霊能の抑制

○貴方に霊能力があるなら、それを使いなさい。神の授け給うた力は、神の子等の為に使わねばならぬ。もしこれを善用しなければ、その霊能が逆に貴方に災いする。それは神のものを圧し殺すことになるから、その反応が貴方に来るのである。霊能を瓶の中に閉じ込めておくことは出来ない。それは勝手に芽を吹き出してしまう。

○地上の欠陥を、私達霊界人が取り去っても、それは無用のこと。地上の新世界は、皆さん自身の手で建設しなければならぬ。その為には、霊的に敏感な者は、世の悲しみを解決する為に霊能者としての責任を果たさねばならない。即ち貴方が霊能者であるゆえんである。

○皆さんは光と影の世界に住んでいる。これは霊界とは違った世界だ。人は影の中にあれば光を忘れ、光の中にあれば影を忘れる。雪が降れば寒いと言い、陽が照れば暑いと言う。陽が照れば雪降れと願い、雪降れば陽を望む。目を地に落とすな、常に太陽に向けよ。
 霊媒も、地上の甘いも辛いも味わい尽くして後、初めて偉大な霊媒となる。

 奉仕の法

○神学者達の手にかかり、宗教は馬鹿でかい神秘の固まりとなってしまった。宗教とはいたずらに疑問と混乱の巣窟、これが彼等の製作物である。私は言う、一切の宗教の精髄一切の生活の核心、これを唯一言にして表せば、「奉仕」これである。

○自分を忘れて奉仕に努める人、それは神性を発揮している人である。
 奉仕-これこそ現在の地上世界が必要としているもの。その故に、私達は奉仕を説き、奉仕に努力する。
 あらゆる霧と闇との背後に、あらゆる懐疑と恐怖の背後に、あらゆる悲しみと争いの背後にあらゆる苦汁と痛みの背後に、永遠の目的がある。

○皆さんは決して一人ではない。一人きりで困苦と闘うようには決して創られていない。目には見えず、耳には聞こえず、手には触れないが、霊の影響がいつも貴方を取り巻いている。もし地上が、この霊魂の実在に気付いてくれれば、地上は必ずやその姿を変えていくものを。

○貴方の背後にある力は、あらゆる生命の主、神の力、宇宙至高の力である。この力は必ず顕現されるに違いない、そして貴方はこの力の地上降下に助力することが出来る。その為には、貴方は何をするかは問題でない-貴方が人を立ち上がらせるかとうか、激励の一言を与えるかどうか、霊的なこと物質的なことを問わず、そのいずれにでも奉仕するかどうか-貴方が奉仕に努めて怠らない限り、貴方はいやしくも神の通路である。

○人に奉仕することをしないで、どうやって神に仕えることが出来ようか。地上世界は用語とか名前とかレッテルとかを気にする。私は一言で、これを奉仕と言う。皆さんはこれを、政治学とか経済学とか社会学とか言う。だが、これは単に表現の相違にすぎない。どこに在っても奉仕さえすれば、これ即ち宗教である。
 奉仕は、上流社会であろうと下層社会であろうと所を選ばない、人の魂を立ち上がらせることが出来るなら、暗闇にある人に光を与え、人を無知の牢獄から解放し、飢えた人には食を、渇いた人には水を与え、そして争いの代わりに平和をもたらすことが出来るなら、これ即ち貴方は神に奉仕する者である。

 他界からの指導

○(問)本人を助けている守護霊がいるのに、本人がその存在に気付いていないということがあり得ますか。
(答)そういう人は、無数にいる。だが、本当はその守護霊の存在に気付いてくれることが望ましい。
(問)その存在を知れば、本人の力は増加しますか。
(答)その通り。その存在を知れば、両者の結び付きは一層密接となる。
 皆さんは光が得られるのに、なぜ闇の中にいるのか。水が飲めるのに、なぜ喉を渇かしたままでいるのか。

 インスピレーションについて

○(問)人間は同じ職業の霊魂からインスピレーションを受けるものですか。例えば、新聞記者は生前新聞記者であった霊魂からというふうに。
(答)その通り。人はこの世でもっていたものを、あの世に入って何一つ失うことはない。地上で才能を発揮した人物は、霊界に入っても、更にその能力を伸ばしていく。だが能力が伸びれば伸びるだけ、その才能を表現出来る媒体が欲しくなる。又それが進歩の為にもなるわけだから、そういう媒体となる人間を探し求める。さて、そういう霊魂から来る霊感を、媒体となった本人が、気付くこともあるし、全然気付かないこともあるが、ある場合には、霊魂の個性が強い為に、その霊感に霊魂の人柄が現れている場合もある。

