(訳者注)この章でバーチは戦争の発生を予告しているが、これらの通信は、いずれも第二次世界大戦前に伝えられたものである。

○私達は嫌だ、この霊界がもう一度、傷ついた魂達の病院となることは。皆さんは早く準備体制を整えて、私共の教えを、地上世界に普及してくれなければいけない。その必要が、私達地上で働く霊界人の目にはよく見える。このことは、私共が皆さんに代わってするわけにはいかない。私達は唯、皆さんが道を間違えたらどうなるか、その結果を傍観するだけ、又その結果、霊魂界に何が起こるか、これを皆さんに示すことが出来るだけ。

○私達には、破壊と殺戮と、その結果が目に見える。まだこちらへ来る準備の出来ていない魂達が霊魂界に入って来るのが目に見える。彼等は熟する前に、生命の木から、無理にもぎ取られた青い果実だ。地上に生きていかねばならない生命を、無理にぶち壊したのは地上の者なのに、なぜ私達霊界人が、その傷ついた魂の面倒を見なければならないのだ。なぜ私達が自分の進歩を放擲(ほうてき)してまで、地上人が怠った義務の尻拭いを、こちらへ流れ込む魂の世話の負担を、引き受けねばならないのか。

○戦争を合法化することは、地上世界の為にも正しいことではない。物質の面から見ても、戦争は破壊を生むだけである。地上の戦争は霊界にとっても正しいものではない。それは法の働きを阻害するものであるから。戦争は肉体から魂を切り離す。それは、神法への抵触だ。このことを人類があえてするとは。

○皆さんは正しいものの為に立ち上がらねばならない。盲した者達が、霊の事業を阻害するに任せておいてはならない。皆さんは御存知ないが、今進歩と平和と調和を目指す事業を隠そうとする、組織的な努力が進行している。人と人とを差別する、そんな考えを地上は一日も早く捨てねばならない。全てが神の同じ子供である。このことを早く学び取ってもらいたい。垣根を作るのは神ではない、人類自らである。神は人間一人一人にその分身を与え給うた。その故に、人は皆同じ神の部分である。

○今地上は、建設の為に沢山の事が為されねばならない。この危機になお、地上の賢いと言われる人達までが、破壊のみを心掛けるということは、なぜなのか。神は万事、秩序をもって進行するようにと、自然の法を定め給うた。人間たる者、この法を犯そうとしてはならない。もし人がこの法からはみ出して生きるなら、その結果は破壊と混乱があるだけである。皆さんは、その事実を過去の歴史に見出さないか。

○私は皆さん一人一人に申し上げる。どうか地上に神の計画を実現させようとする者と共に、貴方の全力を、貴方の全ての仕事を、捧げて頂きたい。
 神が流血を好まれようか。神が戦争を悲惨を災禍を失業を飢えを茅屋を望み給うか。神が子等の手に授け給うた賜物が、手に入らないということを欲し給うだろうか。幼い子供達が、その両親を失って路頭に迷うということを、喜び給うだろうか。

○もし、皆さんが私達の教えようとしているものを、真底認めて下さるなら-私共は皆さんと同じく、神に仕えることを求めているだけなのだから-皆さんはこの仕事に助力して下さるだろう。誰だって、他人の生命を奪い取る行為は、神法に対する違反である。

○殺意が燃え上がると、理性は去る。人の内部には神性があるだけでなく、動物性の残滓(ざんし)も残っている。人がこの動物性を制して神性を発揮するところに、人間の進歩があり成長がある。もしこの動物性を頂点にまで燃え上がらせれば、戦争や闘争や殺戮となる。反対に、神性を発揮させ互いに奉仕し合うことを求めれば、平和と調和と豊饒が生まれる。
 皆さんはこの世界を、国によって民族によって、区別してはならない。人全て神の分身であることを、世に知らせるようにせねばならない。人は皆神の子である。海を隔てた遠い国の人々も、親である神の目よりすれば、兄弟である。私達の教えは簡単だが、真理である。これは神法に立脚して出来ている。もし人がこの法を無視して世を作ろうとすれば、必ずや混沌と無秩序が生まれる。諸君は何もかも失ってしまうことになる。

○今後、人類はよほど努力と犠牲を払わなければ、多くの戦争が起こることになろう。種を蒔けば、必ずその結果を刈り取らねばならない。人は因果の理法を欺くことは出来ないから。流血の種子を蒔いておきながら、平和の実を刈り取ろうとしても駄目だ。物力を望んでおきながら、その悪い結果から逃れようと思っても、無駄だ。愛を蒔け、愛は返って来る。平和を蒔け、平和が立ち上がる。至る所に奉仕の種子を蒔け、世界は奉仕で満ち溢れてしまう。これが素朴な神の真理である。それがあまりに単純なので、地上のいわゆる賢人達はかえって迷ってしまうのである。

