○私の霊界通信は、霊媒の語彙と霊媒の魂の進歩の程度、この二つの制約を受ける。私が通信を送る場合、霊媒の語彙が貧弱だったり、魂が進歩していないと、どうしても思うような通信が送れない。つまり、通信したいと思う内容を受け入れてくれないわけだ。だから霊媒の魂が進歩していくと、今まで通信出来なかったことが通信可能となっていく。
 私は言葉を送るのでなく、思想を送る。つまり、私は霊媒の脳のどこにどんな言葉があるかを、今日ではよく知っているからである。そこで、私は予め準備しておいた思想を、すっかり通信することが出来る。

○この霊媒を使い始めた最初の頃は、色々困った事があった。例えば、霊媒の脳からある言葉を取り出そうとすると、それと関連のある別の言葉まで飛び出してくるのである。そこで私は神経中枢、特に脳中枢の統御法を勉強し、正しい言葉だけが使えるようにしなければならなかった。といっても、完全に不要な言葉が除去出来るというわけではない。何となれば、霊媒を通じると、ある程度霊媒の用語の色合いが、私の思想に加わることがあるからである。しかしながら、その為私の通信したいと思う本旨が変ってしまうということはない。

○人間の肉体は大変複雑なもので、これは実際他人の肉体を、霊媒として使った者でないと分からない。心臓を鼓動させ、血液を流動させ、肺臓を収縮させたり膨張させたり、全ての神経中枢には絶えず正常な刺激を与えておくようにせねばならぬ。又霊媒の潜在意識の流れを断ち切り、自分の思想を絶えず流しておくようにせねばならぬ。これはとても容易なことではない。いわばこれは、赤ん坊が一歩一歩と歩く勉強をするのと同じ事で、霊媒使用も初めはこうして一歩一歩学んでいく。現在では、私はこれが自動的に行なえるようになっている。

○又通信を送る為には、霊媒の潜在意識に、通信の道を作らねばならない。その為私達は永年にわたり、私達の思想や考え方や用語を注入するのである。
 もし、霊媒の潜在意識の中にある思想を使いたければ、潜在意識中の既知の道の方へ押しやってやればよい。これはレコードをかけるのと同じことで、溝に針を置けば、後は自動的に動くというわけだ。しかしそれと違って独自の通信を送るとなると、予め新しい溝を作っておかねばならぬわけだ。

○私がこの部屋に入る時は、壁を突き抜けて入る。私の波長からすると、壁は物質と感じないからだ。だが、私が霊媒のオーラの中に入ると、固い壁の中に入った感じとなる。それはオーラに私の波長を合わせるからだ。今の私には、霊媒のオーラは牢獄であり、霊媒の肉体の五感によって制約を受けている。
 私は波長を落とさねばならないし、霊媒の波長は上げねばならない。この操作を習得するのに、私は十五年を要した。
 霊媒のオーラの中にいる時は、暗闇の中で物を見ることが出来ない、それは霊媒の肉体の制約を受けているからだ。私は、霊媒が子供の時代に学ぶべきことは何でも学んでおかねばならなかった。唯、霊媒の足を使うことはないのだから、足の勉強の必要はなかった。唯、霊媒の脳と手の使い方を知ろうと勉強した。

○私が霊媒に憑りながら、同時に他の霊からの通信を代弁する場合、霊媒の耳で聞いているのでなく、私の耳で聞いている。私にもオーラはある。これは霊媒のオーラのように鈍重なものではない。さて、私が霊媒のオーラの中に入っている時、別の霊魂が来て私のオーラに彼の思想を注入している。これは皆さんが電話をかけながら、他方では傍にいる別人と会話をしているのと同じ事だ。これは二つの異なった波長を使っているわけだ。皆さんはこれを同時にはやれないが、交互にならこれがやれる。

○物質界とは鈍重で緩慢な世界。霊界通信に当たっても、霊の方で精妙高級の波長を無理に下げていくと、途中で霊感が滅失してしまったりする。霊界を光の世界とすれば、地上は暗黒陰湿の世界である。

