、これが大事なのです。その辺の理解が出来た時こそあなたの神性が目を覚ましたことになります。肉体的束縛を突き破ったのです。魂の芽が出始めたのです。ようやく暗闇の世界から光明の世界へと出て来たのです。後は、あなたの手入れ次第で美しさと豊かさを増していくことになります。

○人間の大半が何の益にもならないものを求め、必要以上の財産を得ようと躍起になり、永遠不滅の実在、人類にとって最高の財産を犠牲にしております。どうか、どこでもよろしい、種子を蒔ける場所に一粒でも蒔いてください。冷ややかな拒絶に会っても、相手になさらぬことです。議論をしてはいけません。伝道者ぶった態度に出てもいけません。無理して植えても不毛の土地には決して根付きません。根付く所には時が来れば必ず根付きます。小ばかにしてあなたに心無い言葉を浴びせた人達も、やがてその必要性を痛感すれば向こうからあなたを訪ねてくることでしょう。

○人生には目的があります。しかしそれは当事者が操り人形でしかないほど融通性のないものではありません。笛に踊らされる人形ではないのです。人間の一人一人に神の分霊が宿っており、一人一人が無限の創造活動に参加できるのです。つまりあなたには個的存在としての責任と同時に、ある一定限度内での自由意志が与えられているのです。自由といっても、大自然の法則の働きを阻止することが出来るという意味ではありません。限られた範囲内での選択の権利が与えられているということです。運命全体としての枠組みは出来ております。が、その枠組みの中であなたが計画された予定表(ブループリント)に従いながらどれだけ潜在的神性を発揮するかは、あなたの努力次第ということです。

○霊は生命そのものであり、生命は霊そのものです。霊のないところに生命はありません。物質は殻にすぎません。霊という実在によって投影された影にすぎません。物質それ自体には存在はないのです。あなたが存在し、呼吸し、動き、考え、判断し、反省し、要約し、決断し、熟考することが出来るのは、あなたが霊であるからこそです。霊があなたの身体を動かしているのです。霊が離れたら最後、その身体は崩壊して元の土くれに戻ってしまいます。

○人間という形態を通して顕現している生命力は、小鳥・動物・魚類・樹木・草花・果実・野菜などを通して顕現しているものと同じ生命力なのです。いかなる形態にせよ生命のあるところには必ず霊が働いております。

○時として人生が不公平に思えることがあります。ある人は苦労も苦痛も心配もない人生を送り、ある人は光を求めながら生涯を暗闇の中を生きているように思えることがあります。しかしその見方は事実の反面しか見ておりません。まだまだ未知の要素があることに気づいておりません。私はあなた方に比べればはるかに永い年月を生き、宇宙の摂理の働き具合をはるかに多く見てまいりましたが、私はその摂理に絶対的な敬意を表します。神の摂理がその通りに働かなかった例を一つとして知らないからです。

○せっかちと短気はいけません。せっかくの目的を台無しにします。内部から援助してくれる力は静穏な環境を必要とします。物事には一つの枠、つまりパターンがあり、そのパターンにそって摂理が働きます。宇宙の大霊も自ら定めた摂理の枠から外れて働くことは出来ないのです。指導と援助を求める時はそれなりの条件を整えないといけません。そのためには、それまでの経験を活用しなければなりません。それが魂にとっての唯一の財産なのです。そして、自分に生命を賦与してくれた力がきっと支えてくれるという自信を持つことです。あなたはその力の一部なのであり、あなたの魂に内在しているのです。正しい条件さえ整えば、その神性は神からの遺産として、あなたに人生の闘いを生き抜くためのあらゆる武器を用意してくれます。せっかちと短気はその自由闊達な神性のほとばしりの障害となるのです。
 神はけっしてあなたを見捨てません。見捨てるのはあなたの方です。あなたが神を見捨てているのです。困難に直面した時、その神の遺産を結集し、必ず道は開かれるのだという自信を持つことです。不動の信念をもつことです。そうすれば道は必ず開かれます。

○悲しみは魂に悟りを開かせる数ある体験の中でも特に深甚なる意味を持つものです。それが魂の琴線に触れた時、一番よく魂の目を覚まさせるものです。魂は物的身体の奥深く埋もれているために、それを目覚めさせる為には余程の体験を必要とします。悲しみ、病気、不幸等は地上の人間にとって教訓を学ぶための大切な手段なのです。もしもその教訓が簡単に学べるものであれば、それは大した価値のないものということになります。悲しみの極み、苦しみの極みにおいてのみ学べるものだからこそ、それを学べる段階まで来ている魂にとって深甚なる価値があると言えるのです。

