ある日の交霊会で、開会を前にして出席者の間で、〝実在主義〟についての議論が戦わされたことがあった。(訳者注-霊媒のバーバネルが入神しシルバーバーチが憑って来ると開会となるが、霊団はその前から準備しているので、シルバーバーチはその議論の様子を全部知っている)
 出現したシルバーバーチがまずこう述べた。
 「ただ今の議論と真理の本質に関するご意見をとても興味深く拝聴致しました」

-私達の意見に賛成なさいますか、それとも的外れでしょうか。

 「いえ、ちゃんと的を射ておられます。皆さんには道標となる知識の用意があるからです。ですが、皆さんも人間である以上各自に歩調というものがあります。進化とは絶え間ない成長過程です。成長は永遠に続くものであり、しかもみんなが同時に同じ段階に到達するとは限りません。各自が自分の魂の宿命を自分で成就しなければなりません。それまでに手にした光明(悟り・理解力)と、直面する困難を媒体として、その人独自の教訓を学んで行かねばなりません。それを自分でやらねばならないのです。他人からいくら知恵の援助を受けることが出来ても、魂の成長と開発と発達はあくまで当人が自分の力で成就しなければならない個人的問題なのです。
 真理は永遠不滅です。しかも無限の側面があります。なのに人間は自分が手にした一側面をもって真理の全体であると思い込みます。そこから誤りが始まります。全体などではありません。進歩するにつれて理解力が増し、他の側面を受け入れる用意が出来るのです。生命活動とは絶え間なく広がり行く永遠の開発過程のことです。真理の探求は無限に続きます。あなた方はそちらの地上において、私はこちらの世界において、真理の公道(ハイウェー)を旅する巡礼の仲間であり、他の者より少し先を歩んでいる者もいますが、究極のゴールに辿り着いた者は一人もいません。
 不完全さが減少するにつれて霊的資質が増し、当然の結果として、それまで手にすることの出来なかった高度な真理を受け入れることが出来るようになります。人類の全てが一様に従うべき一個のパターンというものはありません。神の顕現が無限であるからには神の真理に近付く道にも又無限のバリエーションがあることになります。お分かりでしょうか」

 「分かります。その道にも直接的に近付く道と迂回する道とがあるのではないでしょうか」
 
 「その通りです。直接的なものと迂回的なものとがあります。が、それはその道を歩む本人の発達程度によって決まることです。直接的な道が歩めるようになるまでは、それが直接的な道であることが読み取れません。環境は当人の魂の本性によって条件付けられています。全生命は自然法則によって規制されています。その法則の枠を超えた条件というものは望めませんし、あなた自身その枠の外に出ることも出来ません。
 かくして、いかなる体験も、これがあなたの住む地上であろうと私の住む霊界であろうと、悉く自然法則によって位置付けられていることになります。偶然にそうなっているのではありません。奇跡でもありません。あなたの進化の本質的核心の一部を構成するものです。そうでないといけないでしょう。常に原因と結果の法則によって織り成されているのです」

 「環境条件が自分の進化と無関係のものによって拵えられることがありますか」

 「それは一体どういう意味でしょうか」

 「もしかしたら私は明日誰かの行為によって災難に遭うかも知れません」

 「そうかも知れません。が、それによって苦しい思いをするか否かはあなたの進化の程度の問題です」

 「でも、その他人がそのような行為に出なかったら私は災難に遭わずに済みます」

 「あなたは永遠の霊的規範を物的尺度で測り、魂の視点からでなく肉体の視点、言い換えれば今物質を通して顕現している精神だけの視点から眺めておられます」

 「それを災難と受け取るのも進化のある一定段階までのことだと仰るのでしょうか」

 「そうです。それを災難と受け取る段階を超えて進化すれば苦しい思いをしなくなります。苦は進化と相関関係にあります。楽しみと苦しみは両極です。同じ棒の両端です。愛と憎しみも同じ力の二つの表現です。愛する力が憎しみとなり得ますし、その逆もあり得ます。同じく、苦しいと思わせる力が楽しいと思わせることも出来ます。あなたの体験の〝質〟を決定付けるのはあなたの進化の〝程度〟です。ある段階以上に進化すると憎しみを抱かなくなります。愛のみを抱くようになります。苦を感じず幸せばかりを感じるようになります。難しいことですが、しかし真実です。苦しみを何とも思わない段階まで到達すると、いかなる環境にも影響されなくなります」

 ここで別のメンバーが「同じ環境に二人の人間を置いても、一方は愛をもって反応し、他方は憎しみをもって反応します」と言うと、もう一人のメンバーが「他人の為に災難に遭うということもありませんか。例えばイエスは他人の為に災難を受けました」と言う。するとシルバーバーチが質問の意味が分からないと述べるので、改めてこう質問した。