○(問)大詩人・大画家と言われる人は、霊感によって制作すると聞いていますが、しかし、一体、これではどこに本人の独創性があると言えますか。
(答)私は生命の初源を知らず、又その終わりを知らない。神とは生命であり、生命は又神である。生命の種子は既に初源より蒔かれていた。私の知る限り宇宙に今在るものは、過去においても存在したし、又未来においても存在し続けるであろう。人間とは神の種子を宿した分身である。小にしては人間は神であり、又魂の進歩に応じて開かれる神の通路である。だから従って、宇宙に内在する一切の力を使うことの出来る生きもの、ということが出来る。
 人は創造主ではない。しかし、これに何かを加え、その形を変え、建設し、これを動かし、これを改善し、美化し、結び付ける等、その住む世界をより良くし、更にはこの世を包む大宇宙をより良くすることが出来る。人間とはそういうものである。神は人類に、手段と材料の全てを与え給うた。だから人間がこれを使えば世界を変えることすら出来る。しかし、それをもって世界を創造すること、それは不可能である。

 催眠術の功罪

○(問)催眠術の研究は良いことですか。
(答)催眠術の施術者が、善い意図をもって、その力を奉仕に役立てようというのなら、勿論結構なことである。そういう施術者は、相手の魂の潜在力に多少の刺激を与えていることになる。
(問)その潜在力とは、何をさしているのですか。
(答)内在の神、大我のことである。これについては何度も前に言った通り、人が内在の力をよく理解して使うことが出来れば、彼に不可能はないのである。では、どうしたらその力に近づけるかといえば、これに開発修業を積む事、高い波長に触れること、奉仕の生活を送ること、霊魂の向上を図ること、これである。人が唯物的になればなる程、その波長は低くなり、自己を捨てて向上を図れば図る程、その波長は高くなり、内在の神性はますます発揮されるのである。

○(問)内在の神性は本人の顕在意識とは無関係に、考えたり行為したり判断したり、活動することが出来るものですか。
(答)いや、地上生活中の神性は、いつも顕在意識の一部によって調整されながら働いている。決して催眠術によって、この神性が左右されるということはない。施術者はいわば牢番のようなもので、牢獄の戸を開いて中の囚人を解放する、唯それだけのことである。もし施術者に善意があれば、相手の内在の神性を刺激するから、偉大な奉仕をしていることになる。又施術者は反対に、内在の動物性を刺激することも出来るのである。

○(問)催眠術は交霊の一つの方法として、利用価値がありますか。
(答)そういう試みが行なわれたことがあるが、それによると、次のことが判明した。一度霊魂が霊媒を支配すると、施術者の力はもはや霊媒に及ばなくなり、そこで施術者の力はストップしてしまう。従って催眠術は交霊法そのものとしては適当でない。但し交霊会を始めるきっかけに利用するのならよいだろう。つまり、これをきっかけとして、霊魂の力が次第に霊媒に浸透するということになるから。

○(問)催眠術は霊的進歩の近道とは言えませんか。
(答)いや、霊魂の進歩に近道はない。貴方が対決しているのは魂である。人類は今日の魂の進歩の段階に達するまで、実に無限の年代を経過している。その間、地上は無数の災禍を経験してきた。実にそれは人類が霊的なものを無視してきたからである。霊的なことは慎重な熟成を要するもの、徐々に牛歩の成長を必要となる。


 トーマス・ペーンを讃えて
トーマス・ペーンは1703年、英国で生まれた。1774年フランクリンに会ったことが転機となって、独立戦争直前のアメリカに渡り、有名な「コモン・センス(常識)」を書いてアメリカの世論を統一し、独立戦争に多大の貢献をした。その後フランス革命を援助したが、ルイ十六世の処刑に反対した為、ジャコバン党に捕えられ、危うく処刑されるところを、九死に一生を得て許された。このように国境を越え民族を越えて、人間の自由解放に生涯を捧げたペーンも、晩年は不遇で、寂しくニューヨークで客死した。(訳者注)