○人間の生活に過ちはつきものです。その過ちを改めることによって魂が成長するのです。苦難や障害に立ち向かった者が、気楽な人生を送っている者よりも大きく力強く成長していくということは、それこそ真の意味での『ご利益』と言わねばなりません。何もかもうまく行き、日向ばかりを歩み、何一つ思い煩うことのない人生を送っていては、魂の力は発揮されません。何かに挑戦し、苦しみ、神の全計画の一部であるところの地上という名の戦場において、魂の兵器庫を開き神の武器を持ち出すこと、それが悟りを開くということです。

○神は一瞬の休みも無く働き、全存在の隅々まで完全に通暁しております。神は法則として働いているのであり、晴天の日も嵐の日もともに神の働きです。有限なる人間に神を裁く資格はありません。宇宙を裁く資格もありません。地球を裁く資格もありません。あなたがた自身さえも裁く資格はありません。物的尺度があまりにも小さ過ぎるのです。物的尺度で見る限り世の中は不公平と不正と邪道と力の支配と真理の敗北しかないかに思えるでしょう。当然かも知れません。しかし、それは極めて偏った、誤った判断です。

霊的真理は、単なる知識として記憶しているだけでは理解したことにはなりません。実生活の場で真剣に体験して初めて、それを理解するための魂の準備が出来たことになります。どうもその点がよく解っていただけないようです。種子を蒔きさえすれば芽が出るというものではありません。芽を出させるだけの養分が揃わなくてはなりません。養分は揃っても太陽と水がなくてはなりません。そうした条件が全部揃った時にようやく種子が芽を出し、生長し、そして花を咲かせるのです。人間にとってその『条件』とは辛苦であり、悲しみであり、苦痛であり、暗闇の体験です。何もかも上手く行き、鼻歌まじりの呑気な暮らしの連続では、神性の開発は望むべくもありません。そこで神は苦労を、悲しみを、そして痛みを用意されるのです。そうしたものを体験してはじめて霊的知識を理解する素地が出来上がります。そして、いったん霊的知識に目覚めると、その時からあなたはこの宇宙を支配する神と一体となり、その美しさ、その輝き、その気高さ、その厳しさを発揮し始めることになるのです。

○人間は物質の中に埋もれた生活をしているために、バイブレーションが低くなっております。朝目を覚まし、まだ意識が完全に働かないうちから、あれやこれやと煩わしいことや心配事の波に呑み込まれていきます。大きい悩み、小さい悩み、真実の悩み、取り越し苦労に過ぎぬもの、等々いろいろあります。いずれにせよ全ては一時的なものにすぎないのですが、そういうものに心を奪われてしまうと、背後霊が働いてくれている事実を忘れ、あなた方の思考の流れの中から霊的要素が閉め出され、霊的流入を遮断する一種の壁をこしらえてしまいます。

○恐怖心は無知の産物に他なりません。つまり知らないから怖がるのです。ですから、知識を携えて霊的真理の中に生きることです。取り越し苦労の絶えない人は心のどこかにその無知という名の暗闇があることを示しています。そこから恐怖心が湧くのです。人間が恐れるべきものは恐怖心それ自体です。恐怖心は闇の産物です。霊力に不動の信念をもつ魂は恐れることを知りません。

○生長・変化・進歩・開発・発展ーこれが宇宙の大原理です。一口に進化と言っても、そこには必ず潮の干満にも似た動きがあることを知ってください。循環運動、周期運動、螺旋運動ーこうした運動の中で進化が営まれており、表面は単調のようで内面は実に複雑です。その波間に生きるあなたも、寄せては返す波に乗って進歩と退歩を繰り返します。物的繁栄の中にあっては霊的真理を無視し、苦難の中にあっては霊的真理を渇望するものです。それは人生全体を織りなす縦糸と横糸であるわけです。

