○(問)一人の人間の意識が、別々に分かれて働くことが出来ますか。
(答)貴方は一つの意識体である。だが実を言うと、貴方は一つの意識のほんの一小部分を地上で表現しているだけであって、その意識の別の部分は他の世界に在って、それぞれ意識体として活躍しているのである。
(問)それらは独立した存在ですか。
(答)いや、そうではない。貴方も他の世界の意識体も、みんな一つの内的霊的実体のそれぞれの反映なのである。
 つまり、これらは一なる全体の部分、唯その活動の媒体はそれぞれ別個だが、それも時には合流することもある。彼等は潜在的にはお互いに気付いている。但し自己表現を始める当初は気付いていないが、時を経て、お互いに共通の場を発見すると、再び全体の中に一体となるのである。

○(問)これら分身の内の二つが会っても、お互いが分からないということがありますか。
(答)今ここに、一つの輪をなしている大きな意識を想像されよ。そうしてこの輪には部分があり、この各部分は中心を巡って回転しているとしよう。時たまこの部分は互いに会う、会うと彼等は同じ一体感を抱く。さて、遂にこの回転が終結すると、各部分はそれぞれ適切な場を占め、ここに輪は結合され完全となるのである。
(問)同じ霊の二つの部分が、互いに通信し合うことは可能ですか。
(答)必要があれば出来る。

○(問)同じ霊の二つの部分が、同時に地上に誕生することがありますか。
(答)そんなことはない。なぜかというと、これは全体の目的に反するからである。各部分の目的は、それぞれあらゆる世界に分かれて経験を積むことであり、彼等が同じ所へ帰って来るのは、ただ戻ることによって何か得るものがある時だけである。

○(問)一つの霊の各分身は、自分の進歩は自分で行なわねばならないのであって、他の分身の学びとったもので自分が進歩することは出来ない。このように考えてよろしいか。
(答)その通りである。彼等は全て一つの魂の分身であって、別々の媒体をとって自己発揮をしているのである。貴方もいつかは、自己自身のより大きな部分を自覚するようになるのである。
(問)それでは、これら全ての分身が進歩してある点に到達すると、一体となるような点があるのですか。
(答)ある。遙かな無限の彼方において。

○(問)各分身は唯一度だけ地上に誕生する。唯、大本である魂の見地からすれば、再生ということは言えても、個々の分身の場合は再生はありえない、こう考えてよろしいか。
(答)これは使命いかんによる。ある特殊の使命がある場合に限り、一つの分身が一度ならず地上に誕生する。

○(問)同じ一つの意識体の中の沢山の分身とは、どのように考えたらよいのですか。
(答)これは、真実の生命を御存知ない皆さんにお答えしても、分かって頂けまい。皆さんの生命とは、最低の媒体であって、部分的に生命が自己発揮をしてきたもの。真の生命とは、皆さんの想像を絶した意識をもって、熾烈な生を生きているもの。とてもこの実態を理解して頂くことは不可能である。
 神秘家の最高の経験、画家の深遠な霊感、詩人の歓喜の恍惚、これらのいずれをもってしても、なお私達の霊界でいう生命の実体に比べれば、儚い一片の影にすぎない。鈍重に振動する物質界、その制約に縛られた人間の意識、人はかの生命の実体をとても理解することは出来ない。従って、どうして皆さんに私は、意識とは何であるかとか、それがどんなに作動しているかを、説明してあげることが出来ようか。
 この難しさが分かって頂けるか。地上にこれを比すべき譬えがあれば、説明も出来るのだが。地上にあるものといえば、光と闇、陽光と影、せいぜいそんな対比しかない。皆さんはかの虹の色彩と、とてもそんなものの想像を絶した色彩と、この対比はとても分かって頂けまい。

○(問)彼等分身は、一つの人格の、分割された小面なのですか。
(答)いや、そうではない。それは一つの個性のもつ別の面ではない。皆さんがこの質問を出すのは、あたかも生来の盲人に、陽が輝けば空の色がどうなるかを説明しようとするのに似ている。説明しようにも、対比すべきよりどころが地上にはないのである。

○(問)貴方の説明の分裂意識とは、かのF・W・H・マイヤースが述べた類魂説と同じものですか。
(答)同じものを言っている。但し、マイヤースは色々な魂が集って、一つの群をつくると考えているが、私の言うのは、一つの全体を完成する為に帰りつつある意識の色々な部分の合同を言うのである。
(問)すると、意識の各部分は再び結合する時、各自はその個性を失ってしまうということになりそうですが。
(答)川の流れが大海に注ぎ入ると、流れは消滅するだろうか。それとも、大海は沢山の川であるだろうか。バイオリンの音は、交響楽の一大ハーモニーの中で、その音が消滅するだろうか。

