○地上世界では、大きな意識の中で起こった体験を、小さな意識の中に記憶しておくことは大変困難である。人は死によって、初めて生きることを始めるのである。

○人は睡眠中に霊魂界へ行く。これは未来の生活に霊魂を慣らしておこうとの、神の定められた摂理である。こうしておけば、いよいよ死が来てもショックを受けることなく、霊魂が他界へ行ってから、隠れていた記憶が蘇りつつ、新しい環境に次第に慣れていくのである。これはあたかも、人が幼時に心を馳せれば、自ずからその記憶が蘇ってくるのに等しい。
 人は魂の進歩の度合いに応じて、行くことの出来る段階が違ってくる。睡眠中の人は全て霊魂のままで動き回るが、行動範囲に限界のある人もある。中には、睡眠中に霊界の暗黒界へ行く人もある。これは本人の魂の程度が釣り合っているからそこへ行くこともあるし、又自ら進んで、奉仕に役立つ為に出かける場合もある。
 他界の霊魂の中には、地上人の幽体が傍に来ることによって、助けられる者が沢山いる。バイブルにも、イエスがいわゆる地獄へ降って行くくだりがある。イエスは睡眠中に行ったわけではないが、原理は同じである。
 睡眠中の経験を記憶しておくように訓練することは可能だ。しかしこれは意識を訓練して、脳細胞に記録させるようにするわけだから、集中的な努力が必要である。これは人により難易の差がある。つまり肉体と幽体との連絡が緊密であるかどうかが問題であって、容易に記憶出来る人は、立派な心理的霊媒の素質があるといえる。

○(問)夢とは何ですか。夢には、一向に霊魂旅行の記憶とは受け取れないものがありますが。
(答)夢には色々ある。その一つは肉体的な現象であって、脳が眠って暫時、静かになると一種の反射運動を起こす、これが夢である。又夢には食べた食物によって起こるものもある。しかしこの外に霊魂界での経験が夢となるものもある。唯これは断片的にしか、人の記憶には残らない。夢はしばしば歪められてしまうことが多いが、
その理由は、人が霊魂界に来ると、地上的制約から解放されるが、さてこの霊的経験を記憶に残そうとすると、地上的制約にかかって歪められてしまうのである。

○(問)睡眠中に私達の霊魂は肉体から離れ、肉体は空き家同然になってしまうが、この場合、邪悪霊等に憑依されないように、何か手立てが立てられていますか。こういう悪い憑依を防ぐ役を務める守護の霊魂があるのですか。
(答)自然の法は、こういう憑依を防ぐようにちゃんと出来ている。即ちその法とは、人は憑依される条件がない限り、決して未発達霊に憑依されることはありえない、これである。霊魂は肉体の中にあるのではない、霊魂は肉体と同じ波長をもつものではないから。本当の貴方は肉体の内部に在るのではない。心臓と肺臓の間に鎮座している、貴方とはそんなものではない。貴方とは、肉体という機械を使いながら、自己を表現している意識、これが貴方である。
 睡眠中にどんな変化が起こっているかというと、貴方である意識は、肉体を通じて活動することを止めて、幽体を通じて自己を表現している。つまり霊魂界で活動しているわけだ。だから他の者が入り込んでくる余地はどこにもない。これは、貴方が肉体の扉を開いたから、他の霊魂が肉体に入り込んで、扉を閉めるという風に考えてはいけない。これとは全然違う。意識は依然として肉体を監督しながら、霊魂界で活動しているのであって、もう一度肉体と結び付く必要が起こったら、瞬間に、肉体に戻って来るのである。

○(問)では、ある人が憑依される場合、憑依した霊魂は、憑依された人の霊魂の許可を受けているということですか。
(答)いや、そうではない。だが、憑依された人物は、憑依されるだけの条件を自分で作り出しているのであって、憑依とは全く本人の問題だ。例えば、もし人が愛や奉仕の強い希望をもてば、これを助けてくれる高級な霊魂を引き寄せる。憑依にもこれと全く同じ法則が働いているのである。この法は善いことの為にだけ働くのでなく、反対の悪いことの場合にも同じように働く。最高の奉仕に際して働く法は全て、又悪用されることも出来る。つまり人は上がり得る高さの程、又低く墜ちることも出来るものであるから。人は墜ち得る低さの限り、又高所へと上ることも出来る。その法は同じだ。人がどちらを選ぶか、道はそこにかかっている。

○(問)予言的な夢、つまり霊夢というのは、霊界から伝えられるものですか。
(答)そういうことがしばしばある。愛する霊魂が何か警告しようとして、そうすることがしばしばある。又別の場合には、睡眠によって地上の束縛から自由になった幽体が、自分で経験してくるという場合もある。この場合は、幽体は未来のあるものを瞥見(べっけん)し、前途に見た警告を、夢の形で持ち帰るということである。