○1937年、ペーンの生誕二百年祭に言及して、バーチは次のように語った。
 本日は、地上世界が一人の人に賛辞を捧げる日である。この人物は、自分では気付かなかったが、霊力に満ちた人物であって、その生涯を打ちひしがれた人々、圧迫された人々を救う為に力を尽くした。この人は弱い者倒れた者の為に戦い、あらゆる不正に反対し、正しい道を人に教えようと身命を捧げた。生前の彼は、軽蔑され反対され迫害を受けたが、彼の仕事は生きて残った。私は皆さんがこの事をよく噛み締めて学ぶようにお願いする。今皆さんの手がけているこの仕事も、これと同じ性質の仕事であるから。皆さんは障害を受ける、悪意と反抗に遭う。皆さんは自由への闘いの道で、同盟者であるべき人々からも承認を受けないかもしれない。しかし、皆さんの仕事は生きて残る。何となれば、その仕事には神の承認のレッテルが貼られているのだから。
 この聖業の為には、私達は善意の人なら誰とでも手を繋ぐ。私達は地上的な意味の指導者を認めない。又、階級も国籍も、民族も人種も、宗教を信じようと信じまいと、そんなことにはいささかの差別も感じない。私達はただ、人を救い人を助ける仕事に、奉仕に、努力に目を向けるだけである。
 かつて人の為情熱に身を焦がした一つの魂トーマス・ペーンは地上を去った。しかし彼は以来霊界に在って、奉仕活動を続けている。今もなお、人類進歩の為に努力する人を援助しようと、全力を奮って奉仕活動に身を挺している。
 地上世界とは奇妙な所だ。昨日の悪者が、今日は英雄となる。又今日の英雄が、明日は悪者とされることもしばしばある。今日の世代で軽蔑される者が、次の世代では称賛される者となろう。
 自分を宗教的と思っている人の見解の何と狭いことか。彼等は自分の宗教の周りに信条という厚い壁をめぐらし、この信条を認めない者は、一歩たりとも壁の内に入ることを認めない。彼等は言う、この壁の外の者は全て、神を信じぬ者共である。この信条を認める者だけが、選ばれた宗教的な人達であると。
 しかし、真に宗教的な人とは、人々を立ち上がらせようと努力する人々である。即ち、誤りがあればこれを正し、障壁を取り壊し、無知をなくし、飢える者をなくし、家なき者には家を与える、こういう人達のことを言うのだ。これこそ真の宗教人。人類への奉仕に生涯を捧げる、この外に宗教は存在しない。

 魂と霊

○(問)人間の肉体を統御しているものは何ですか。又、それは肉体のどこにあるのですか。
(答)それがどこに鎮座しているか、私は知らないし、又それを発見することも出来ない。地上の科学者に言わせると、魂は身体の一隅にあるとか、血管の中を漂っているとか、特定の臓器の中に宿っているとか言う。だが、魂が鎮座している身体の特定の場所というものはない。

○(問)魂は肉体の内部にあるのですか。
(答)魂については、内とか外とかという言葉は妥当でない。魂には内もなければ外もない。魂は全空間に充満している。魂とは意識である。魂は肉体によって限定されるものではない。それは無限を行き来し、進化の高所にまで達し得るものである。もし皆さんの魂が、幽体で遙かに旅行するとすれば、皆さんの魂はどこにあると言えるか。皆さんは現世の物差しでこれを考えようとする。だが私達霊界人には、そんな面倒なものはない。魂には限定された空間というものはない。我々の意識は心の赴くまま、地上世界のどこででも活動することが出来る。

○(問)魂(Soul)と霊(Spirit)とではどう違うのですか。
(答)名称などはどうでもよろしい。辞書は人間の作ったもの。唯私の場合は、魂とは内在の神、霊とは魂を宿しつつ自己を表現している体をさしている。但し人によっては別の名称を用いる場合もある。

○(問)媒体から離れた霊とは、どんなものですか。
(答)霊とは神の分身、向上するにつれ次々と媒体を使って自己を表現している神の分身。この自己表現と切り離した霊について、私共は何も知らない。何となれば、霊が自己表現をして初めて、我々は霊を知るのだから。

○(問)私達の意識とは、何ですか。
(答)意識とは、正邪を見分ける魂の一部。秤がどちらに傾くかを教えてくれる標準器。即ち、人間の魂の指標である。

○(問)オーラとは、何ですか。
(答)オーラは媒体が発する波長で出来ている。オーラにも色々あるが、地上で知られているオーラとは、肉体のオーラと幽体のオーラである。あらゆる物にはオーラがある、その内に意識があろうとなかろうとオーラはある。
 オーラは媒体から出る波長だが、その媒体の状態に応じて、波長は様々である。だからオーラを見て、その意味が読み取れる人は、相手の秘密を何でも知ることが出来る。例えば相手の健康状態、相手の心や気持、その魂の進歩の程度までも分かる。だから、オーラとは人の目の前に開かれた書物。そこにはその人の言行や思想が全て記録されている。オーラこそは永遠の審判官。そこには、外見からは分からないその人の真実の姿が、見る人の目の前に正確に示されている。
(問)以上の説明は、人間の幽体にも当てはまることですか。
(答)その通り。肉体のオーラは、健康とか気質や習慣など、肉体的なことに多分に関係している。それは皆それぞれに違った色彩で現れている。

