○種子は暗い土の中に置かれ、十分な力を養って生命を吹き出す。丁度そのように、人もやがて霊的生命を吹き出す為に、予め暗い地上に置かれ、人間の経験を重ねて力を蓄える。人の最も嫌がる悲しみ・苦しみ・涙・失望・災い・苦痛、これらも実は魂にとり、極めて価値ある経験である。

○しかし苦しんでいる時にはその事は分からない。後になって過去を振り返ってみると、それが初めて分かる。その場その時その事だけで、人生を判断してはいけない。逆境によって、人格は試練を受け、涙と悲しみによって、魂は力を得る。

○私達は人生を見るに、肉の目をもってしない。生命の真実の姿を見通す霊の目をもってする。賢明な人とは、人生のあらゆることを、魂の成長の為に生かそうとする人。こういう人はどんな試練にあっても、背中を見せようとはしない。内在の力を働かせて、困苦に直面しようとする。何となれば、人格の成長と強化は、実にこの精神にあるから。

○法は完全であって、その働きは自動的である。誰一人として、この法を免れることは出来ない。自由意思、これさえも法である。その働きは、見る目をもった人にははっきり分かる。彼等はそれが分かる段階にまで進歩しているから。

○人の自由意思は、自分が現在達している進歩の器量に応じて発揮出来るにすぎない。人の行為も又自己の器を超えて何事も為すことは出来ない。全てのその魂の進歩の段階によって、限定されているのである。

○人は神の一部であり、無限の神性が発揮出来るようになっている。人はその神性が発揮されるにつれ、高遠な法が分かるようになる。
 この法は、他の法と矛盾するものではなく、人の進歩に応じて、初めて感得出来るものなのである。

○人間の可能性に限界はなく無限である。美の極限、音楽の輝き、いずれも際限はない。魂が高く進歩の枠を広げていけば、美と調和の世界は、ますます大きく魂の前に展開される。貴方が向上するにつれ、一層広大な調和の世界が、貴方をそこで待ち受けている。

○低級な魂には高級なことは分からない。高級な魂には低い段階のこともよく分かる。あらゆるものの調和を支えている法は、自動的に働いていて、人はその魂が成長して、法に触れる域に到達するまでは、法を自家薬籠中のものとすることは出来ない。

○一歩進歩しては、さて次の進歩をどうするか、自ら選択する。だが、その選択は遅らせることも出来る。貴方が時々刻々に何を行なうか、これは貴方と法との相互作用で決定されるのであって、しかもその相互作用は自動的に行なわれる。又、どの程度の進歩を選ぶかは、進歩の現時点での本人の意識の反応、それによって決定される。

○皆さんからシルバー・バーチと呼ばれている私は、霊界の無限の知識のほんの一小部分を代表しているにすぎない。皆さんが成長するにつれて、私よりもっと偉大な霊師達は、私を使ってもっと高級な知識と知恵を皆さんに伝えることが出来る。
 もうこれでお終い、ということはない。完全は留まるところを知らない。皆さんは進歩しつつある、そうして私もまた。私より高い所にいる霊達がこう言っている、彼等の背後には、更に高級な霊達があって働いていると。上には上と、そこに終わりはない。もし人がその終点に到達するなら、それが創造の終わりということになるから。

○人類は永い年月を要しながら、今日のように肉体を進化させてきた。緩慢な変化、しかし徐々にその程度を高め進化し、土から空へと高まっていった。
 徐々にその動物性は振り落とされ神性が顔を覗かせてきた。どんなに永い年月が、今日の肉体に進化するまでにかかったことだろう。しかもなお進化は終わっていない。さて、人類の魂の進化には、はたしてどれ程の年月がかかることか。

○先頃まで、人類は猿であった。いや、正確に言うと、猿ではなくて、猿の肉体を通じて働いている霊であった。この霊とは神の分身である。
 貴方はどこで生をうけようとも、神の息をもっている。これがなければ生命はあり得ないから。しかしこの神の息には段階がある。それは進化・発展、即ち低次のものから高次なものへと進んでいく変化が。

○しかも一切が神の息である。例えば地上最低の生命形式も神と繋がっており、又過去地上生活を終えた最高の聖者とも結ばれている。それは全ての内部に神が在り給うからだ。従って、地上最悪の人間と至純の魂の人とも兄弟である。互いの内部には、同じ神の息が込められているから、誰も皆、神の法を超えることは出来ない。お互いは皆、深い縁で結ばれた間柄だからだ。