○皆さんは、光まばゆい太陽の本当の姿を見たことはない。皆さんが見ている太陽は、色褪せた太陽のイミテーションにすぎない。丁度月が太陽の影を反射しているように、地上の太陽も、霊界の太陽の色褪せた反映にすぎない。

○私は地上に来れば、籠に入れられた小鳥のようなもの、ここを去る時はあたかも無限の空を嬉々として飛んで行く鳥である。死とは、鳥籠の戸を開くこと、捕われの身の鳥が空へ放されることである。

○皆さんが私に通信を求める時、私は、皆さん宛の通信を私に伝えてくれる波長に、自分を任せる。すると通信が私に伝えられてくるのだ。調子がよい時は、易々と必要な通信が全て得られる。もし何か悪条件、例えば交霊会場付近に邪魔が入ったりすると、急いで通信を別の通信に切り替えなければならない。つまり別の波長での通信を始めるわけだ。

○ある霊からの個人的な通信を取り次ぐ場合、聞きながらその言葉を繰り返しつつ伝える。これは私が霊媒を通じて話すのと同じ波長で、相手の話を聞けるからだ。しかし高級な教訓を取り次ぐ時は、波長が違う。それは別の意識が使用されるからだ。この場合、私は絵や幻や符号や直感で印象を受信せねばならない。それは丁度、霊媒が私達からの通信を印象させられる方法と同じだ。この時は、私は皆さんがシルバー・バーチとして知っている波長より、更に高級な波長を発揮せねばならない。
 画家が霊感を受けると、平常とは違った波長と感応している。この状態の時、彼は一つの力の虜となっており、これあればこそ、画布に映像を写し取ることが出来るのである。だがこの霊感が一度去ると、もはやその力はなくなってしまう。私が霊的法則の真理を通信しようとする時は、高級霊と感応出来るような意識を、自分の中に発揮せねばならなくなる。これによって初めて、高級霊は私に感応し、私はその伝達係となることが出来る。

○(問)通信霊は、霊媒の身体の中に入って話をするのですか。
(答)必ずしもそうではない。大抵の場合は霊媒のオーラを通じて霊媒を動かしている。
(問)通信霊は、霊媒の発声器官を利用するのですか。
(答)時にはそうすることもある。今の私は、霊媒の発声器官を使って話をしている。又しようと思えば、自分の発声器官を臨時に作って、話すことも出来るが、これは力の無駄使いというものだ。まず私は霊媒の潜在意識を支配する。これで霊媒の肉体器官の一切が、私の思いのままとなる。この場合、霊媒の意志は横へ退いてもらう-これは本人の承認のもとでそうする-こうして暫時、私は霊媒の肉体の主人となるわけだ。通信が終わると、私は霊媒のオーラから退く、すると霊媒の意識は元に返る。
(問)霊媒の幽体も、肉体の外へ出してしまわねばらないのですか。
(答)そうすることがしばしばある。だがこの時も、幽体は常に、幽体との繋がりを保っている。

○(問)交霊会を開く前には、現象の邪魔になる霊魂を除去するように、準備をしなければならないのですか。
(答)その通り、一番よい準備とは、皆さんが心に愛をもつことだ。これがあれば、皆さんの周りには、愛に満ちたものだけが集って来る。

○(問)交霊会にあたって、霊界では何か注意をしますか。
(答)まず道を清め、霊界のサークルと地上の皆さんのサークルとの間の調和に努め、よく一切の要素を混ぜ合わせて、最良の結果を生むようにする。私達はこの目的に向かって高度な組織的な団体として働く。

○(問)霊魂と感応し易くなるには、どうしたらよろしいか。
(答)私達はあらゆる努力を払って、皆さんに近付こうとしている。だが近付けるかどうかは一に皆さんのもっている雰囲気いかん、皆さんの魂の進歩成長いかんにかかっている。霊的なことに何の関心もない人には、私共としては、どうにも近付く手がかりがない。魂が生き生きとして、知覚と理解に溢れていれば、必ず私達はこれに近付いて交わりを深め、自他一体となることが出来る。
 私達が近付ける人物とは、必ずしも神霊主義者と限ったわけではない。霊的事物に知識と理解がある限り、神霊主義者であるかどうかは問うところでない。どうか感受性に富み、心にゆとりのある人物となってもらいたい。
 こういう人に私共はどんどん近付いて行くのである。心に恐れや悩みや悲しみを抱いてはいけない。こういう人には、私達の方で近付こうとしても、何とも出来ない壁が出来てしまうのである。