○霊媒現象ばかりが霊力のはけ口ではありません。芸術家を通して、哲学者を通して、或いは科学者を通しても発現することができます。要するにあなた方自身の霊的自覚を深める行為、あなた方より恵まれない人々の役に立つ仕事に携わることです。看板は何であっても構いません。係わる宗教、政治、芸術、経済がいかなる主義・主張を掲げようと問題ではありません。実際に行なう無私の施しが進化を決定付けるのです。

○地上へ誕生してくる時、魂そのものは地上でどのような人生を辿るかをあらかじめ承知しております。潜在的大我の発達にとって必要な資質を身につける上でそのコースが一番効果的であることを得心して、その大我の自由意志によって選択します。その意味であなた方は自分がどんな人生を生きるかを覚悟の上で生まれてきているのです。その人生を生き抜き、困難を克服することが、内在する資質を開発して真の自我、より大きな自分に新たな神性を付加していくことになるのです。

○私が『魂は承知している』と言う時、それは細かい出来事の一つ一つまで知り尽くしているという意味ではありません。どういうコースを辿るかを理解しているということです。その道程における体験を通して自我が目覚め悟りを開くということは、時間的要素と各種のエネルギーの相互作用の絡まった問題です。たとえば、予期していた悟りの段階まで到達しないことがあります。するとその埋め合わせに再び地上へ戻ってくることになります。それを何度も繰り返すことがあります。そうするうちにようやく必要な資質を身につけて大我の一部として融合していきます。

○時には万策尽きて万事休すと諦めかけた、その最後の一瞬に救いの手が差し伸べられることがあります。霊的知識を授かった者は、いかなる苦境にあっても、その全生命活動の根源である霊的実相についての知識が内なる冷静、不動の静寂、千万人といえども我行かんの気概を失うようなことがあってはなりません。

○自分がいかなる存在であるのか、何の為にこの世にいるのかについての正しい認識を失わぬようにしてください。あなた方のようにふんだんに霊的知識に恵まれた方でも、どうかすると毎日の雑事に心を奪われて霊的実相を忘れてしまいがちです。が、それだけは絶対に忘れないようにしなければなりません。地上という物的世界において生活の拠り所とすべきものはそれ以外にはないのです。霊こそ実在です。物質は実在ではないのです。あなた方はその実在を見ることも触れてみることも感じ取ることも出来ないかも知れません。少なくとも物的感覚で感識している具合には感識できません。しかし、やはり霊こそ全ての根源であることに変わりはありません。あなた方は永遠の存在であることを自覚してください。生命の旅路においてホンの短い一時期を地上で過ごしている巡礼者にすぎません。

○治療家としてこの世に生をうけたのは、その仕事を通じて神の計画の遂行に参加し、自分が何であるかも自覚せず、何の為に地上に生まれてきたのかも知らず、従って何を為すべきかも知らずに迷っている神の子等に永遠の真理、不変の実在を教えてあげる為です。これは何にも勝る偉大な仕事です。たった一人でもよろしい。治療を通して霊的真理に目覚めさせることが出来たら、あなたの地上生活は無駄でなかったことになります。一人でいいのです。それであなたの存在意義があったことになります。

○あなた方人間は物的身体を通して自我を表現している霊魂です。霊魂に霊的法則があるように、身体には生理的法則があります。その法則の働きによって身体に何らかの影響が表れたとすれば、それも原因と結果の法則が働いたことを意味します。私達は霊力によって手助けすることはできても、その法則の働きによる結果に対しては干渉できません。要するに奇跡は起こせないということです。大自然の因果律は変えられないということです。神は摂理として、その霊力によって創造した宇宙で一瞬の休みもなく働いております。全てを包摂しており、木の葉一枚落ちるのにも摂理の働きがあります。ありとあらゆる治療法を試みてなお治らなかった患者が、もし心霊治療によって見事に治ったとしたら、それは奇跡ではなく霊的法則が働いた証(あかし)と考えるべきです。

○人間の健康を動物の犠牲のもとに獲得することは神の計画の中にはありません。全ての病気にはそれなりの治療法が用意されております。その神の用意された自然な方法を無視して動物実験を続ける限り、人間の真の健康と福祉は促進されません。動物はそんな目的の為に地上に生をうけているのではありません。真の健康は調和です。精神と霊と肉体の正しい連係関係です。三つの機能が一体となって働くということです。これは動物を苦しめたり体内から特殊成分を抽出したりすることによって得られるものではありません。