 「あなたは先程他人の行為によって自分が災難に遭うこともありうることを認められましたが、他人の苦しみを知ることによって自分が苦しむという意味での苦しみもあるのではないでしょうか。それは無視してよいのでしょうか。そしてそれは良いことなのでしょうか」

 「少しずつ深みに入ってきましたね。でも思い切って足を踏み入れてみましょう。円熟した魂とは人生の有為転変の全てを体験し尽くした魂のことです。苦しみの淵を味わわずして魂の修練は得られません。底まで下りずして頂上へは上がれません。それ以外に霊的修練の道はないのです。あなた自ら苦しみ、あなた自ら艱難辛苦を味わい、人生の暗黒面に属することの全てに通じて初めて進化が得られるのです。進化とは低いものから高いものへの成長過程に他ならないからです。
 さて、苦しみとは一体何でしょうか。苦しみとは自分自身又は他人が受けた打撃又は邪悪なことが原因で精神又は魂が苦痛を覚えた時の状態を言います。が、もしその人が宇宙の摂理に通じ、その摂理には神の絶対的公正が宿っていることを理解していれば、少しも苦しみは覚えません。なぜなら各人が置かれる環境はその時点において関係している人々の進化の程度が生み出す結果であると得心しているからです。進化した魂は同情、思いやり、慈悲心、哀れみを覚えますが、苦痛は覚えません」

 「そうだと思います。私もそういう意味で申し上げたのですが、用語が適切ではありませんでした」

 「要するに理解が行き届かないから苦しい思いをするのです。十分な理解がいけば苦しい思いをしなくなります。又、すべきではありません」

 別のメンバー「バイブルにはイエスは我々の為に苦しみを受けたとあります」

 「バイブルには事実でないことが沢山述べられています。いかなる人間も自分以外の者の為に代わって苦しみを受けることは出来ません。自分の成長を管理するのは自分一人しかいない-他人の成長は管理出来ないというのが摂理だからです。贖罪説は神学者が時代の要請に従ってでっち上げた教説の一つです。自分が過ちを犯したら、その荷は自分で背負ってそれ相当の苦しみを味わわなくてはなりません。そうやって教訓を学ぶのです。もしも誰か他の者が背負ってあげることが出来るとしたら、過ちを犯した本人は何の教訓も学べないことになります。
 苦と楽、悲しみと喜び、平静さと怒り、嵐と晴天、こうしたものが皆魂の成長の糧となるのです。そうしたものを体験し教訓を学んで初めて成長するのです。その時初めて宇宙が無限なる愛によって支配され、その愛から生み出された摂理に間違いはないとの自覚を得ることが出来るのです。〝まず神の国と義を求めよ。さらばそれらのものも全て汝のものとならん〟(マタイ6・33)というのは真実です。その心掛けになり切れば、つまり宇宙の摂理に不動の、そして全幅の信頼を置くことが出来るようになれば、人生で挫折することはありません。なぜならばその信念が内部の霊力を湧き出させ、何事も成就させずにはおかないからです。
 その霊力を枯渇させ麻痺させる最たるものは〝心配〟の念です。全幅の信頼心-盲目的な信仰ではなく知識を土台とした完全なる信念は、人生のあらゆる体験に心配も迷いも不安もなく立ち向かわせます。神の子である以上は自分の魂にも至聖所があり、そこに憩うことを忘れない限り、自分を焼き尽くす火も吹き倒す嵐も絶対にないとの確信があるからです」

 「素晴らしいことです」

 「本当にそうなのです。本当にそうなのです。物質に包まれた人間にはその理解はとても困難です。魂そのものは知っていても、その物質による束縛がどうしても押し破れないのです。しかし、それを押し破っていくところに進化があるのです。人生問題を霊の目で眺めれば、その一つ一つに落ち着くべき場がちゃんと用意されているのです。地上的な目で眺めるから混乱と困難と誤解が生じるのです。そこで私達の出番が必要となります。すなわち霊的真理の光をお見せするのです。
 ナザレのイエスが〝神の御国は汝自身の中にある〟と述べたのは寓話ではなく事実を述べたのです。神は全生命の中心です。宇宙は神が内在するが故に存在しているのです。地上のあらゆる存在物も神が内在するからこそ存在しているのです。あなた方もミニチュアの神なのです。あなた方の心掛け次第でその内部の力が成長し、発展し、開花するのです。その成長の度合を決定付けるのはあなた方自身です。他の誰も代わってあげることは出来ません。それが地上生活の目的なのです。
 自分も神であることを自覚なさることです。そうすれば神の御国(摂理)は他ならぬ自分の魂の中にあることを悟られる筈です。それは絶対に裏切ることがありません。無限の補給源である神の摂理に調和した生き方をしている限り、何一つ不自由な思いも空腹も渇きも感じなくなります。といって必要以上のものは頂けません。魂の成長の度合に相応しいだけのものが与えられ、それより多くも、それより少なくも、それより程度の高いものも低いものも受けません。それ以外にはありようがないのです」
       
       
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