○(問)幽霊現象、例えば僧院の道を僧侶が歩く、このようなことが機械的に繰り返される幽霊現象、その原因は何ですか。
(答)幽霊は霊魂が起こす。しかし今のあなたの質問のような場合は念が強く地上に印象されていて、その印象がふらふら現れるという場合である。だが、一般に皆さんの言う幽霊とは、地縛霊の仕業である。

○(問)時間とは実在ですか、それとも人為的なものですか。
(答)時間とは人為的なものではないが、多くの次元をもつものである。人為的といえば、人間の行なう時間の測定、この点であって、時間そのものは真実なもの、実在であり、空間も実在である。ただ人間は限定された中心から、時空を測定するから、それは正確とはいえない。更に人間の諸要素についての知識が増せば、その中心はもっと正確なものとなる。

○(問)地上で邪悪な生活を送り、他界に入ってからも悔い改めないということがありましょうか。
(答)それは大いにある。そういう状態のままで、何百年も、時には数百年もそうしている者が沢山いる。
(問)そういう霊魂が人間に害を及ぼすということがありますか。
(答)両者の間に引き合うものがあればそうなる。皆さんに是非知ってもらいたいことは、霊魂の憑依とは、霊魂が原因でなく、人間の側に原因があるということである。つまり人間がそういう憑依の条件を作るからである。人がもし調和と正見をもち、奉仕を心がけ、利己心や悪意や欲望をもたずに、生活を貫くなら、憑依は絶対に起こらない。

○(問)花や草木にも意識がありますか。
(答)皆さんの言う意識とは違うが、植物も、人間にはまだ分かっていない波長に反応を示す。しかし、たまたま植物の波長の秘密を発見して、この波長を使って植物と交信することの出来る人は沢山いる。


 バーチの祈り

 バーチは交霊会の初めに、必ず神へ祈念を捧げる。次は、その祈りの一つの実例である。

 神よ、どうぞ私共が、霊界の法を人々に示すことが出来ますように。どうか、神の正しい理解、神と万物、並びに人類との繋がりについて人々に正しい理解を与えることが出来ますように。
 永い時代にわたり神は誤解されてきました。非常に狭く偏って人々に解釈されてきました。従って私共は、神を完璧な法として、これを人々に示したいと思います。神はあらゆる生命現象に責任を負っておられ、存在するもの全て、神の御力と維持によって存在しているのであります。ありとあらゆるものは、神の法による造化の妙であります。最高のものから最低のもの、最強のものから劣弱のもの、花も木も風も、海も山も丘も谷も、陽光も雨も嵐も稲妻も、全てこれ天地万物は、生命である神の、その顕現にすぎません。
 全てのものは神の霊妙な想像の中に描かれています。神の霊は万物となって形を現します。万物は動き息づき、そして生命を発揮致します。神は万物の中にあり、万物は神の内にあるからであります。
 私共は、人間一人一人の内部に隠されている偉大なものを、人々に示したいと思います。誤解されたままで閉じ込められていたのですが、今や陽の目を見ようと待ち望んでいる大きな力、肉体を通じて波打ち、日常生活の中で、高い霊性を発揮しようと待ち受けているかの大きな力、それを明らかにしたいと思います。私共の願いは、人類全てが、充実した美しい生活を送るようにと、人々がこの世に生まれてきた人生の目的をしっかりわきまえた生活を送るようにと、そうして、いつでも彼等のものであるあらゆる豊饒と甘美さとを、生命の中から引き出してくれるようにと。
 私共は、神をいよいよ近く子等のもとへ、子等をいよいよ近く神のもとへ近付けたいと思っています。それは前途のあらゆる障害を征服する為に、一切の制約と限界を消滅させる為に、地上の子等が神を知り、神を奉仕の中に発揮させてくれるようにと。これが私の祈りでございます。ひたすら奉仕を求めるインディアン、貴方の僕より。