○(問)私達が親しい死者に念を送れば、先方に届きますか。
(答)これは両者の魂の進歩の程度いかんで違ってくるから、簡単には答えられない。つまり、死者の魂の程度が地上の本人と同程度なら、その念は届く。だが、両者の魂の程度が相当違っていれば、その念は届かない。

○(問)私達が死者についてあまり考えすぎると、死者の進歩の妨げとなりますか。
(答)地上の皆さんには、霊界の私達の進歩を妨げるような力はない。私達霊魂の進歩は、ひとえに自らの行為いかんによって定まるのであって、皆さんによってではない。

○(問)どうしたら霊能者となれますか。
(答)神に仕えようと志す者は、誰でも神の霊媒である。どうしたら魂が進歩するのか、もう一度説けと言われるか。何度も話した通りだ。自分のように人を愛しなさい。奉仕をしなさい。進歩向上を心掛けなさい。内在の霊性を発揮させることなら何でもやりなさい。これこそ最高の霊能発揮というべきである。どうしたら霊視者となるか、そんなことはどうでもよい。唯どうしたら魂の目を開くことが出来るか、神の光が貴方に届くか、これだけをお伝えしておこう。霊媒への道も又これと同じである。

○(問)世俗を離れ、孤独の中で瞑想する神秘主義によって、善いものが得られると、貴方も信じておられますか。
(答)それは「善いもの」の内容いかんによる。勿論、俗塵を離れれば、霊力を開発するには具合はよろしいだろう。善いものとはこの点までだ。だが私からすれば、世俗を離れるより、むしろ世俗の中にありつつ、刻苦奮励して、内在の珠を磨き、この天賦の力をもって世の為人の為に奉仕することの方が、遙かに立派なことである。

○私達霊界人は、一人で事を行うということはない。協力が法則であるからだ。私達はその仕事に必要な全ての個性の人々を集めて、これをうって一丸として、出来るだけ完璧な一団を形成する。
 そしてその中の一人が全体の伝達係となる。私はそういう伝達係なのだ。仕事の成果とは、集団の団結の成果である。仕事が上手くいくというのは、個々人が全体によく溶け込んでいるということである。
 指導者が賢明なら、各成員にそれぞれ最も適した仕事を割り当てる。これでこそ最高の結果が得られるというものだ。これはあたかもオーケストラのようなもので、各人それぞれの楽器を奏しながら、全体が一つの調和のもとに演奏すればこそ、完璧な結び付きといえる。仮にその中の最小の一人でもが音を誤れば、他が全て秀れた奏者であっても、不調和を生み出す。協力は法則である。

○(問)心霊現象の場合、列席者の心霊力が利用されますか。室内の器物も利用されるのですか。
(答)その通り。敷物・カーテン・書物・家具、何でも利用する。私達霊魂には肉体がないから、他の物質を使わねばならない。そこで、現にそこにある物質から、ある程度物質の原料を獲得することになる。私達は物質を破壊しないように、色々な物から小量ずつ獲得する。もし大量に取ると、皆さんの目の前で家具はバラバラに壊れてしまう。

○(問)物質化現象をやる実験室のカーテンの傷みが早いことがあるが、それはそういうわけですか。
(答)その通り。だが私達は慎重にやっている。物質化に必要な色を、物体から取り出すこともあるが、皆さんが私達の仕事をよく知るようになれば、そこには一分の無駄もないことが分かってもらえよう。だが何といっても、最大の力は皆さん各人の内部から出る力である。これこそ最大の原料である。
 霊媒は交霊の力だけでなく、自己の霊魂のもつ力をも発揮せねばならない。霊媒の霊魂の力が高ければ、エクトプラズムの性質も高まるということを知ってもらいたい。私達は石ころや棒切れを取り扱っているのではない。霊媒内部の生命のエッセンス、これを取り扱っているのだ。だから、霊媒のもっている思想や人格や心理は、エクトプラズムの中にこもる。

