エドワーズ「細かい点は別として、私達が知りたいのは、霊界の医師は必要とあらばどこのどの治療家にも援助の手を差し延べてくれるかということです」

 「霊格が高いことを示す一番の証明は人を選り好みしないということです。私達は必要とあらばどこへでも出かけます。これが高級神霊界の鉄則なのです。あなた方も患者を断るようなことは決してなさってはいけません。あなた方は既に精神的にも霊的にも本質において永遠の価値を持った成果を挙げておられます。人間的な目で判断してはいけません。あなた方には物事の裏側を見る目がないのです。従って自分のしたことがどんな影響を及ぼしているかもお分かりになりません。
 しかし実際にはご自分で考えておられるより遙かに多くの貢献をしておられます。あなた方の貢献は地上で為しうる最大のものの一つであることに自信をもってください。一生懸命治療なさって何の反応も生じなくても、それはあなたの責任でもありませんし、あなたの協力者(バートン夫妻-例えばエドワーズ氏が患者の頭部に手を当てバートン夫妻が左右の手を握って祈念するという形での協同治療のことで、エドワーズ氏に代わって夫妻が治療するという意味ではない-訳者)の責任でもありません。全ては自然の摂理の問題です。ご承知のように奇跡というものは存在しません。全ては無限なる愛と無限なる叡智によって支配されているのです。
 あなたと、協力者のお二人に申し上げます。常に霊の光に照準を当てるように心掛けてください。この世的な問題に煩わされてはなりません。(エドワーズ氏は治療費を取らず自発的な献金で賄っていた為に慢性的な資金不足の問題を抱え、借入金の返済も滞りがちで、運営の危機に直面したことが何度かある-訳者)これまで幾つもの困難に遭遇し、これからも行く手に数々の困難が立ちはだかることでしょうが、奉仕の精神に徹している限り、克服出来ない障害はありません。全てが克服され、奉仕の道はますます広がって行くことでしょう。あなた方のお仕事は人々に苦痛の除去、軽減、解放をもたらすだけではありません。あなた方の尊い献身ぶりを見てそれを見習おうとする心を人々に植え付けています。そしてそれがあなた方を更に向上の道へと鼓舞することになります。私達はまだまだ霊的進化の頂上を極めたわけではありません。まだまだ、先は遙かです。なぜなら、霊の力は神と同じく無限の可能性を秘めているのです」

サークルの一人「患者としてはあくまで一人の治療家のお世話になるのが好ましいのでしょうか」

 「それは一般論としてはお答えしにくい問題です。なぜかと言いますと、大切なのはその患者の霊的状態と治療家の霊的状態との関連だからです。心霊治療にも色々と種類があることを忘れてはなりません。霊的な力を全く使用しないで治している人もいます。自分の身体のもつ豊富な生体エネルギーを注入することで治すのです。霊の世界は全く係わっておりません。それは決していけないことではありません。それも治療法の一つというに過ぎません。ですから、患者の取るべき態度について戒律を設けるわけにはまいりません。但し、一つだけ好ましくない態度を申せば、次から次へと治療家を変えていくことです。それでは治療家にちゃんとした治療を施すチャンスを与えていないことになるからです。私達霊界の者は何とか力になってあげたいと思って臨んでいても、そういう態度で訪れる人の周りには一種のうろたえ、感情的なうろたえの雰囲気が漂い、それが霊力の働きかけを妨ぎます。ご承知のように、霊力が一番働き易いのは受身的な穏やかな雰囲気の時です。その中で初めて魂が本来の自分になり切れるからです」

エドワーズ「一人の治療家から直接の治療を受けながら別の治療家から遠隔治療を受けるというのはどうでしょうか」

 「別に問題はありません。現にあなたはそれを証明しておられます。他の治療家に治療してもらっている人をあなたが治されたケースが幾つもあります」

バートン氏「私は祈りの念が霊界へ届けられる経路について考えさせられることがよくあります。祈り方にも色々あり、特に病気平癒の祈願が盛んに行われています。その一つとして患者へ向けて祈念する時間が長い程効果があると考えている人がいます。一体祈りは霊界でどういう経路で届いているのか知りたいのですが」

 「この問題も祈りの動機と祈る人の霊格によります。ご承知の通り宇宙は隅から隅まで法則によって支配されており、偶然とか奇跡とかは絶対に起こりません。もしもその祈りが利己心から発したものであれば、それはそのままその人の霊格を示すもので、そんな人の祈りで病気が治るものでないことは言うまでもありません。ですが、自分を忘れ、ひたすら救ってあげたいという真情から出たものであれば、それはその人の霊格が高いことを意味し、それ程の人の祈りは高級神霊界にも届きますし、自動的に治療効果を生む条件を作り出す力も具わっています。要するに祈る人の霊格によって決まることです」

バートン氏「祈りはその人そのものということでしょうか」
 「そういうことです」
バートン氏「大主教による仰々しい祈りよりも素朴な人間の祈りの方が効果があるということでしょうか」

