-死刑制度は正しいとお考えですか。

 「いえ、私は正しいとは思いません。これは〝二つの悪いことの酷くない方〟とは言えないからです。死刑制度は合法的殺人を許していることでしかありません。個人が人を殺せば罪になり国が人を処刑するのは正当という理屈になりますが、これは不合理です」

-反対なさる主たる理由は、生命を奪うことは許されないことだからでしょうか、それとも国が死刑執行人を雇うことになり、それは雇われた人にとって気の毒なことだからでしょうか。

 「両方とも強調したいことですが、それにもう一つ強調しておきたいのは、いつまでも死刑制度を続けているということは、その社会がまだまだ進歩した社会とは言えないということです。なぜなら、死刑では問題の解決になっていないことを悟る段階に至っていないからです。それはもう一つの殺人を犯していることに他ならないのであり、これは社会全体の責任です。それは処罰にはなっておりません。ただ単に別の世界へ突き落としただけです」

-その上困ったことに、そういう形で強引にあの世へ追いやられた霊による憑依現象が多いことです。地上の波長に近い為直ぐに戻って来て誰かに憑依しようとします。

 「それは確かに事実なのです。霊界の指導者が地上の死刑制度に反対する理由の一つにそれがあります。死刑では問題を解決したことになりません。更に、犯罪を減らす方策-これが万策と言えるかどうか疑問ですが-としても実にお粗末です。そのつもりで執行しながら、それが少しもその目的の為に役立っておりません。残虐行為に対して残虐行為を、憎しみに対して憎しみをもって対処してはなりません。常に慈悲心と寛恕と援助の精神をもって対処すべきです。それが進化した魂、進化した社会であることの証明です」

-そこまで至るのは大変です。

 「そうです、大変なのです。しかし歴史のページを紐解けば、それを成就した人の名が燦然たる輝きをもって記されております」

-憑依現象のことですが、憑依される人間はそれなりの弱点をもっているからではないかと思っています。つまり、土のない所に種を蒔いても芽は出ない筈なのです。

 「そうです。それは言えます。元々その人間に潜在的な弱点がある、つまり例によって身体と精神と霊の関係が調和を欠いているのです。邪霊を引き付ける何等かの条件があるということです。アルコールの摂り過ぎである場合もありましょう。薬物中毒である場合もありましょう。度を越した虚栄心、ないしは利己心が要因となることもあります。そうした要素が媒体となって、地上世界の欲望を今一度満たしたがっている霊を引き付けます。意識的に取り憑く霊もいますし、無意識の内に憑っている場合もあります」

 その日の交霊会の終わりに、最近一人娘を失ったばかりの母親からの手紙が読み上げられた。その手紙の主要部分だけを紹介すると-
 〝私は十九歳の一人娘を亡くしてしまいました。私も夫も諦めようにも諦め切れない気持です。私達にとってその娘が全てだったのです。私達はシルバーバーチの霊言を読みました。シルバーバーチ霊はいつでも困った人を救ってくださると仰っています。
 (肢体不自由児だった)娘は十九年間一度も歩くことなく、厳しい地上人生を送りました。その娘が霊界で無事向上しているかどうか、シルバーバーチ霊からのメッセージが頂けないものでしょうか。地上で苦しんだだけ、それだけあちらでは報われるでしょうか。私は悲しみに打ちひしがれ、途方に暮れた毎日を生きております〟

 これを聞いたシルバーバーチは次のように語った。

 「その方にこう伝えてあげてください。神は無限なる愛であり、この全宇宙における出来事に一つとして神のご存知でないものはありません。全ての苦しみは魂に影響を及ぼして自動的に報いをもたらし、そうすることによって宇宙のより高い、より深い、より奥行きのある側面についての理解を深めさせます。娘さんもその理解力を得て、地上では得られなかった美しさと豊かさを今目の前にされて、これからそれを味わって行かれることでしょう。
 又、こうも伝えてあげてください。ご両親は大きなものを失われたかも知れませんが、娘さん自身は大きなものを手にされています。お二人の嘆きも悲しみも悼みも娘さんの為ではなく実はご自身の為でしかないのです。ご本人は苦しみから解放されたのです。死が鳥籠の入口を開け、鳥を解き放ち、自由に羽ばたかせたことを理解なされば、嘆き悲しむことが少しも本人の為にならないことを知って涙を流されることもなくなるでしょう。やがて時が来ればお二人も死が有り難い解放者であることを理解され、娘さんの方もその内、死によって消えることのない愛に満ちた、輝ける存在となっていることを証明してあげることが出来るようになることでしょう」
 こう述べてから、次の言葉でその日の交霊会を結んだ。
 「地上で死を悼んでいる時、こちらの世界ではそれを祝っていると思ってください。あなた方にとっては〝お見送り〟であっても、私達にとっては〝お迎え〟なのです」