○(問)大戦(第一次)の戦死者達の死によって、何かよいものが生まれましたか。
(答)何もない。地上は今日、更に混沌に近付いている。第一次大戦開始前の時より、更に破壊が満ちている。
(問)どんなに多くの勇気と武勇も、無駄骨ということですか。それでは何か霊魂の方からの反発があるのではないですか。
(答)戦死者の側からすれば、ある彼等は善意に基づき戦争に参加した。しかし世の中は彼等を欺いた。死は無意義なものとなった。世界は依然として唯物主義を捨てないでいるのだから。

○(問)休戦記念日の奉仕事業が年々、行なわれていくとすれば、何か効果がありますか。
(答)それは、戦死者のことを忘れてしまうより、暫時でも思い出すことの方がよろしい。だが、世界は軍事力を誇示したり、鉄砲火器、兵隊、あらゆる軍備を備えながら、片手で休戦記念の仕事をしたって、何もよい結果は生まれない。その休戦記念を、霊的奉仕の性格に変えることは出来ないのか。
(問)貴方は、休戦日に神霊主義者の記念奉仕を継続するのに、賛成なのですか。
(答)真理はどこで述べられようと、よいことだ、行なわれる演説が奉仕をそそるものなら。無意味な演説はしないに等しい。又演説をするだけでは十分とは言えない、それは聴衆に、平和は良いものだという自己満足を与えるだけだから。私は活動を望む。実際の奉仕を期待する。
 弱った人を力付け、病者を癒し、苦しむ人に慰めを与え、家なき者にはねぐらを、地上の汚点である一切の悪弊を除去することを。このような奉仕活動を通じてのみ、初めて平和は来るのである。
 全ての人に奉仕の観念が浸透し、全ての人が奉仕を実行するまでは、決して平和は実現されない。ここ十九年間、休戦記念日がもたれてきた。そうして現在では、休戦記念日とは、単に進展する戦備拡大の時流の中で、一小行事にすぎなくなっているではないか。

○(問)貴方は平和主義者の運動を支持されているのですか。
(答)私は特定の主義団体に属するものではない。私には特定の旗印はない。私は奉仕に、動機に目を向けるものである。肩書や標識に迷わされるな。目的が何であるか、その望むものが何であるかに注目せよ。反対派の中にも、誠実で善意の人がいるものであるから。私達の教えは単純だ。しかしこれを実行に移すには勇気が必要である。ここに新しい出発が始まる時、ここに霊的真理と知識に基づいた決意がなされる時、ここに奉仕と利他とが日常生活に実践される時、そこに平和が生まれる、そこに世界の調和が実現される。
 平和は特定の主義団体の手で作られるものではない。それは神の子等の手によって、即ち上記の道理を理解し、これを日常生活に政治に会社工場に外交に適用する人達の手によって実現されるのである。

○(問)ヨーロッパ列強が膨大な軍備を整えている現実に対し、英国が軍備をもたないのは愚かではないでしょうか。
(答)既に何度も話した通り、皆さんは国家とか民族とかの次元でものを考える。私達は神と神の子等の見地からものを見る。破壊の機会を作りながら、平和を見出すことはあり得ないとお答えしておこう。平和とは、そこに平和への悲願があり、人類全てが愛と奉仕の法に従って生きる時、初めて生まれるものだ。私は一国一民族についてだけものを考えるということをしない。私は人類全体を神の子として、一体のものとしてものを考える。人は全て神の子である。人類が神法を地上世界に実現するまでは、いつまでも戦争はある。破壊も疾病も恐慌も混乱も破産も、繰り返し発生する。

○(問)霊界では制裁を認めますか。
(答)生命は神のものであって人間のものではない。人間が人間の生命を縮めるようなことをしてはいけない。制裁は神法に反する。これを行なえば、その報いは必ず来る。
(問)しかしこの場合、その動機は善といえます。つまり戦争を阻止しようとして制裁を加えるのですから。
(答)人がもし力の種子を蒔けば、その種子からは、ただ更に大きな力が生まれるだけだ。かつて地上の師達もこう教えたではないか、戦争をなくすことは一つの戦争であると。

○世界の全ての問題は、霊的法則の適用によって、初めて解決される。このことを地上世界は分かってくれるだろうか。利己主義は、流血と涙と戦争を生むだけでない、世界の混乱と不幸と破壊を生むものである。
 人類はここで目を開いてもらいたい。利己主義に代えるに奉仕をもってする時、初めて平和が訪れる。古来の唯物主義と権力主義と侵略主義は掃討されねばならない。これに代えて奉仕の生活、強者は弱者を助け、富者は貧者に与える、この新しい生活が地上を覆わねばならない。

○人類はこれまであらゆることを試みてきた。そしてその全ては虚しいものであった。だがまだ一つだけ試みられないものが残っている。霊的真理の適用、これである。もし人類がその試みに入らなければ、戦争と流血は依然として続くであろうし、又その結果は、必ずや誇大虚飾を極めた地上文明の破滅に至るであろう。