○色々な種を含んだ類魂がある。かつて猿であり魚であり鳥であったのは貴方ではない。それは今、貴方の身体を通じて働いているこの類魂である。貴方はその類魂の一部。

○(問)生まれつき跛者とか盲目とか、自分の罪でもないのに、どうしてこういう子供が生まれるのか。
(答)魂のことは、外側から見ては分からない。魂の進歩の問題と、その道具である肉体の問題とを混同してはいけない。
 確かにいわゆる不具はある。それは両親が又はそのどちらかからの、遺伝という自然法則に基づくものだが、しかしその為に、魂の進歩に支障をきたすということはない。
 生まれつき肉体に欠陥のある人は、一般に魂のどこかに、償わねばならない点があるのであって、この障害を通じて、これらの人達は、以前よりも親切で、寛大温和な性質を獲得するのである。この宇宙には、償いという永遠の原理があるのであって、何ものもこの因果の法を免れるものはない。

○(問)私達は死ぬと皆、地上経験の試練を耐えた自分の人格で評価されるわけだが、精神病者で自分で責任を取れない人は、どういうことになるのか。
(答)貴方は物質の事と霊の事を混同している。脳細胞が狂っていれば、地上では混乱を引き起こす。だが魂の方は、仮に機械の狂いの為に、地上では自己表現が出来なくても、自分の責任はちゃんと心得ている。
 神法は、本人の魂の進歩の程度に応じて働く。魂は永遠の英知の物差しで評価され、決して地上の規準で計られることはない。地上の規準に違反する魂は、地上の物差しでは悪い評価を受けるだろうが、魂にその事の責任を取るだけの資質がなければ、霊界では問題にされることはない。
 このことは、いわゆる狂人が人を殺し、自殺をした場合も同様である。機械が故障なのだから、これは非難するわけにはいかない。他界における裁きの規準は、常に魂の動機による規準、これである。これによる限り、誤謬というものはない。

○(問)肉体の故障の為に、魂が地上生活の教訓を学べない時は、霊界ではどんな位置を占めますか。
(答)機械が故障だから、魂には経験が記録されない。だから、こういう魂は地上経験を損したことになる。つまり肉体的経験の価値をもたなかったことになる。しかし償いの原理は絶えず働き続けている。

○(問)地上では、貧民街に生まれて、衣食も道徳も精神も貧しい中で育ち、辛く単調な労働に身を任せねばならない者、或いは生まれながらに美しい環境に育ち、何不自由のない生涯を送る者とがあります。この不公平は、一体どのように考えたらよいのですか。
(答)魂は自らの進歩を正直に記録するもの。地上の者は、いつも物質の面から物事を評価し、魂がどのように反応表現するかという点からは物事を見ない。貧乏に生まれようが金持ちに生まれようが、魂が自覚をもち自己を発揮するに必要な奉仕の機会は、誰にでも等しくある。これをするかしないか、それだけが評価の規準である。地上の事は全て、物質の面からのみ評価されるから、どうも不公平を生み易い。肝心なことは魂の反応、償いである。魂が困苦を通じてどのように自己発揮を学んでいくか、そこに真実の応報がある。

○(問)だが、なぜ悪人が恵まれた生活を送ったりするのですか。
(答)またしても、貴方は地上の規準でものを判断している。はたして恵まれた生活を送る魂が不幸でないと言い切れるか、その魂に苦悩がないと、煩悶や苦痛がないと、そんなことが貴方に分かるのか。きっと貴方はその者の笑顔を見たり、贅沢な財貨を見たりするから、そう思うのだろう。恵まれた生活と魂の満足、それが両手に花と、そう上手くいくだろうか。永遠の規準とは霊的な規準である。もしそうでなければ、この世に正義はないことになるから。

○(問)しかし経済的にも精神的にも劣悪な環境にいる者より、恵まれた環境にいる者の方が、確かに良い動機を発動し易いと思いませんか。
(答)私はそれに賛成出来ない。というのは、殆ど常に地上の大人物は貧困の家に生まれている。地上の偉大な師達は全て、貧困家庭から出ている。魂に闘うべき困難が多ければ多い程、魂は偉大となる。魂の自己発揮は、実に環境との闘いから得られる。外見からでなく、内面から物事を判断するようにせよ。

○(問)人類は、身体上の進歩と同じように、その霊魂の方も進歩を遂げていますか。
(答)進歩している。しかし同じ歩調というわけにはいかない。というのは、霊が自己を表現するには、その前にまず、肉体上にある程度の進歩が起こることが必要であるから。

○(問)私達は死後もその気になれば、進歩していくことが出来ます。それと同じく、死後悪い心をもって、低い段階に沈むことも出来ますか。
(答)出来る。数百年いや時には数千年も進歩しないで止まっている霊魂が沢山いる。彼等は霊界へ来ても、なお依然として、地上に強い執着を抱いているのである。彼等の生活はただ欲望と貪りに満ちていて、霊的法則を理解する気持など、さらさらない。霊的なことは、彼等にはまるで蛙の面に水。彼等は依然として地上的、あまりにも地上的。従ってどんどん低い境涯へと沈んで行く。