○交霊会で、現象の生起を求めて待っている時間、それは決して無駄ではない。皆さんと私達との結び付きは強められ、皆さんの魂の力がどんどん集められている。

○皆さんの魂が目を開き、波長が段々高級になるにつれ、皆さんは更に高い偉大な霊力に結び付いていくことになる。その霊力は目に見えず耳に聞こえなくとも、霊的な永遠の実在である。皆さんは日ごと影を追い幻を求め、その場限りのものに目を奪われて暮らしている。だが沈黙の中で、調和や愛の中で、皆さんの魂は絶えず進歩していくのである。その進歩は遅くても、狂いはなく確実である。

○皆さんの内在の神は開顕し、もっともっと神性を発揮出来るようになる。それは、今皆さんがここに一箇所に集まり、心が一つに解け合っているからだ。かつてイエスも言ったように、人が二人でも三人でも、心を一つに集まれば、必ず神がそこに在って祝福を送り給うと。私達も同じ事を教えるのだが、人はこれを聞いてくれない。

○心理は不変である。人の心は変るが、真理は変るものではない。それは真理が知識に基づき、知識は神から来るものであるから。神こそはあらゆる霊感の源泉、中心である。このことは甚だ易しいこと、簡単な道理だが、地上の者は、これを難解なものにしてしまった。

○皆さんは神に心を一つに向けながら、ここへ来て座っている。そのことは一瞬たりとも無駄になってはいない。愛と調和の気持をもってここに集まれば、そこには必ず力が生じ、その力によってこの世界からあの世界へと、橋が架けられる。この橋を通り、霊界から多数の霊が地上へやって来る。そして地上に、新しい光と新しい力と希望とを、もたらそうとするのである。どうかこの事実を忘れないように。
 我々がこうやって談笑している間にも、実はその背後には、大きな目的が存在しているのである。その目的とは、この地上に、皆さん一人一人を通じて、神法をいよいよ発揮させようということである。その目的に向かい、皆さんはいずれも身を捧げて来た。この共通の目的をいよいよ強く、神を更に強く受け入れようとするにつれ、皆さんは神の力を、地上へ更に更に多くもたらすことになるのである。

○(問)交霊会でニコニコしていることは良い結果を生みますか。
(答)皆さんの魂に喜びが満ちていれば、それだけ皆さんは神に近付いていることになる。人は神。地上で、この貴方を犯すものは何もない。このことを思い出しなさい。私が永年かかって、皆さんに教えたいと思ったのはこのことである。もし皆さんが物質に心を煩わしているなら、皆さんは、この教えを学ばなかった者というべきである。
 とは言っても、私は決して物質を無視せよと言っているのではない。人は物質の世界にあって自己を発揮し、又しかるが故に、人はこの物質世界に責任を負う者であるから。しかし、決して、人が神であり、神が人であることを忘れてはいけない。神のものである力、即ち貴方の中にある力、この力あればこそ、貴方はいかなる物質にも勝って、それらに犯されるものではない。
 これがまさしく、一切の悪を退け、病気を克服して、あらゆる障害と闘うことの出来る力である。しかしこの力を用いる者の数は極めて少ない。昔イエスもそのことをこう教えている、「天国は汝等の内に在り」と。

○(問)お話によると、人は自分の器に応じて、霊的な知識を受け入れるということですが、とすると、未完成な人が霊媒を通じて霊魂不滅の証拠を求めることは、賢明な事と言えますか。
(答)証拠はいくら集めても、魂の進歩とはならない。人の受容能力とは、どれだけその人が霊的世界へ入り込んでいるか、どれだけ霊的世界の真理を理解するだけの魂の進歩をもたらしているか、そういうことである。このことを証拠の収集と混同してはいけない。この両者の間には、何の関係もない。世の中には、死後生存の証拠をもっていながら、しかも魂は一向に、霊的なものに触れていない人々がある。