○身体が病むということは、精神か霊のいずれかに不自然なところがあることを意味します。霊が正常で精神も正常であれば、身体も正常であるはずです。身体に出る症状は全て霊と精神の反映です。これを医学では心身相関医学などと呼ぶようですが、名称はどうでもよろしい。大切なのはいつの時代にも変わらぬ真理です。魂が病めば身体も病みます。魂が健康であれば身体も当然健康です。身体の治療、これは大切ではありません。魂の治療、これが大切なのです。

○私達が地上の人々にもたらすことの出来る最高の霊的知識は人生が『死』をもって終了するのではないこと、したがって苦しい人生を送った人も失敗の人生を送った人も屈辱の人生を送った人も、皆もう一度やり直すことが出来るということ、言い換えれば悔し涙を拭うチャンスが必ず与えられるということです。人生は死後もなお続くのです。永遠に続くのです。その永遠の旅路の中で人間は内在している能力、地上で発揮し得なかった才能を発揮するチャンスが与えられ、同時に又、愚かにも摂理を無視し他人への迷惑を考えずに横柄に生きた人間には、その悪業の償いをするチャンスが与えられます。

○宗教家とか信心深い人は霊的に程度が高いという考えが、人間を永い間迷わせてきたようです。実際は必ずしもそうとは言えないのです。ある宗教の熱烈な信者になったからといって、それだけで霊的に向上するわけではありません。大切なのは日常生活です。あなたの現在の人間性、それが全てのカギです。祭壇の前にひれ伏し、神への忠誠を誓い[選ばれし者]の一人になったと信じている人よりも、唯物論者や無神論者、合理主義者、不可知論者といった、宗教とは無縁の人の方がはるかに霊格が高いというケースがいくらでもあるのです。問題は何を信じるかではなく、これまで何を為してきたかです。そうでないと神の公正が根本から崩れます。

○いわゆる因果律というのは必ずしも地上生活中に成就されるとは限りません。しかしいつかは成就されます。必ず成就されます。原因があれば結果があり、両者を切り離すことは出来ないのです。しかし、いつ成就されるかという時期の問題になると、それは原因の性質いかんに係わってきます。すぐに結果の出るものもあれば、地上生活中には出ないものもあります。その作用には情状酌量といったお情けはなく、機械的に作動します。罪を犯すとその罪がその人の霊に記録され、それ相当の結果を生み、それだけ苦しい思いをさせられます。それが地上生活中に出るか否かは私にも分かりません。それは様々な事情の絡んだ複雑な機構の中で行われるのですが、因果律の根本の目的が永遠の生命である『霊の進化』にあることだけは確かです。

○人間生活には三つの側面があります。まず第一に霊であり、次に精神であり、そして肉体です。人間としての個性を存分に発揮するようになるのはこの三つの側面の存在を認識し、上手く調和させるようになった時です。物的世界にのみ意識を奪われ、物的感覚にしか反応を示さぬ人間は、精神的ならびに霊的な面においてのみ獲得される、より大きい、より深い、より美しい喜びを味わうことはできません。反対に精神的なもの、霊的なものばかりの瞑想的生活から生まれる内的満足のみを求め、この世の人間としての責務をおろそかにする人間は、一種の利己主義者です。

○人間にとって最大の恐怖は死でしょう。それが少しも怖いものではないことを知り、生命が永遠の存在であり、自分も永遠の存在であり、あらゆる霊的武器を備えていることを知っていながら、なぜ将来のことを心配なさるのでしょう。不幸の訪れの心配は、その不幸そのものより大きいものです。その心配の念が現実の不幸より害を及ぼしております。

○心霊治療家になしうることは、病気の期間を縮めるか、治してしまうか、或いは、もっと大切なこととして、真理に目覚める用意のできた魂に感動的な体験を与えることです。悪事とか懲罰の問題を抱えたものがそこにあります。魂そのものの成長に関わる問題です。魂が目覚めるまでは往々にして悲しみや病気がお伴をすることになります。

○期間の問題ではなく[霊]そのものに係わる問題です。何日も何週間もかかって体験するものを僅か二、三秒で体験することができます。霊的なものを物的な尺度で判断することはできません。霊的なものは霊的に判断しなければなりません。霊的なことが原因で発生した現象を地上的な期間を尺度として価値判断することはできません。更に、理屈はどうであれ、治療家が痛みを軽減したり、楽にしてあげたり、治してしまうことがてきるという現実は、そこに何らかの法則が働いていることの証拠であり、同時にそれは、その患者の魂がその救いを得る段階まで来ていたことを意味します。偶然とかまぐれとかで起きているのではありません。