○(問)魂があまりにも低く沈んで、消滅するということはありませんか。
(答)そんなことはない。ただ内在の神性の火が小さくなり、点滅するところまでは沈む。しかしその灯が消えてしまうことはない。霊と神とを結ぶ絆は永遠に練られ鍛えられていくものであるから、どんな魂でも、二度と立ち上がれない程低く沈むことはない。又どんな魂も、最低の魂を助けに行けない程、高く上がってしまうこともない。

○(問)魂が様々の境涯を上って行き、遂に神と融合してその個性を失い、又それが幾つかに分かれてしまうということがありますか。
(答)私は寡聞にして、まだ神と融合する程完全に到達したものを知らない。人か完全に達すれば、更に前途にもっと大きな完全が見えてくる。人はますます大きく、その意識が開顕されていくもの。人の意識は無限。無限へ向かって際限もなく伸びていくもの、何となれば、意識とは神の部分であるから。私は、究極の完全についてはまだ何も知らない。

○(問)個々の魂が向上すると、類魂の中に次第に融合していって、自分の個性を失ってしまうということは、事実ではありませんか。
(答)私の知っている限りで、そういうことはない。もしあるとすれば、次のようなことはある。今ある仕事を遂行する為に、志を同じくする霊達がお互いの知識と資料を集め、一人の霊が他の霊に代わって代表者となっている場合。これが行なわれている間中は、各人は個性を隠して一つになっている。しかしこれも、唯その時だけ、一時的なものだ。

○(問)家畜以外の低級な動物で、死後も生き続けているということについて、何か御存知ですか。
(答)知っている。丁度犬や猫のように、私達が地上生活中馴染んでいた動物達が沢山いる。これらの動物は、個性発揮を学んだ所で、即ち私達の所へ死後も来て、生き続けている。しかしこの死後個性存続は永久のものではない。ほんの暫くの間のことで、動物はやがて種族の本源である群魂の中へ融合していく。神の子であるものは誰でも、神の力をもっているから、死後存続の力を、未発達な動物達の上に伝えることが出来る。人が動物に示す愛、これによって、まだそこまで進歩していない動物達の自己を芽生えさせ、進歩を進めることが可能なのである。

○(問)動物はそれぞれに応報を受けますか。
(答)いや、個々にではなく、群魂として受ける。この苦しみによって、群魂は進歩していくのである。

○(問)貴方は地震を、地球進化の現象と言われますが、その為に罪もない人が沢山死んでしまいます。こんなことが正しいと言えましょうか。
(答)貴方が死と呼ぶものが、私の目には、大きな不幸とは映らない。これは魂が自由となる偉大な瞬間である。

○(問)他の天体で、私達より進歩していたり、又それ程でもないがとにかく人間が住んでいる天体がありますか。
(答)ある。地球の人類より進歩した人類が住んでいる天体が沢山ある。この地球は、広大な宇宙の中、数ある遊星のほんの一つにすぎない。

○(問)これは重大だと思う仕事をやろうとすると、色々障害が出て、どうも上手くいかないことが多いが、それはなぜですか。
(答)価値の高い仕事程困難は大きいものだ。その間に困難や障害は山のようにあり、道は決して容易なものではない。実はそういう困難こそが人格形成の糧となるので、困難に直面した時、魂がはたして成長するかどうかが決定される。もし苦労もなしに内在の神性が発揮出来るものなら、神性の価値は低いものとなってしまう。
 絶望してはいけない。内在の力を使いさえすれば、どんな障害も困難も、征服出来ないものは一つもない。仮に他人がどんなに貴方の邪魔をしても、内在の力を奮い立たせ、主となさしめれば、全て氷解してしまうのである。どうも人は、地上生活中に、内在の力をほんの少ししか使っていないということを理解していない。

○(問)沢山の赤ん坊が、生まれると直ぐ、殺されたり死んだりしますが、こういう赤ん坊の地上の生活には、どんな価値があるのですか。
(答)永遠の原理を、物質的側面から判断しようとするから、人間には本当のことが少しも分からない。地上で賢いと言われる人は、決まって地上の常識でものを見る。しかしこういう人もやがて進歩して霊的知識の光が届くようになると、初めて、今まで目に入らなかった神の計画が見えるようになる。今のところ、彼等は曇りガラスを通してものを見ている。だから、本当のものが見える道理がない。
 今貴方方が味わっている生活より、もっと素晴らしい生活がある。美の世界、色の世界、愛の世界、勤労の世界、真摯な欲求が表現を見出す世界、あらゆる創造的衝動が自らを表現し得る世界、地上では実現出来ないあらゆるものが実現される世界。人がこの世界を目にするまで、いやしくも神を批判することは出来ない。

○(問)貴方がいつも相談をしている高級霊達は、時には地上に来ているのですか。
(答)いや、あの霊達は一本の鎖の環の働きをしておられる。この霊媒は私と皆さんとの間の環であり、私は私の上にある霊と皆さんとの間の環であり、高級霊達は私と更に彼等の上にある霊との間の環である。このようにして、この鎖は私の目路の限りを超えて、遙か霊的世界の深奥にまで伸びている。