○(問)なぜ、霊界から地上へ、再生の証拠を与えてくれないのですか。
(答)交霊を通じても握ることの出来ない再生の証拠、それを一体何と言うべきか。皆さんの意識が進めば、初めてそれが分かる。再生は法であるということが自明となる時、初めてその証拠を皆さんは握る。即ち、霊界にも、再生はないと言う多数の霊魂がいる。彼等がこれを否定するのは、彼等が再生の事実を知る段階にまで、まだ到達していないからである。神秘家が自分の神秘感を、世俗の人々に説明出来ようか。芸術家がその感覚をもたない俗人達に、霊感の内容を分からせることが出来るか。これは不可能。彼等はそれぞれ違った精神界に住んでいるのである。

○(問)魂は自分が再生する時を知っていますか。
(答)魂は知っているのだが、顕在意識で知ることは不可能だ。内在の神である魂は、永遠に、漸次、歩一歩と自己を顕現していくのであって、どの段階においても、なお未表現の広大な部分があるものだ。
(問)では、再生は無意識の内に行なわれるのですか。
(答)それはその魂の進歩の段階いかんによる。魂の中には、自分が以前に地上生活をもったことを知っている多数の者もあれば、これを知らない者もある。いや、その魂の潜在意識は知っているのだが、顕在意識が知らないのかもしれない。ここまでくると話は甚だ神秘的となる。私としても、こういう霊的問題を上手く説明出来る言葉がなくて、甚だ困却を感じる。

○(問)生命とは絶えず変化し進歩し続けるものであり、又再生も事実であるとすれば、我々は死後、愛する者達に確実に会うことが出来ますか。又、約束通りに一緒に楽しい生活を送ることが出来ますか。
(答)愛は自らを知る。愛とは宇宙で最大の力であるから。愛は常にその愛する者をひきつけ、その愛する者と会う。何となれば、これら愛する者の結びを、何ものといえども、阻止することは不可能だから。
(問)しかし再生がある限り、絶えず別離がある。とすれば、永遠の祝福の観念と、どう結び付けたらよろしいですか。
(答)皆さんの言う永遠の祝福の観念は、私の言う永遠の祝福とは違う。宇宙も法も神の創り給える通りのもの、人間が気ままに創り出すものではない。賢者は新しい事実に直面すれば、自らの心を変える。賢者は自分の思いを満足させる為に、事実を変えることは出来ないことを知っているから。

○(問)私達がこの人生以前に、無数の生を経て今日に至ったことが事実なら、どうして私達はもっと進歩し、もっと立派な人間になっていないのですか。
(答)この世に在り、しかも聖者であること、この世に在り、しかも最も賤しい者であること、そのどちらでも皆さんは可能である。この地上に在るか否かそれは何の関係もない。魂の進歩いかん、これが問題の決め手である。

○(問)私達の未来の生を見渡す時、過去と同じように、苦しみや闘いが無限にあるのですか。
(答)そうだ、無限にある。苦痛のるつぼを通じて、貴方の中の神は自己を顕現する。苦しみが神を試みる。苦しみが内在の神性を浄化し強化し鍛えていく。あたかも黄金は鉱石を砕き、精錬して生まれるように。この過程を経ないで、一片の黄金もつくられることはない。
(問)もしそうなら、死後の天国という観念はどうなるのですか。
(答)今皆さんが考えている天国は、明日は天国と考えられなくなる。幸福とは努力、絶えざる努力、現在を超えて更に高みを目指す努力の中にある。

○(問)魂が再生するなら、前生と同じ国に再生するのですか。印度人は印度に、英国人は英国に。
(答)必ずしもそうでない。新しい進歩に適した国や民族を選ぶことになる。
(問)男女の性についても同じですか。
(答)その通り、必ずしも前生と同じ性に生まれるとは限らない。

○(問)私達は霊界に入り、進歩の為には、過去の罪を償わねばならないが、同様に、前生の罪の故に、再生後罰せられるということがありますか。神は、一つの罪の故に二度罰し給うだろうか。
(答)これは必ずしも処罰の問題ではなく、進歩の問題、これから学ぶべき教訓の問題、又一連の魂の学習と進歩という鎖の中で、忘れ去られるべき一個の環の問題である。再生即処罰、というふうに必ずしも解釈してはいけない。
 再生とは、まだ埋められねばならない谷があるという意味の場合が多い。その谷とは鍛練を要するもの、過去に学び取らなかった教訓という性質のもので、必ずしも罰を意味しない。人は二度罰せられることはない。人が神法を理解するに至れば、その完璧さに驚嘆するであろう。神法は、一方に偏した不公正なものでは断じてないから。神は完全であるが故に、神法も又完璧である。

○(問)他界の霊魂の中で、地上に一度ならず再生したことを確実に知っている者を御存知ですか。
(答)知っている。魂はそれを知ることが必要な段階にまで進歩すると、その再生の事実を知るのである。目が光に耐えられるようにならねば、光を見ることは出来ない。私は一々その霊魂の名前をあげることをしない。名前をあげても何の証拠にもならないから。