 さて次の交霊会にも同じ女性文筆家が出席した。シルバーバーチは開始早々にこう述べた。
 「今あなたを拝見して、前回の時よりオーラがずっと明るくなっているので嬉しく思います。少しずつ暗闇の中から光の中に出て来られ、それと共に全てが影に過ぎなかったという悟りに到達されました。本当は今までもずっと愛の手があなたを支え、援助し、守っていてくださったのです。同じ力が今尚働いております。
 今のあなたには微かな光を見ることが出来、それが暗闇を突き破って届いているのがお分かりになります。その光はこれから次第に力を増し、鮮明となり、度合を深めていくことでしょう。あなたは何一つご心配なさることはありません。愛に守られ、行く手にはいつも導きがあるとの知識に満腔の信頼を置いて前進なさることです。
 来る日も来る日もこの世的な雑用に追いまくられていると、背後霊の働きがいかに身近なものであるかを実感することは困難でしょう。しかし事実、常に周りに存在しているのです。あなた一人ぽっちであることは決してありません」

-そのことはよく分かっております。何とかして取り越し苦労を克服しようと思っています。

 「そうです。敵は心配の念だけです。心配と不安、これは是非とも征服すべき敵です。日々生じる用事の一つ一つにきちんと取り組むことです。するとそれを片付けていく力を授かります。
 今やあなたは正しい道にしっかりと足を据えられました。何一つ心配なさることはありません。これから進むべき道において必要な導きをちゃんと授かります。私にはあなたの前途に開け行く道が見えます。勿論時には暗い影が過ぎることがあるでしょうが、あくまでも影に過ぎません。
 私達は決して地上的な出来事に無関心でいるわけではありません。地上の仕事に携わっている以上は物的な問題を理解しないでいるわけにはまいりません。現にそう努力しております。しかし、あくまでも霊の問題を優先します。物質は霊の僕であり主人ではありません。霊という必須の要素が生活を規制し支配するようになれば、何事が生じても、きっと克服出来ます。
 少しも難しいことは申し上げておりません。極めて単純なことなのです。が、単純でありながら、大切な真理なのです。満腔の信頼、決然とした信念、冷静さ、そして自信-こうしたものは霊的知識から生まれるものであり、これさえあれば、日々の生活体験を精神的並びに霊的成長を促す手段として活用していく条件としては十分です。地上を去ってこちらへお出でになれば、散々気を揉んだ事柄が実は何でもないことばかりだったことを知ります。そして本当に為になっているのは霊性を増すことになった苦しい体験であることに気付かれることでしょう」

 最期に、同じく夫を悲劇の中に失った未亡人に対して次のように述べた。
 「あなたからご覧になれば、私がこうして教訓やメッセージをお伝え出来ることから、私にはどんなことでも伝えられるかに思われるかも知れませんが、私は私なりにどうしても伝えきれないもの、私に適性が欠けているものがあることを常に自覚しております。何しろ私達は五感では感識出来ない愛とか情とか導きとかを取り扱わねばならないのです。こうしたものは地上の計量器で計るような具合にはまいりません。それでも尚、その霊妙な力は、たとえ地上的な意味では感識出来なくても、霊的な意味ではひしひしと感識出来るものです。愛と情は霊の世界では人間の想像を遙かに超えた実在です。あなたが固いとか永続性があるとか思っておられるものよりずっとずっと実感があります。私が今ここで、あなたのご主人はあなたへの愛に満ちておられますと申し上げても、それは愛そのものをお伝えしたことにはなりません。言葉では表現出来ないものをどうしてお伝え出来ましょう。そもそも言葉というのは実在を伝えるにはあまりにお粗末です。情緒や感情や霊的なものは言語の枠を越えた存在であり、真実を伝えるにはあまりに不適切です」

 ここで未亡人が「主人が今私に何を告げたいかは私の心の中で理解していると伝えてください」と言うと、
 「次のことをよく理解してください。これは以前にも申し上げたことですが、地上を去って私達の世界へ来られた人は皆、思いも寄らなかった大きな自己意識の激発、自己開発の意識のほとばしりに当惑するものです。肉体を脱ぎ棄て、精神が牢から解放されると、そうした自己意識の為に地上での過ちを必要以上に後悔し、逆に功徳は必要以上に小さく評価しがちなものです。
 そういうわけで、霊が真の自我に目覚めると、暫くの間は正しい自己評価が出来ないものです。こうすればよかった、ああすべきだったと後悔し、折角の絶好のチャンスを無駄にしたという意識に嘖(さいな)まれるものです。実際にはその人なりに徳を積み、善行や無私の行為を施しているものなのですが、その自覚に到達するには相当の期間が必要です」