○人生はすべて法則によって支配されております。天命・宿命・運命ーーーこうした問題は何世紀にもわたって思想家の頭を悩ませてまいりました。では真相はと言えば、法則の内側にもまた別の次元の法則が働いているということです。宇宙には何人にも動かしがたい基本的法則がまず存在します。そして、それとは別に、自由意志を行使できる法則もあります。ただし、自由意志による行為が原因となってそれ相当の結果が生じます。それは絶対に避けることは出来ないということです。

○いくら善人でも無知から霊的な罪を犯すことがあり得ます。例えば、ここに一人の子供、とても気だての良い子がいて、その子が炉の中に手を突っ込んだとします。炉の火は、その子が良い子であるか悪い子であるかにおかまいなく、その手に火傷を負わせます。もしもその子に、火に手を入れたら火傷をするという『知識』があったら、手を突っ込むことはしなかったでしょう。ですから、この場合、火傷をするしないは知識の問題です。私が因果律の問題は魂の進化の程度によって決まるという言い方をするのは、そうした要素があるからです。因果律は必ず働きます。信仰とか願望にはおかまいなく働きます。

○いかなる人間にも必ず試練と困難、いわゆる人生の悩みが訪れます。いつも日向ばかりを歩いて蔭を知らないという人は一人もいません。ただその人生の難問がどの程度の影響を及ぼすかは、各自の霊的進化の程度にかかっております。ある人には何でも無いことが、あなたには大変に思える場合があります。反対に、ある人には大変に思えることが、あなたには些細なことに思えることもあります。各自が自分なりの運命を切り開いて行くのです。

○人間は無数のことに苦しみ、悲哀と苦痛を味わわねばなりません。これは人類の永年の伴侶なのです。遠い昔、どうみても何一つ苦労はなかったであろうと思われる昔からです。

○ヒトは身体的には既に進化の頂点に達しております。次は精神的進化と霊的進化です。長い年月をかけて徐々に全人類が自己の心霊的能力に目覚めていくことでしょう。が、ここで[但し書き]が必要です。心霊的能力を発揮するようになることが必ずしも霊的進化の程度の指標とはならないということです。霊的身体の有する能力を全部発揮しても、魂そのものは少しも進化していないということもありえます。本当の意味で霊的に進化し始めるのは、人の為に役立つ仕事を目的として霊界のスピリットの協力を得ながら心霊能力を開発した時です。

○霊界から手を差し伸べてよい範囲があり、出しゃばってはならない限界があり、喋ってはならない時があり、今こそ喋る時があり、それに加えて必ず、その時々の環境条件による制約があります。しかしそのパターンは厳然としており、指導に当たるスピリットはすべからくそのパターンに従わなくてはなりません。前もってそういう取り決めがしてあるからです。私も私よりはるかに霊格の高い霊団によって計画された枠の外に出ることは許されません。そもそも地上で成就すべきものと判断を下した、もしくは計画したのは、その高級霊団だからです。光り輝く存在、高等審議会、神庁、天使団-どうお呼びになられても結構です。要するに私達が行なう全仕事に対して責任をもつ、進化せる高級霊の集団です。私にはもうすぐその方達とお会いする喜びが待ち受けております。その時まず私の方からそれまでの成果をご報告申し上げ、次に私がどの程度まで成功しどの点において失敗しているかについて言い渡され、それによってこれから先の私のなすべきことを判断することになるのです。その霊団の上には更に高級な霊団が控え、その上にも更に高級な霊団が控えており、連綿として事実上無限に繋がっているのです。

○我々の目的は言わば[宗教のリハビリテーション]です。宗教を無味乾燥で不毛の神学論争から救い出すことです。宗教間のいがみ合いから救い出し、教理上の論争を超越して実証的事実の基盤の上に真の宗教を確立し、霊界からの啓示を現在ますます増えつつある霊媒を通して地上に普及させ、あらゆる地域の人類に神が今なお働いていること、その恩寵はけっして過去の一時期に限られたものではなく、今日でも、いずこにいようと誰であろうと、同じ恩寵に浴することができることを知らしめる、そういう計画があるのです。