 「地位には関係ありません。肝心なのは祈る人の霊格です。大主教が霊格の高い人であればその祈りには霊力が具わっていますが、どんなに立派な僧衣を纏っていても、筋の通らない教義に凝り固まった人間でしたら何の効果もないでしょう。もう一ついけないのは集団で行う紋切り型の祈りです。案外効果は少ないものです。要するに神は肩書や数では誤魔化されないということです。祈りの効果を決定付けるのは祈る人の霊格です。
 祈りとは本来、自分の波長を普段以上に高める為の霊的な行為です。波長を高め、人の為に役立ちたいと祈る行為はそれなりの効果を生み出します。あなたが抱える問題について神は先刻ご承知です。神は宇宙の大霊であるが故に宇宙間の出来事の全てに通じておられます。神とは大自然の摂理の背後の叡智です。従ってその摂理を誤魔化すことは出来ません。神を誤魔化すことは出来ないのです。あなた自身さえ誤魔化すことは出来ません」

バートン夫人「治療の話に戻りますが、患者が信仰心をもつことが不可欠の要素だと言う人がいますし、関係ないと言う人もいます。どうなのでしょうか」

 「心霊治療に限らず霊的なことには奥には奥があって、一概にイエスともノーとも言い切れないことばかりなのです。信仰心があった方が治り易い場合は確かにあります。霊的知識に基づいた信仰心は魂が自我を見出そうとする一種の憧憬ですから、魂に刺激を与えます。あくまで自然の摂理に関する知識に基づいた信仰でして、何か奇跡でも求めるような盲目の信仰では駄目です。反対に、一欠片の信仰心がなくても、魂が治るべき段階まで達しておれば、必ず治ります」

バートン夫人「神も仏もないと言っている人が治り、立派な心がけの人が治らないことがあって不思議に思うことがあります」

 「その線引きは魂の霊格によって決まります。人間の観察はとかく表面的で内面的でないことを忘れてはなりません。魂そのものが見えない為に、その人がそれまでにどんなことをして来たかが判断出来ません。治療の結果を左右するのはあくまでも魂です。ご承知の通り私も何千年か前に地上で幾ばくかの人間生活を送ったことがあります。そして死後こちらでそれより遙かに永い霊界生活を送ってきましたが、その間、私が何にもまして強く感じていることは、大自然の摂理の正確無比なことです。知れば知る程その正確さ、その周到さに脅威と感嘆の念を強くするばかりなのです。一分の狂いも不公平もありません。地上だけではありません。私共の世界でも同じです。差し引き勘定をしてみれば、きちんと答えが合います。
 何事も憂えず、ただひたすら心に喜びを抱いて、奉仕の精神に徹して仕事をなさることです。そして、後のことは神にお任せすることです。それから先のことは人間の力の及ぶことはないのです。あなた方は所詮、私達スピリットの道具に過ぎません。そして私達も又、更に高い神霊界のスピリットの道具に過ぎません。自分より偉大なる力が全てを佳(よ)きに計らってくれているのだと信じて、全てをお任せすることです」

 最後に、別の日の交霊会で再び心霊治療の話題が取り上げられた時の注目すべき霊言を紹介しておこう。パキスタンから招待された人が〝見たところ何でもなさそうな病気がどうしても治らないことがあるのはなぜでしょうか〟と尋ねたのに対して、シルバーバーチはこう答えた。
 「不治の病というものはありません。全ての病気にそれなりの治療法があります。宇宙は単純にして複雑です。深い奥行きがあるのです。法則の奥にまだ法則があるのです。知識は新しい知識へ導き、その知識が更に次の知識へと導きます。理解には際限がありません。叡智は無限です。こう申し上げるのは、いかなる質問にも簡単な答えは出せないということを知って頂きたいからです。全ては魂の本質、その構造、その進化、その宿命に関わることだからです。
 地上の治療家からよくこういう言い分を聞かされます-〝この人が治ったのになぜあの人は治らないのですか。愛と、治してあげたいという気持がこれだけあるのに治らなくて、愛も感じない、見ず知らずの人が簡単に治ってしまうことがあるのはなぜですか〟と。そうしたことは全て法則によって支配されているのです。それを決定付ける法則は魂の進化と関係しており、魂の進化は現在の地上生活によって定まるだけでなく、しばしば前生での所業に関わっていることがあります。霊的な問題は地上的な尺度では計れません。人生の全てを物質的な尺度で片付けようとすると誤まります。しかし残念ながら、物質の中に閉じ込められているあなた方は、とかく霊の目をもって判断することが出来ず、そこで、一見したところ不正と不公平ばかりが目につくことになります。
 神は完全なる公正です。神の叡智は完全です。なぜなら完全なる摂理として作用しているからです。あなた方の理解力が一定の尺度に限られている以上、宇宙の全知識を極めることは不可能です。どうか〝不治の病〟という観念はお持ちにならないでください。そういうものは存在しません。治らないのは往々にしてその人の魂がまだそうした治療による苦しみの緩和、軽減、安堵、ないしは完治を手にする資格を身に付けていないからであり、そこに宿業(カルマ)の法則が働いているということです。こんなことを申し上げるのは、諦めの観念を吹聴する為ではありません。たとえ、目に見えなくても、何事にも摂理というものが働いているという原則を指摘しているのです」